橋下氏「(豊洲問題)第2回検証報告書に重大欠陥あり」11/3のツイート

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米大統領選取材の為、ニューヨーク出張中の橋下さん
その間も、こちらの問題しっかりチェックしていますね!

豊洲問題、元市場長ら8人に責任 都が2次報告書  :日本経済新聞

(橋下徹氏twilogより引用)
(豊洲問題)第二回検証報告の重大な問題点。平成21年2月6日の石原元知事の決裁をもって、敷地全体に盛土をすべきとする有識者会議の提言が都庁の方針に確定したと認定。しかしそうであれば石原元都知事が盛土をしない書面(契約書等)にサインをしていたら都庁の方針が変更されたことになる。

都庁の機関決定の根拠を知事一人の決裁に求めることは危険。なぜなら知事一人の決裁で変更することも可能になるから。ここが役所組織の機関決定の最大の問題点。ゆえに大阪では機関決定のプロセスを明確化した。それが戦略会議システムだ。大阪では知事や市長一人で機関決定はできない。

敷地全体に盛土をする方針は有識者会議の「提言」なのか、都庁の方針なのか、ここが最大のテーマだということは以前に述べた。前者なら担当職員による変更が可能。よって第2回検証報告は後者と認定。しかし正式なプロセスがないので石原元知事の決裁に根拠を求めざるを得なかった。

役所組織には機関決定のプロセスがない。知事・市長の決裁が機関決定のように扱われている。しかしそれは大変危険だ。なぜなら知事・市長一人の決裁で簡単に機関決定が変更されるからだ。

第2回検証報告書の重大欠陥。平成21年2月6日の石原元知事の決裁をもって敷地全体に盛土をする方針が都庁の方針になったと認定。そうであればその後、地下空間を認める石原元知事の決裁はなかったのか。あれだけの巨大工事なので、地下空間を設ける設計・契約には知事の決裁があるはず

事情を把握しないまま決裁をした責任者の責任が生じることは当然。しかしそれが都庁の方針を勝手に変えたといえるかは疑問。第2回検証報告書は、都庁の方針決定の認定が粗い。石原元知事の決裁を機関決定の根拠とするなら、変更も石原元知事の決裁だけでできることになる。

役所組織に必要なことは、知事・市長一人の決裁でも簡単に変更することができない機関決定のプロセスを設けること。大阪での戦略会議システムがそれだ。石原元知事の決裁だけが機関決定の根拠なら、地下空間を設ける契約書に石原元知事のサインがあればそれが都庁の方針となる。

第二回検証報告の重大欠陥。平成21年2月6日の石原元都知事の決裁をもって敷地全体に盛土をする方針が都庁の方針になったと認定。ではその後石原元知事がその方針を変えるような決裁はなかったのか。この点を厳密に調査した結果を報告書に記載すべき。この視点の記述が完全に抜けている

(10/30のツイート)
規模の小さな田舎自治体ならともかく大規模自治体だとある程度の論点整理の資料がなければ知事、市長が全ての事項を答えられるわけがない。地方議会には役割が2つ。1つは行政とのガチンコ議論。2つは自治体の最終意思決定。後者はシナリオが必要。閣議決定も同じ。全てがガチンコの議論ではない。 twitter.com/ShinichiUeyama…

盛り土しなかった事を言わなかった件
豊洲問題。地下空間の隠蔽は、都議会が生み出した。 – 東京都議会議員 やながせ裕文 オフィシャルサイト

議会の方から何かしら圧力があったのか?
もしくは、議会で蒸し返されるのを忖度して、隠し通したのか?

この辺りもしっかり調査が入るのか?
やはり闇の中なのか?

