5/5 橋下氏Twilog 「大阪の中学生の内申書は、全国で唯一相対評価です」

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引用

GW明けは、大阪府の教育の隠れた問題点を取り上げたいと思う。それは中学生の内申書の問題。全国の中学生のうち、大阪の中学生だけが相対評価での内申書になっている。この点陰山府教委委員長@Kageyama_hideoはどのようにお考えなのでしょうか?

陰山委員長は、国の教育審議会で中学生の内申書は絶対評価にすべきとの持論を展開しております。ところが大阪は全国で唯一相対評価です。僕の頃も相対評価。そこから全国の流れに完全に反しています。

大阪維新の会が取り組んだ教育基本条例について府教委側が一番反発したのは教員の評価について。現在の絶対評価制度を相対評価にするという我々の考えに府教委は猛反発してきました。主な理由は、教員を機械的に5段階に分けることができない。教員の評価は難しい。

最優秀、優秀、良、不可の区別などできない。一定割合で無理矢理振り分けるのはおかしい。学校毎に先生のレベルが違うので不公平になる、教員のやる気を害する・・・・まあ色んなことを言ってきました。相対評価なら必ず不可が一定の割合出ますから。

教員を相対評価することはできない。にもかかわらず、子どもをずっと相対評価してきているのは大阪府教委なのです。教委事務局の意見では絶対評価だと基準が難しい、生徒に差がつかない、中学3年間の頑張りを評価することもできる・・・それ教員の絶対評価の問題点で僕らが指摘したことと同じですが

僕は個々人の能力の切磋琢磨を重視する価値観です。ゆえに機会は平等に、評価や手続きは公平・公正・そして透明性。とにかくフェアに。高校入試において入試がある以上、入試の点で決めざるを得ない。入試だけでは決められないというのであれば高校入試を独自のものにすれば良い。

府教委が全ての高校の入試を統一しているからおかしくなる。差を付けなければならないから内申書を用いなければならない・・・・おかし過ぎる。教委の事務手続きのことだけを考え、子どもの視点の欠如。大阪維新の会の教育基本条例を批判する輩も、この問題点は誰も指摘しない。

まあ教育基本条例についてはどの教育評論家も有識者と名乗る輩も散々批判をしてきたけど、大阪だけが内申書を相対評価のままにしていることを指摘した評論家はいなかった。実務を知った有識者がほんと日本にはいない。机上の論だけ。

大阪の入試において、中学生は10段階で中学時代を相対評価される。9と8の違いは?8と7の違いは?7と6は?それこそ一定の割合に振り分けられる。その基準はなんだ?そしてその評価は確かなものなのか?教員は自分たちが相対評価されることをあれだけ嫌がった。

にもかかわらず子どもたちは平気で相対評価にする。この教委の欺瞞性を有権者は感じ取っている。だからどれだけ教育基本条例について教育サイドが大上段に教育的視点から批判をしても有権者はついてこない。教員が自分たちの保身で抵抗しているんだなと感じ取ってしまう。

絶対評価は基準が不明確。これが府教委が内申書を相対評価にしている主な理由。だから僕らも言ったじゃないですが。教員一万人のうち一人しか最低ランクを付けない今の絶対評価はおかしいと。そしたら教委は何と言ったか?頑張っている教員にも一定の割合で低い評価を与えるのはおかしいと。

それそっくりそのまま内申書評価にお返ししますよ。子どもたちはいくら頑張って努力してそれなりの結果を出しても、一定の割合で低い評価をされる。教員評価は其れはダメで、子どもの評価はそれでも良い。完全に矛盾しています。絶対評価、相対評価、それぞれにメリットデメリットがあるのでしょう。

そしてそのメリットデメリットを比較して、教員評価は今回絶対評価を採用した。ところが子どもの評価については絶対評価のデメリットだけを上げる。相対評価のデメリットは不問。こんなご都合主義を教育行政がやるから保護者不審を買い、教育サイドが猛反発した教育基本条例が国民から支持されるのです

陰山委員長、この内申書問題は大阪が背負っている最大の課題です。陰山委員長も内申書は絶対評価だと言われていました。そのご自身の考えを教育行政に反映させることが出来るかどうか。ここは正念場です。

教育委員会事務局は抵抗してきます。早くも内申書の絶対評価の問題点を整理しているようです。相対評価の問題点は棚上げにして。教育委員会が教育行政の責任者になれるか、それともご意見番か。教育委員会事務局の抵抗を抑えて、陰山委員長の持論を行政に展開できるか。これが行政運営です。

意見を言うだけでは行政は動きません。徹底した議論が必要ですが、最後は行政マネジメントです。中学校内申書問題は市町村では何もできません。府教委の決定を待つだけです。是非陰山委員長の内申書絶対評価の持論を貫いて下さい。よろしくお願いします@Kageyama_hideo

陰山府教委委員長@Kageyama_hideo。内申書の相対評価の問題点については一斉に子供側、保護者側から意見が寄せられています。こういう有権者の声を汲み取れなかったのが教育委員会制度であり、その点を僕は問題提起したのです。教委事務局内だけの議論に終始しないで下さい。

RT @gokunao: @t_ishin 以前大阪に住んでおりました。2人の息子がいます。中学1・2年の間は絶対評価だったのに急に中3になり相対評価になるのには戸惑いました。

RT @inotigake123: @t_ishin はじめまして。1年前のことですが子供が中学三年生の時。担任の先生に相対評価の事を尋ねると学校でクラスで7の人数や8の人数が決まっているといわれました。基準はと尋ねると学校で決めてるっていわれそのままです。

