2/5 橋下市長ツイッター「もっと日本が良くなるためにも、メディアには国民の知る権利に奉仕する客観的な報道を心掛けてもらいたいもんだ。」

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慰安婦の件、橋下さんの言う「日本も悪かった。でも貴方達も悪かった。共に反省しよう。」
日本人なら、多くの人が理解できる主張だと思います。

でも、外国人が聞くと、この様な言い回しは「自分の行為を無かったものにしようとしている」と取られてしまう…
この辺の文化の違いは、中々難しいものがありますね…

ただ、このまま放置は1番まずいと思います…

関連動画:【辛坊さん。各新聞社説を解説】2/4 朝のニュースショー「橋下市長出直し選関連」 動画

(引用)
新聞は国の電波許可をもらって事業を営むテレビと違って強い政治的中立性は求められない。政治について自らのスタンスをはっきり示しても良い。僕は賛成だ。しかしそれは公正な競争が確立されての話。日本の新聞業も、これまた一つの既得権益。

多様な意見の名の下に、部分的に独占禁止法の適用除外となっている。こんな状況だから、日本においては地域新聞が発達せず、巨大新聞が幅を利かす。読売、朝日、産経、毎日、日経。多様な意見というなら、独占禁止法を全面適用した上で、もっと独自地域新聞を発達させるべきだ。

ということで新聞が特定の政治的スタンスに立つことは賛成にしても、それにしても巨大新聞が幅を利かす日本の状況では様々な弊害が生じる。僕の立場だと各紙を全部読み比べるが、そこまで時間のある人は少ない。各紙それぞれの政治的価値観が前面に表れている。

ただ巨大新聞が幅を利かす日本においては、政治的スタンスを明確にすることの弊害も考えなければならない。読売は現政権にべったり。そして徹底した反維新、反橋下。朝日は価値観での違いは大きいが、一方的な取材に基づく報道は少ない。今日の読売33面は、あまりにも一方的すぎる記事。

読売33面は公明党側の取材だけで記事を書いている。こちらにその事実についてどうなのか、という取材は全くない。価値観、見解については、まあ一方的に書かれても仕方がないが、事実については双方の言い分をきちんと聞くのが新聞の使命じゃないのか。かつて公募校長の不祥事でもこれをやられた。(続く…)

(続き)
堺市長選挙真っ最中に、読売は公募校長6名不祥事!!と大々的なキャンペーンを張った。これは、市議会委員会での野党自民党市議の質問だけを一方的に報じた。他の新聞もそうだった。校長の言い分は聴かず。その後の調査で処分に該当する者は2名だったが、残りの4名の名誉は回復されず。

僕が言いたいのは、価値観や見解はどんどん一方的に述べれば良い。しかし事実についてはきちんと取材をしろ。僕は毎朝、夕と囲みに応じているのだから、ちょっと聞けばいいだけじゃないか。今回の読売33面はあまりにもアンフェア。僕は公明と協議をしていたのは事実。

そして協議が整わなかったというのは双方が説得をし、双方が説得を拒んだからだ。それを読売は、僕だけが公明の説得を拒んだ書き振りだ。僕が一案に絞って議論を進めたいと最初に公明党に打診をしたのは昨年の暮れ。そのときにもかなり話した。

公明党は一案に確定することに賛成するのは無理だと言った。色々と話した。一案に確定することと、議論の対象を一案に絞ることは別であることまで共通の認識となった。僕も一案に確定することは無理であることは承知した。、議論の対象を一案に絞るが、さらに今後も議論はもちろん続けて修正はあり得る

「議論の進め方として僕らが一案に集中したいと言えばそれには反対できない」と公明党は言った。当時、松井知事は一案確定の採決にこだわっていた。僕もきちんとした意思表示はもらわなければならないと考えていたので、議論の対象を一案に絞ることには了と言ってもらえますねということを確認した。

一案確定は無理だが、一案に絞って議論を進めることは議事運営の問題であり、案の提案者は僕や松井知事なのでそれには反対できない、了となると公明党は言った。それで党をまとめると。僕もその後、細心の注意を払った。公明党の事情もあるから、できる限り公明党の立場に配慮して調整を続けた。