「トカゲのしっぽ切り」で終わらない事を願います…

P.S.
米大統領選
一転、大接戦の様相…

こうなってくると、当初の予想より投票率が上がる可能性があります。

更に、トランプ氏有利に傾くかも…

コメント

  1. 仲井 より:

    現在からもうかれこれ95年程前の大正十二年に、
    あの関東大震災の起きたその翌年ごろに、この震災をきっかけにして東京魚市場は、其れまで有った日本橋から今の築地へと、移転して開場された歴史を持つ。

    移転後に、場内で営業している魚の仲卸し業者で作った【東京魚市場協同組合】なる組織が降ってわいたように突然旗揚げされ出来た。
    現在の魚市場仲卸協同組合の、まあ言えば実質これの前身である。
    これが今よくテレビで顔を出している例の組合長だ、会長だ、理事長だ、という者ら。

    今の若い人、いや50代位の人も、この時代、今となってはその当時のいきさつについては一般国民や畑違いの国民らにすれば、多分想像も出来ないだろうが、この初めの頃の協同組合なるものの設立という内容は、これはあの関東大震災というこの大災害と物凄く大きな意味を持つ。

    東京中がもう埃と土まみれの焼け荒れ果てての、都市としての行政機能も混乱を極め、そこが自分の土地だ云々で確かな形が区切れない状況にまでなってしまい、生活というレベルからは想像できないほどに荒れ果ててしまった。
    人は食料と寝るところを求めての非常に混乱した地域になった。
    これで大いに喜んだのが実は不法移民の連中らであった。
    朝鮮併合して丁度頃合いも合って、日本に相当数の朝鮮民族が日本に違法に入国が激しくなりだしていた時期で、きちんとした学問や法律も知らない者らがこの大震災の混乱に乗じて日本人居住の地域での略奪による館を求め東京中で存在しだした。
    初めはまだ朝鮮国籍の状態で。
    その時期にその混乱の真っ最中の当時に、東京魚市場が日本橋から築地に移転開場して営業が始まりだした。

    ここでとんでもないことが実は当時起きた。
    今にまでこの組合存続自体は歴史が繋がっているんだが、この築地の魚市場に出来たその初っ端の当時の協同組合なるもの、これは実は当時の地回りがごとくにうろついていたゴロツキの”やくざ”もんが勝手に立ち上げしかも仲卸業者を暴力的に脅迫で無理やりこの出来たばかりの協同組合に参加させ作ったものだと聞いている。

    しかも理事長には”やくざ”もんの組の組長が、当時組合設立と同時に就任していたという話だ。
    しかもこれが伝わるところでは、日本人では無かったという。
    つまり今も続いて残るこの東京築地市場というものの仲卸協同組合なるものの初代のトップは、実はやくざもんが就任してすべての仲卸を仕切り、言うがままに値も仕切りも、やくざもんの都合よく牛耳っていたという。

    つまり早い話が東京築地に集まってくる魚の、そのセリ値にしても、仕切り価格を、思うが儘に勝手に高額に決めさせたり、好き勝手に値を吊り上げたりを勝手にそれら朝鮮人”やくざ”もんが仕切って業者に無理強いをさせての決めさせていたという話もよく聞いている。

    以前に書いたことがあるが、大阪天満市場周辺での終戦当時の天満にあった闇市でも、之と同じことが起こり、当時其れまでそこでやっていた日本人の魚や青物、果物の卸業者、この日本人仲卸業者の持つ市場での権利を、これを勝手に朝鮮人輩がそこを闇討ちで襲い掛かり、勝手に強奪奪い取りにきて、そいつらと日本人仲卸業者が抗争を重ねて闘い、日本人側が自分らの権利を力で対抗して守ろうとして、堅気の素人なのにわざわざ日本人やくざに見せかけるためにきれいな肌に肩周辺から背中、二の腕の肘から上部にまで、墨を入れて、それを奴らに見せて、
    【俺はやくざだぞ】と朝鮮人に脅しをかけて、市場の権利を守ろうとまでしたと言っていた。

    今回豊洲移転という内容が表で騒がれだして、テレビにも色々と多くの業者とされる人物が、組合関係者だとする人物らが、彼らが自分は築地の市場の仲卸ですなんて出てくるんだが、テレビで見ていると現在そこら辺の普通の叔父さんのような風体、姿に見えている東京築地市場の業者も、今から100年近く前に日本橋から築地に移ってきた当時からそこで仲卸業をやっている業者は、こういう歴史の中を通って現在がある。
    闇の組織の世界をつぶさに目の前で見て、そこの中でそれぞれが生きてきたという歴史があるということだ。

