【私の18歳】おおさか維新の会・松井一郎代表「稼ぐ厳しさ知ってる」(松井代表”18才フォト”有)

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代表の貴重な”18才フォト”は下記リンクから
【各党の顔に聞く・私の18歳】おおさか維新の会・松井一郎代表「稼ぐ厳しさ知ってる」(スポーツ報知)

(引用)
野党統一候補の擁立で与野党対決が鮮明になっている今回の参院選。橋下徹・前大阪市長(47)の政界引退で埋没が懸念された「おおさか維新の会」だが、前回の5議席を上回る議席獲得へ、善戦が伝えられている。橋下氏から代表を引き継いだ松井一郎氏(52)=大阪府知事=は18歳になる直前、大阪の高校を退学して一人で福岡の高校に編入した挫折の経験者。高校から大学にかけてのアルバイト経験が、「身を切る改革」の原点だった。(中村 卓)

高校卒業、大学1年にかけて迎えた1982年。松井氏は故郷の大阪を離れ、福岡でアルバイトに精を出す18歳だった。

「ガソリンスタンド店員に建設作業員、引っ越しスタッフと、大体肉体労働でね。平日は夕方から午後10時ぐらいまで。土日も働いてました。時給は500円とか550円で、月に5、6万円稼いだかな」

高校2年の時、大工大高(現・常翔学園高)を中退し、福岡工大付高(現・福岡工大城東高)に編入した。退学は自分で決めたという。

「今の時代ならアカンけど、まあ、ケンカとかもあってね。学校同士の(生徒間の)もめ事に首を突っ込んで、自分が当事者になってしまった。親からも『ちょっと修業に出てこい』と言われて、福岡の高校の寮に入った」

今でこそ「僕の人生にとっては良かった」と振り返るが、当時は失意のどん底だった。

「親戚も知り合いもおらん所にたった1人で行くわけやから。本当に生きていくのが大変と思った」

生きる上での修業と覚悟を決め、アルバイトを開始。大阪府議会議長も務めた父・良夫さんの教えが支えだった。

「オヤジはまず第一に『自立しろ、自分で食えるようになれ』と言う人間。仕送りもあったけど、生きていくためには働くしかなかった」

良夫さんが経営していた会社の社長を25歳で引き継ぎ、39歳で後継者として大阪府議に初当選。今も政治信条の根底にあるのは、アルバイトとビジネス経験だ。

「お金を稼ぐことの厳しさは、政治家の中でも一番知ってると思いますよ。会社ってのは、少しでも黒字にしないと社員もその家族も路頭に迷う。何とかして黒字にするってのは行政も同じでね。大阪府は橋下知事の時代から、ずっと黒字財政でやってきた」

福岡ではもう一つの大きな転機もあった。1学年上の夫人との出会いだ。(続く…)

(続き)
「大学の前に学生が使う食堂があって、店員のお姉ちゃんがご飯をちょっと多めに入れてくれたりしてね。食べる場所がそこしかないから毎日、顔を合わせるのよ。親切にしてくれるから『1回、どこか行きますか』と誘った」

父の影響で選挙の投票は欠かさなかったが、若い頃は政策を吟味したことはなかったという。

「オヤジと親しい人に投票するだけで、難しいことは考えなかった。社会のことなんて考える余裕がなかったから。それに比べると、今の若い人はいろんな情報も入る環境で、僕らより緻密に計算してるんちゃうかな。SEALDsとか、すごく興味を持って政治に物を言う若者もいて、すごいと思うね」

盟友の橋下氏は法律政策顧問として維新にかかわるが、今回の参院選では応援も要請していない。

「彼がやってくれたことをそばで見てればね、本当にご苦労さんってなるよ。年収2億円から1500万円に減らして8年間、自分の時間も削って徹底的に行革をやった。知らないコメンテーターは権力欲だの名誉欲だの言うけど、じゃあ自分ができますか? 政治はいずれ彼の中ではじける時が来れば、またやるでしょう。今は我々が無理を言う時じゃない」

そんな橋下氏とは政治信条を超えて共感する仲。頻繁に電話やメールでやりとりし、酒も酌み交わす。

「趣味も同じツーリングやし、一緒におって面白いのよ。『今度どこどこへ行こう』とか、スマホで調べながら話したりね。18、19歳の人と同じ」

最後に18、19歳の新有権者への訴えは。

「次の世代に借金をつけ回すのは無責任。まさにその世代のために頑張ってる自負はあるんです。維新に入れなくてもいいから、選挙には行ってほしい。政治家は投票率の高い世代を見る。若い世代の投票率を上げなければ、政治家は振り向かないよと言いたいね」
(引用終わり)

(2012)google政治家と話そう「橋下徹」
若い世代の選挙離れについて答える橋下さん

維新の主張は、この頃と全く変わってませんね!

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