10/11 橋下氏ツイッターpart.2 「急に維新の会の教育関連条例への徹底批判記事。なんかおかしいなと思ったら、阿久沢記者の記事か・・・」

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(引用)

11日朝日朝刊23面。NZの教育事情(下)(「続きを読む」以下に掲載)。(上)はきちんと事実を報じていたのに、(下)になって急に維新の会の教育関連条例への徹底批判記事。なんかおかしいなと思ったら、阿久沢記者の記事か。デスクは、阿久沢記者に挽回のチャンスを与えたんだろうけど、この記事は酷いね~

もう維新の会の教育関連条例に反対するための記事。冷静さを完全に失っている。阿久沢記者に問う。NZの教育システムを理想のシステムとして、現行の日本の教育委員会制度を、どうやってその方向に持っていくのか。そのプロセスを考えなさい。新しい取り組みにとにかく反対するだけでは物事は進まない

今の教育委員会制度を、いきなりNZのシステムにすると言うのか?まさに無責任な記者の戯言。今の日本では、コミュニティースクールさえ広がっていない状況。それは保護者が学校教育に責任を負うということが全く根付いていないから。

実際、維新の会の教育関連条例が公表されたとき、PTA協議会やら何やらが、親にそんな負担をさせるな!と声を上げ、朝日新聞も維新の会への反論材料に使った。いったいどっちなの?保護者に負担を負わすの?負わさないの?

今の教育委員会制度を絶対に死守するという前提だったから、制度をいじることは絶対反対で、思考停止。そこから色々調べたらNZの制度がいいやんかとなったんだろうね。でもその制度にするためには、今の教育委員会制度を廃止して一から制度を作らなければならない。

僕が目指すのもNZ的な制度。しかしその制度へ向かうのに、一気にそこには変えられない。だからまず、大阪の教育関連条例のような制度にした。これは毎日朝刊が記事にしていたが、保護者の関与を大幅に増やす方向。阿久沢記者は維新の会が大嫌いだから、あとは屁理屈を付けて反対を述べるのみ。

まさに共産党と同じ。建設的な意見や、物事を進めるための変革には全て反対。とにかく反対。NZの教育システムが良いとして、じゃあ今の日本の教育委員会制度をどう変えるのか。そこへの言及は一切なし。保護者が完全に学校運営に責任を持てれば良いが、今の日本では難しい。

ゆえにそうなるまでは、保護者の代表である首長が責任をもって大きな方針を示す。学校長も、保護者が人事権を完全に行使するまでは、公募と言う形で、教頭上がりと民間人で切磋琢磨し、外部の面接官を通じて、保護者感覚の校長を選ぶ。保護者が全責任を持てるようになれば、保護者が選べばいい。

また保護者が学校運営に完全に責任を持つと言うことになれば、保護者に学校を選択できる権利を与えてあげなければならない。責任と選択権は表裏一体だ。自分が納得して選んだ学校でなければ、完全な責任など負えない。阿久沢記者は、責任についてもっと勉強すべきだね。

阿久沢記者が自己の選択に関係なく産経新聞に入れられたら、責任なんて負えないでしょ。責任と選択は一体のもの。選択権を保護者に持ってもらうのは、責任を持ってもらうため。そして選択に晒されると、切磋琢磨は現象として生じる。

保護者に当事者になってもらう第一段階としてまず大阪教育関連条例を成立させた。今の教育委員会制度を抜本的に見直す第一歩。この条例に反対と言うなら、ではどういう第一歩を踏み出すのか言ってみなさい。何も言えないでしょ。だって今の教育委員会制度を死守すると言うのが朝日の理念だったのだから

あとはまあ維新の会への批判の屁理屈のオンパレード。あいかわらず君が代起立斉唱条例批判。そして大阪条例は保護者を消費者とみなすがNZは当事者とみなすだって?僕らは保護者をサービスの受け手であり、学校運営の当事者と位置付けている。ほんと幼稚な批判だ。

NZも保護者に教員等の人事権を与えている。今の日本のシステムでは保護者は当事者ではない。ゆえに大阪条例では保護者に一定の権利を与えた。これもまずの第一歩。それを大阪のはダメだとぐちゃぐちゃ言っている。だから今までの教育委員会制度はでは保護者には何の権利もなかったの!