松井知事を説得し、役所内の調整をし、「都構想の案を一案に確定するのは時期尚早。議論の対象を一案に絞って、さらに議論を深堀することで公明党の了解を得ること」で進めるという方針を決めた。その後調整が続いた。

年末の法定協議会で確認する予定だったが、公明党への配慮で、年を越すことにした。その後も調整が続いた。年明けの法定協議会でも、公明党の主張に従ってもう一回法定協議会を延ばした。1月31日に、各党が意見を表明することに決まった。その後も調整が続いた。

「一案に確定するわけではない。議論の対象を一案に絞ってそこにエネルギーを集中させる議事運営にする。それについては了という意思表示をしてもらう」これを軸としながら、表現等は公明党の立場に最大限配慮し、議論の対象を一案に絞っても各委員の意見は制約されない、後に修正はあり得るとまでした

メディアでの報道合戦になっても、そこは公明党との信頼関係の基に、調整を続けた。そして1月31日の法定協議会が近づくにつれて公明党の主張に雲行きが怪しくなってきた。中身の話ではなく、「公明党だけ了とは言えない。維新と公明党だけが了と見えるのはダメだ」と。完全に政局だ。

僕は都構想の議論を実質的に進めるべく、議論の対象を一案に絞って進めたいと思った。自民、民主、共産は、徹底して反対。建設的な議論にならない。法定協議会は、特別区設置のための協議会なのに、反対しか言わない。反対の意見はそれはそれで良い。しかしそれは法定協議会で言うことではない。

法定協議会は都構想の設計図作りの場だ。法律に基づき、大阪府議会、市議会の賛成多数で協議会を設けられた。議員や政党は色々な意見を持っている。都構想に反対するのも結構。しかし、ルールに基づいて、都構想の設計図を作る場が設けられた。

ゆえに設計図を作ることを前提とした議論にならなければ議論にならない。僕らの提案について、都構想には反対だけれどもそれでも設計図を作るための意見、厳しい意見を頂きたかった。しかし実態は都構想反対の意見のみ。これでは10年かかっても設計図はできない。だから議論の絞り込みが必要と考えた

公明党とはギリギリの調整をし続け、一案に確定しない、議論の対象を一案に絞り込みさらに議論を続ける、各委員の意見を制約しない、今後修正はあり得る、ここまで僕は譲歩しながら提案内容を調整し、協議をした。そして公明党も直前まではそれで良いという話だった。

それが最後の最後に、「維新、公明で了という意思表示はできない。やるなら他党も了と言ってもらわなければならない。意思表示するなら反対と表明する」と公明に言われた。読売新聞よ、この経緯から、僕だけが公明の説得を拒否したと言えるのか。協議が決裂したのは事実だ。

しかし協議が決裂するというのはどちらか一方だけに全責任があるのではない。双方それぞれの言い分がある。それを公明党サイドだけの取材によって、僕が公明党の説得を一方的に拒否したように印象付ける記事は著しくアンフェアだ。反維新、反橋下は結構だが、もう少し新聞社としての使命を果たすべきだ

面白い指摘!考えてみます RT @fugaku100kei: 政治的中立性を求められない新聞社が、政治的中立性を求められるTVキー局の親会社であり、TVの報道やワイドショーが中立性に欠けている現状をどう思われますか?クロスオーナーシップを許してるのは先進国では日本だけですね。

新聞記者は政治家への取材は個人的な付き合いでやっているのだろう。それが記者能力の全てだと。だから得た情報を裏どりもせずに垂れ流す。僕は毎日、記者の質問にオープンに答える。だから裏どりをやってくれたらいいんだ。それもせずに一方的に事実のように垂れ流すのは有権者のためにならない。

かつて毎日新聞でも、維新の議員から得た情報で、僕が元慰安婦と面会したら賠償責任を認める!という虚偽の記事を掲載された。えらい迷惑だったよ。こういう記事のおかげで、こっちがどれだけ負担を被るか。その後毎日新聞から一切の謝罪もない。

