7/9 橋下氏ツイッター part.2「大津市で痛ましい自殺事件が起きた。なぜ大津市教育委員が前面に出てこないのか・・・」

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(引用)

自分の得たい結論のために手続きを都合よく曲げてはならない。手続きの公正さは価値中立な手続き論で完結すべき。当事者にとってフェアかどうかの観点のみ。自分の得たい結論のために手続きを曲げると、必ずしっぺ返しをくらう。同じ理由で相手に反撃される。

手続きとは統治そのもの。朝日新聞とJR葛西さんは、政策論と手続き・統治論を分けるべき。議論を尽くして決定する。そして多数決。最後の決定は選挙で審判を受ける政治家が行う。この統治手続きは、導き出された結論の当否にかかわらず否定することはできない。

大津市で痛ましい自殺事件が起きた。なぜ大津市教育委員が前面に出てこないのか。教育委員会事務局ばかりが前面に出ている。この点が教育委員会制度のおかしさの象徴だ。委員はご意見番というポジションで、行政の責任者ではないということだろう。しかし委員こそが責任者だ。

責任を負えないなら権限も持ってはいけない。首長部局の問題なら、これくらいの大事件であれば首長が前面に出て対応する。しかし教育委員ではそれはできないというのか?教育行政の最高責任者は委員自身であることを自覚しなければならない。それができないなら権限と責任は首長に返上すべきだ。

政治家は話し合うことが仕事ということを未だに言い続けている勢力が自称インテリ。確かにそういう役割も政治家にはある。しかしトップになれば、またそれに近い役回りになれば、決断することがメインの仕事になる。日本においては決断することの重要性が語られない。

また様々な課題を解決するセンターピンはこれだと見つけることも政治家の役割。行政組織のメンバーは所管する領域の中で判断せざるを得ない。それが全体最適につながることは意外に少ない。ボトムアップの議論こそが、民主主義そのものと自称インテリは言うがそれが結果として全体の利益を害するも多い

ボトムアップとトップダウン。このバランスも政治そのものであるが、日本においてはトップダウンは忌避される。昨日の報道2001で榊原英資さんに政治家よりも公務員の方がよっぽど働いていると言われた。事務量などのボリュームではそうでしょう。しかし政治家は事務をすることが本来の仕事ではない

いくら話し合っても解決しないことを決断する、判断することが本質的な仕事だ。また課題に潜んでいる主要な問題点、いわゆるセンターピンを探し当てること。そして行政官僚ではできない、政治勢力との対決。これが本来の政治家の仕事。多分日本の政治家はこれをしてこなかったのであろう。

だから公務員の方が政治家よりも働いているとバカにされてしまう。労働時間や、やっていることの難しさでは公務員の方が政治家より上だろう。しかし公務員ではできないことをやるのが政治家だ。センターピンを探し当て、最後の決定をし、政治勢力と対決する。これを動かすために組織体制を整備する。

行政機構の再整備は権力の再配置そのもの。人事権という究極の権力行使。これらが政治家の仕事。公務員と政治家の仕事の役割分担もできていない日本の政治を立て直さなければ。そのような政治家の役割なら、もっと人数を減らすべき。

決定は責任も伴う。決定は反対者も従わなければならない。否応なしに日本の体質改善が必要です。 RT @ikedanob: 池田信夫 blog : 日本はなぜ開戦に踏み切ったか http://t.co/JhrU6w7r

決定を重んじれば重んじるほど、その過程をフェアにしなえければならない。十分な実質的な議論、専門家の意見の尊重、議論打ち切りのタイミング、そもそも前提にしなければならない事実(選挙結果、マニフェスト)などなど。十分議論することは誰でも分かっているが、重要なのは議論打ち切りのルール。

決定権者、そして前提にすべき事実のルール。決定権者が一人だとわかりやすいが複数だと多数決にならざるを得ない。そして議論には前提事実がある。それがなければ言いたい放題で議論に収拾がつかなくなる。自分の考えとは違っていても外部要因から前提としなければならない条件は当然発生する。

外部的な証拠に裏付けられる事実だったり、公知の事実だったり、そして一番重要なのは選挙結果。政治議論が前に進まないのはいくら選挙を経ても政治家はその結果を無視して一から議論をやり始める。自分の支持者は反対しているという理由で。今の大阪市議会がその状況。

大阪都構想について自民・民主・共産が真っ向から反対。選挙で100対0の結果などない。しかし一旦出た結果を尊重しなければ前に進まない。自民・民主・共産は、政策の価値論と手続き論を混同している。

もし、今回のダブル選挙の結果が大阪市民全ての意見ではないということになれば、自民・民主・共産の声も大阪市民のすべての声ではないという理由で、その声を聞かなくていいという話になる。それは違うだろう。結局ダブル選挙の結果によって大阪市議会はどこまで拘束を受けるのかのルールがない。

日本が成熟した民主国家になるためには、まだまだ深化させなければならないルールがたくさん必要。しかし少なくても延々と議論しろ!選挙結果が全てではない!という朝日新聞的価値観はもう時代遅れ。民主的に物事を決めていくためにはどのようなルールが必要なのかという観点でルール化する必要がある
(橋下氏 twilogより)

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