公募校長にも難癖。公募校長で、適任者を選ぶのは、保護者が選ぶまでの途中のプロセス。保護者が理事会を作って学校運営をできるようになればそれが理想。しかしそこに至るまでは、保護者=有権者の代表でもある首長が、大きな方針を作る。具体の目標は校長と保護者協議会が作る。

まあこの記事の決定的な欠陥は、NZの教育制度も、教育現場だけに任せていた教育行政を変えようと言う理念であることをすっかり忘れている。教育の専門家、教員の価値観を絶対視する教育行政はダメだ、子どもや保護者が主体とならなければならないという理念である。まさに日本の教育委員会制度の否定

大阪教育条例も全く同じ理念。今の教育現場絶対主義の教育行政システムを保護者主体のシステムに変えようというもの。ただそのプロセスとして、まずは文科省、教育委員会のピラミッドシステムに、保護者感覚を代表する首長を一定関与させ、そして学校運営に保護者も関与させる。

阿久沢記者は、自分がこれこそ理想と掲げるNZの教育システムが、日本の教育委員会制度を否定するシステムであることの認識がない。朝日や阿久沢記者は、憲法9条と同じく、今の教育委員会制度を堅持することが自分たちの存在意義と思っているから。

どうもイデオロギーに縛られて、世情の変化についていけていないね。繰り返すが、NZの教育システムは、日本の教育委員会制度の完全否定。教育は教育の専門家に任せれば良い、民意を反映させるべきでないという日本のシステムを否定しないとNZのシステムにはならない。

大阪教育条例に対する批判の一つに、首長が変わるたびに教育方針がコロコロ変わるからダメ!というものがある。首長が変わってもそうは簡単に大きな方針など変えることはできないのに、まあそういう批判がある。それはさておき、NZの制度なんて、教育方針はもっとコロコロ変わる可能性が高い。

だって保護者なんて、子どもが卒業するたび、入学するたびにコロコロ変わる。その保護者が学校目標を定め、学校運営をするとなると、そりゃ首長が変わる以上に、物凄く教育方針は変わる。それで良しとするのがNZの制度。日本の教育委員会制度と真反対と言って良い。

阿久沢記者はNZの教育行政システムの本質を理解せず、とにかく大阪維新の会、いや僕の批判に来た。NZのシステムが、自分たちが金科玉条の如く守ろうとしている日本の教育委員会制度の完全否定だと言うことを認識せずに。といういことで、この阿久沢記者の記事は、便所の落書き以下ですね…(続く)

(続き)
まあでも、当選しましたからね。有権者の代表と擬制せざるを得ません。そうでなければ、誰を代表としますか? RT @osawa1979: いや、だからあなたを保護者感覚の代表だと思って投票してる人はおらんから。詭弁はやめて。

ただ誰かに決定権を与えなければ物事は進みません。その決定権を付与するのが選挙です。そういうものだと諦めなければなりません RT @osawa1979: 確かに、おらんから、とははっきり分かりません。断定しすぎました。ただ、逆に言えば選挙に通ったからといって首長が保護者感覚を代表し

それが大阪条例の学校協議会。これを府立、市立全校に設置し、協議会にかなりの権限を与えます RT @tonden2: PTAで代表を選んで、その意見を反映するシステムを作ればいいだけ。“@t_ishin: まあでも、当選しましたからね。有権者の代表と擬制せざるを得ません。そうでなけ

貴重なご意見ありがとうございました!次回から気を付けます RT @neat0n0chopper: @t_ishin 橋下さんのツイート、力強くて好きです。でも最後のシメが自己矛盾の再指摘と侮蔑で終わるのは悲しいな。便所の落書き以下だなんて表現、カッコ悪いです。

僕が落ちて、新しい首長になれば、その人が保護者、有権者の代表です RT @hatsuyuki0713: 再選されるとは限りませんよ? RT @t_ishin: まあでも、当選しましたからね。有権者の代表と擬制せざるを得ません。そうでなければ、誰を代表としますか?

戦前の軍国主義の反省のもとに作られた日本の教育委員会制度。戦後ある程度の期間は、うまく機能していたのかもしれない。しかし時代はどんどん変わる。政治=権力=有権者の感覚とは別という固定観念で、教育から政治を完全に排除した。ゆえに教育現場は治外法権と化した。

教育委員会は、非常勤で全く機能せず。巨大な教育行政組織を動かすことなどできない。こうして、政治の関与が全く及ばない世界となってしまった。それは保護者の感覚も及びにくい世界となってしまった。今の教育行政の現場は、保護者の感覚から相当かい離しているところが散見される。

政治は保護者、有権者の代表でもある。教育行政を保護者主体に持っていくなら、まずファーストステップとして、今の教育行政に保護者の感覚が注入される仕組みにしなければならない。それが首長の一定の関与である。これは大方針を示す、すなわちガバナンスであり、個別のマネジメントではない。

そしてゆくゆくは、学校が自立的に運営されるような仕組みにしていくべきだ。もちろん、大きな方針は、首長が示す必要があるが。学校方針がコロコロ変わるなんて言う机上の空論的批判はもう良い。大きな方針に乗っている限り、個別の方針がある程度変わるのは当たり前。