    中には脅迫と脅しと暴力で、其れまで日本橋でふつうに営業していた業者が関東大震災というとんでもない災害の後に東京魚市場が行政で築地に移転後に、ここに勝手に権利を持とうと乗り込んできた朝鮮人やくざが、朝鮮人やくざが突然乗り込んできて、築地の卸業者の権利を朝鮮人やくざが略奪強奪も多分結構あったと想像できる時代背景であった。

    現在揉めている築地から豊洲への移転問題、
    豊洲への移転という問題になんで暴力団云々の内容がこれに絡んで出てくるのかと思いがちだがそれにはこういう昔からの築地移転当時にもこういう暴力団、つまり朝鮮人族とのこじれた問題が当時からそこには存在し、100年ほど経過してもやっぱりここにまだそういう内容がくっついていたとは。

    噂では東京都議会の議員が、その朝鮮陣暴力団と密接な関係だとも内容が出ているが、それも築地発足当時のことを思えばそれもごく普通に起きていてもおかしくないなあと。

    東京警視庁も公安もいったいどうしてるのかねえ。
    一気に取り締まればいいのにねえ。
    不法移民という朝鮮人内容を奴らに目の前に突き付ければ、ごろつきの朝鮮民族利権など東京から一瞬で吹っ飛んでしまうと思えるが。国外退去命令をやればいい。

    すべてを一掃できるのではと思うんだが。

    不法である移民で、しかも暴力団まがいであれば、日本にそんなものはいてもらわなくていいので、国外追放は至極当然かと思う。
    今起きているというがこういう内容は多分そのまま昔の大正時代の発足当時の名残が引きがれつつここまで来ている部分があると思えるので、昔起きてたとされるその当時の築地という地域の内容かなあと。

    何で東京都議会議員と朝鮮人暴力団が利権でつながってるのかという内容まで当時と重なる部分があって、こんなことまでが今回の移転に関して出てきている。

    小池さんもこの昔の過去のいきさつも一応は知ったうえでこういう連中相手なんですよと、普通の相手ではありませんよと、それをわきまえての解決にもっていくだろう。

    都庁の職員も朝鮮人が多いので、奴ら同胞が狙う内容は同胞の職員もすぐに想定が、予定が解るだろうから、どうやるかは解るのでは?

    日本人には、奴等朝鮮人の強欲の加減、この奴らの描く欲の限度はこれだけは違う民族の考えになるのでここはさっぱりわからないとしてもだ。

  2. 仲井 より:

    築地から豊洲への移転について、
    何であれだけ共産党がこぶしを上げて徹底的に反対し、なんでこれだけ反対活動をやってきているのかという部分に、実は怪しすぎることを想像してしまう。

    大正12~13年と言えば、日本が朝鮮半島を併合してしばらくが経過した時期、このころの東京があって、そのころに起きた関東大震災というもの凄い災害。
    この時期に一体何が東京で起きていたのかを皆さんもちょっと考えてみてください。

    これだけの大災害を受けて多くの東京の人が死亡し、多くの人が怪我をし、殆どの人がその日の住む家、寝床、及び食料も満足には簡単に手に入らないほどに被災による混乱状態であった。
    人々は日々の食糧調達にも困り果てていた時期、丁度そのころに、それまで有った日本橋の東京魚市場が、その混乱の時期にこのままでは駄目だと、そこで復興の対策として都市計画の中で東京市が築地への移転という内容に考えたのだろう。
    日本橋から魚市場をどこか適当な場所へという所から出てきたのが現在の築地で、そこに移転した。

    問題はここからである。
    当時の東京で、関西ほどの勢力まで行かずとも日本人暴力団も大勢が縄張りを持っていただろうし、だがそこに、そこに勝手に朝鮮からやってきて、ただ暴力でだけしか生きていないような連中らが、そこらじゅうで東京市内でまだ縄張りも決まらない旨い餌だけを探して流動行為を繰り広げていたゴロツキ朝鮮人も、当時大勢が日本で何かうまい話はないかと周りに目を光らせて漁ってそこらじゅうをうろついていた。