RT @iroku_: @t_ishin 私は中3になってすぐに教師から相対評価について説明を受けました。10に入れなかった人が9に下がることによって本当は9の人は8に、8の人は7にという風に本当の実力がわからない内申書でした。あんなものを参考にして入試を行っているのはおかしいと思います。

これは一つの見解に過ぎない。今、国民コンセンスを得るのは不可能。自分の見解を実現するには政策実現プロセスを踏まなければならない。これが有識者と政治家の違い。 RT @ikedanob: これは再稼働とは関係ないけど、何度も書きました。 http://t.co/bgCtckpX

自分の考えが正しいと思っても、それを実現するには政策実現プロセスを踏まなければならない。これが民主主義だ。民主主義は正しいだけでは実現できない。有権者の納得性が重要。そして正しい事を見つける労力よりも、有権者を納得させることの労力の方が無限大に大きい。このことを有識者は知らない。

日本の政治が良くなるには、きちんとした政治になるには、政策実現プロセスをしっかりと体験・認識した有識者が増えることが必要だ。正しさばかりを主張してもそれは実現できない。実現できなければ政治にとっては無意味。政治は学者論議とは違う。正しさだけでなく、有権者の納得性。

RT @chie_yuuyuu26: @t_ishin こんにちは。中3の子どもをもつ保護者です。以前、先生に、もし全く同じ成績の子がいて、どちらかを9にしなければいけない場合は、どうやって決めるのか?と聞いたら、その子の評判《他の教科の授業態度等》と、言っていてビックリしました。

教育基本条例は、保護者の価値観を教育行政に注入する必要があることから制定した。今の教育行政は、行政側の論理を貫ける。これを政治的中立性と呼んでいる。保護者説明会をして内申書の絶対評価、相対評価の話しをすれば、おそらく9割の保護者は絶対評価を支持するであろう。

このような保護者の感覚を全く無視できるのが今の教育委員会制度。行政側の論理を貫き通せる。前府教委委員長も、このような保護者の感覚を汲んでの実務的制度改革はされなかった。保護者の感覚=政治が教育に反映することも必要。あとはどこまでかの範囲の問題。絶対的に政治を排除するのは危険。

posted at 15:17:28

(橋下氏 twilogより)

コメント

  1. 仲井 より:

    相対評価制度が高校への合格という部分で、受験の合格者名を、高校側が決めていたのではなくて、中学教師が合格者を先に決定し、内申書に合格、不合格が決められて内申書作成が行われていた。
    中学の教師が、中学生の受験生の合格者を、高校側にはだれを合格させるかを事前に選定し決定し通知していた。
    よって、高校には学区ごとの、個別ごとの中学校からは、毎年のように同じ人数しか合格しないようになっていて、一つの中学から一つの高校に合格する人数は受験の前にすでに決められている。
    合格者数は、中学ごとで同じ人数分がそれぞれの中学校ごとに割り振られてそれも固定されて決まっていた。

    だから中学工側も高校側も受験の前からその高校にその中学から合格する人数が解っているというもうあきれ果てる癒着が数十年間行われてきていたのが大阪の受験体制。
    中学校長のその後の将来を左右する高校合格者数、これを毎年どの中学校もいつもの年と必ず同じ人数を合格させると約束で決めて、高校がそれを引き受ける体制がシステムで完成されてきたのが大阪。
    違う校長が赴任しても前任者と同じ条件で退職できるようにとの、そのことだけを保つための彼らの中学ごとの固定数の合格生徒割り振り
    システム。
    中学校長側と、高校側教務主任との間で延々何十年と続いてきた約束、これが裏約束でできていたのが大阪。
    定数が決められ、ある中学校では過去数十年間毎年同じ人数分しか特定の高校には合格生徒が出ていない。
    十年前にその中学校からある高校には毎年5人が合格していてそれが何十年とその受かる人数がその中学からはほぼ変わらずで来ている。

    つまりは生徒の能力判定ではなくて、中学の教師が受験する前に合格者を先に決めているのだ。
    受験は虚構のイベントで、試験の前に中学ごとで先に合格者の人数はすでに決まっており、名前も判明して決まっているというのが大阪の実態。
    昔桃山学院高校を受験された女性の生徒さんが、内申書の公開を求めての裁判をかけたことがある。
    大阪はすべて中学教師が受験の試験など全く無関係に受験の前に高校側に合格名簿を知らせていた。

    これを辞めさせる宇屋s利方に頑張ってるのが知事時代からの橋下市長。何とかやめさせようとそういうことができないように公募校長制度とか学区撤廃を条例でやりだした。
    それでもまだ今まで通りそれを守りたい抵抗勢力が陰で腐ってやったことが、府立高校採点ミスという内容。
    あれは採点ミスではなくて、点数の改ざん事案。
    何としても今まで通り中学が主導で合格者を決めていきたいという思いと高校側の教務主任らの思惑が一致した学校は今でも相も変わらずに合格者数を中学ごとで決めていてそれが合わない点数の折に改ざんして人数合わせに励んだ結果がこの間からとんでもない割合で発生している大阪の高校受験現場での採点ミス事案。
    あれはミスではなくて故意も故意、奴らの腐ったしぶといとんでもない生徒への裏切り行為であり、犯罪行為なのだ。
    中学から高校を受験する場合に、中学教師が合格者数を中学ごとで決めた数値を割り当てていたのが、今までの大阪の高校受験実態。

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