保護者主体の学校運営となれば、学校方針は当然変わる。そして保護者主体の学校運営を成立させるためには、保護者に学校を選択させなければならない。自分が選択し、納得するからこそ、責任を負える。私立の小中学校では、保護者が積極的に学校運営に携わる。それは自らが選んだからだ。

選択、自己決定こそが、責任を負うための必要条件。選択・自己決定のないところに責任はない。NZはある程度、保護者が納得できる学校の状況になっているのであろう。大阪市は全然異なる状況。保護者が納得できない状況の学校も多くある。ゆえにまず保護者に選択してもらう必要がある。

いずれにせよ、今の日本の教育委員会制度は絶対に正しい!首長の一定の関与は不当な政治介入だ!という論理は、何も生まない現状維持の論。現在の教育委員会制度を廃止し、一から理想の教育行政を作る必要がある。つぎはぎだらけの制度改正はもう止めるべきだ。

子どもを通わせる学校の選択です。大阪において、公立の小中学校は選べません。教育委員会に指定された学校にしか行けません。RT @wanitoraion: @t_ishin 何を選択するんですか?(橋下氏 twilogより)

(引用)

保護者は学校の当事者 教育経験ない校長「あり得ぬ」

■NZの教育事情:下

 【阿久沢悦子】教育委員会を全廃し、保護者が学校を切り盛りするニュージーランド(NZ)。日本でも、橋下徹・大阪市長率いる大阪維新の会が保護者や生徒の「ユーザー視点」を基にした教育改革を打ち出し、注目された。相違点は何か。

 大阪の教育改革は、生徒や保護者に学校を選んでもらうことで、学校や教師に切磋琢磨(せっさたくま)を促し、よりよい学校を生き残らせて教育の底上げを図る。NZとの共通点の一つは、教員や教職員組合が学校を仕切ることへの警戒感だ。

 大阪は、公立学校の先生に式典での君が代起立斉唱を義務づける条例を制定。ルールに従わない教員や組合は許さないという姿勢で校長の権限を強め、改革をしやすくする狙いがある。

 NZも23年前に教育委員会を全廃する際、政府は理事会が教職員組合に「乗っ取られる」と心配した。だが、そのために校長の権限を強化するのではなく、支援や評価を通して保護者でつくる学校理事会の運営基盤を強めた。学校理事会連合会(NZSTA)のロレイン・キール会長は「教員の発言権が強すぎると、子どもや保護者主体の学校にならない。だから保護者を支える必要があったのです」と話す。

 NZSTAは、新任理事への研修や電話相談を通じて経営管理のノウハウや決算書の読み方を指導し、理事会をバックアップする。

 ここから見えてくるのは、保護者を教育サービスを受ける「消費者」とみる大阪と、教育を作り出す「当事者」とみるNZの違いだ。大阪では消費者に選ばれる学校づくりをする校長を後押しし、NZでは地域がのぞむ学校づくりを進める保護者を支える。

 不適格教員の扱いにも、この違いが表れている。

 NZでは、能力が不足していたり問題行動を起こしたりする教師は、雇用主である理事会が罰したり解雇したりできる。NZSTAは、懲罰的な人事をする前に話し合いを重ね、授業や指導の改善を促すよう助言する。無理な解雇は、保護者を労働裁判の被告にしかねないからだ。

 大阪でも今年、保護者でつくる学校協議会が、地域の保護者から不適格教員排除の申し立てを受けて校長に伝える取り組みが始まった。だがその教員の扱いを決めるのは校長。保護者が当事者として慎重に処分にかかわるNZと違い、消費者としてクレームをつける権利を認めた形だ。

 校長観にも差がある。

 大阪では教育に外部の視点を入れるため、弁護士や経営者も校長になる。NZ全国校長会のポール・ドラモンド会長は「あり得ない」と驚いた。NZで校長に求められるのは、理事会が決めた教育目標を具体的な実践を通して実現すること。プロとしての教育経験は必須なのだ。

 いま大阪では、選ばれた学校だけを生き残らせようとする学校選択制の導入に「学校と地域の関係が薄まる」と反発する声がある。選挙で選ばれた保護者が地域の実情をみて学校を仕切るNZでは起こりえない論争だ。

 南島のネルソン市のホープ小は児童数78人。周囲には牧場とワイナリーが広がり、保護者の大半が農場の経営者だ。学校理事会が決めた最優先事項は「子どもが楽しく安全に過ごすこと」。実生活で役に立つ読み・書き・計算をていねいに教え、高度な応用問題は必要な子がやればよいと割り切っている。デビッド・プリチャード校長(62)は「保護者は必ずしも子どもが弁護士や医師など高収入の専門職につくことを望んではいない」と話す。

 テストや受験の結果に注目が集まりがちな日本。ここまで教育を担う覚悟が保護者にあるだろうか。
(朝日新聞デジタル 10/11)

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