僕に一言聞けばいいんだ。「元慰安婦に賠償責任を認めるのか?」と。ほんの一分作業だ。そしたら僕ははっきり言う。「認めません」と。そうなれば毎日の出鱈目記事は防げた。今回の読売33面の記事も、僕に一言聞けばいいんだ。「公明党とはどういう協議でしたか?」と。

そしたら僕が公明の説得を一方的に拒否したなんていうあんなでかでかとした見出しは付けられなかったはず。まあ読売は反橋下だから、裏どりして自分たちの思う通りの反橋下の見出しが付けられなくなることを避けたんだろう。裏どりしなければ一方的に自分たちの思う通りの記事を垂れ流せるから。

そして僕から苦情が出れば、いやいや公明党からきちんと取材を受けていますっていういつもの言い訳。両方の言い分をきっちりと聞いて客観的に報道するっていうメディアが日本には少ない。慰安婦問題を巡る発言では、当時世界各国の軍が慰安婦を必要としてたという僕の発言を勝手に編集された。

「戦争当時世界各国の軍が」という主語をすっ飛ばし、僕が慰安婦を必要としていたとバンバン報道された。そしてメディアはコメンテーターの一方的なコメントを垂れ流し。僕を呼んできっちり反論させてくれたのは、特ダネとたかじんNOマネー、報道ステーションサンデーだけだった。

僕の主張をきっちりと伝えたら、出演者は論理的には反論できなった。しかし僕のいないところで一方的な報道。まあ、これも報道の自由が最大限尊重される民主主義の国家体制に代わる国家体制はないので仕方がない。僕も一市民に戻れば、報道機関が権力を厳しくチェックする国の方が良いからね。

ただもっと日本が良くなるためにも、メディアには国民の知る権利に奉仕する客観的な報道を心掛けてもらいたいもんだ。

読売5面にもあったが、いよいよバージニア州で、日本海について韓国が主張する東海の併記が義務付けられた。これが外交戦争だよ。韓国の海外でのロビー活動は凄まじい。かつて韓国が、日本海を東海と呼べ!と主張していた時には、日本人はそんなことにはならないとたかをくくっていた。

ところが、いよいよ現実になった。バージニア州だけと安心していたら、慰安婦問題と同じになってしまう。とにかくバージニア州で日本海が東海とも呼ばれるようになる。読売記事では国連や米政府は日本海としているとあったが、一点突破をやられたら、次は全面展開になる。

これまで日本がいかに外国で事なかれ主義だったか。僕の慰安婦問題を巡る発言のときに、政府関係者、元政府関係者、特に外務省関係者から、とにかくこの問題は発言しない方が良い、騒ぎを起こさない方が良いと言われた。だんまり作戦だね。

だんまり作戦は日本国内では通用するのかもしれない。しかし海外では通用しない。ただし、肝心なことは認めるところは認める、反省するところは反省するという態度。そして主張すべきは主張する。今頃になって、外務省もその方針で臨むらしいけど時すでに遅し。

今から海外での積極的な主張を在外日本大使館が頑張っても、中国や韓国に追い付くのは難しいだろね。慰安婦像もアメリカでは広がり出したし、東海表記も広がっていくだろう。

慰安婦問題は正当化はしない。しかし、日本だけが袋叩きにされるのはアンフェア。日本だけでなく世界各国が背負っている不幸な歴史だ。史実に基づいて論理的に主張できる。日本だけが袋叩きにされている根拠が河野談話だ。だから河野談話の検証が必要なのだ。

慰安婦問題は正当化はしない。二度と繰り返してはならない。しかし日本だけが袋叩きにされるのはアンフェア。日本だけでなく世界各国が背負っている不幸な歴史だ。これは史実だ。この主張に誰も反論はできない。日本だけが袋叩きにされている根拠が河野談話だ。だから河野談話の検証が必要なのだ。

ところが日本人は、朝日、毎日の報道で刷り込まれてしまって、日本が世界から袋叩きにあっても仕方がないと思っている。そしてこの問題についてはとにかく黙っておけと。政府もそうだった。そのことによって韓国の主張が世界に浸透してしまった。慰安婦問題について日本人はもっと勉強すべきだ。
(橋下市長 twilogより)

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