    これが当時の東京での朝鮮から海を渡ってやってきていた、入り込んできていた朝鮮人奴隷上がりの集団。
    食えるものならなんでも奪おうとする連中。

    関東大震災が発生し旨い事に東京市内中がとんでもない混乱状態に陥った。食料を探してうろつくものまでもうとんでもない状況。
    役所はkの状況を治安と対策、対応で役所機能でそれをすぐには鎮静化できない状態であった。
    役所、警察の機能は全く動かない、とんでもない混乱の中であった。

    でもここで日本橋にあった市場をこれをとりあえず江戸前の近いところの築地にもっていった。
    ここでこの不法移民の朝鮮人ごろつきらが色めき立った。
    これはしめしめと。
    旨いことができるぞと。

    混乱時には食いものへの執着はこれは生き物の本能でここを牛耳れば必ず旨みがあるということを気づいたこの朝鮮民族奴隷はすぐにここを縄張りにすることを選んだ。
    足がつかずに野良犬状態でそれまで見えるもの見えるものすべてをあっちこっちで奪い取ってきていたが奴らはここでようやく足固めの場所を見つけたのだ。それも東京東大都市の食糧の奇異の場所、これを牛耳れば相当なものになると踏んだこの連中は東京市の役所の連中まで脅したのか金で釣ったのかわからんが、結果としてこの移転したばかりの築地の市場の運営を牛耳ってしまおうと考えた。

    そしてこれを法的にいかがわしそうではなくて奴らが巧妙に練り上げたのが実はこの市場の中の卸業者が主体で作ったかに見せて作り上げた卸業者協同組合ℬなる組織、これを勝手に作ってそこを拠点として当時築地の魚市場全体を暴力と脅迫で牛耳ったのだ。
    常に拠点を持たずに東京市内をそこらじゅうでうろつきながら手当たり次第におとなしい日本人を恐喝で、奪えるものを徹底して手当たり次第に悪事を重ねてきていたこの朝鮮人奴隷の連中が、この連中が、奴隷が、この築地という旨みが得られるこの場所で、ようやく自分の決まった地盤の築地という縄張りを作った。
    手に入れたのだ。

    法律で摘発できない協同組合という看板を掲げた表向き一応は合法的組織に作り上げた。だが中身の実態はもう や く ざ 組織の内容で、朝鮮人奴隷が表では組合の顔をして実際は奴隷が暴力行為で脅迫でこの市場のセリ値決定から食料囲い込み独占による食料品価格つり上げに至るまでを、牛耳っていたのだ。

    しかも、やくざの組事務所という名称ではなくて、東京市も口出しが出来ないように卸業協同組合なる名目を掲げていかにも合法的に見える組織を作ったのだ。
    これが今有る築地市場の出だしの折の築地の魚市場協同組合なる組織の発端。
    このことから生まれたのがこの協同組合。
    皆さんも大体想像できるだろうがやくざ組織というのは自分の縄張りという者が都市区間の区尻によってある程度決められて存在する。

    この地域のこの道を隔てるあそこからは、ここまでは俺たちの縄張りだ、とかいう所謂あれだ。
    この築地から今回豊洲に移転となれば何が一番問題が起きるかと言えば実は面では出さないが実は や く ざ もんにすれば自分の縄張りの範囲を動いて移転という者であれば別に何ともないが、もしも仮に現在の築地の位置と豊洲の位置とで、もしも縄張りを持っている や ● ざ もんがそれが違う地域に出ていくとなれば、これが実は都市計画の移動という内容とは別にとんでもない裏での抗争が起きるのだ。

    名古屋でのトヨタが工場をあそこに建設時に、表で出さないがあの時にも、底辺では暴力団の鬩ぎ合いでの縄張りの複数移動が起こり、表とは全く関係のないあの連中で言ういわゆる縄張りでの互いが納得いく手打ちが非常に大きく作用することがある。
    この取り纏めに実は役所も当事者企業も非常に難儀することがある。
    トヨタの時のあれと、あれと同じことが起きる。

    まあ今回の築地にもこれが実は背景にあって、だがそれを石原さんという腕っぷしでの剛腕の都知事がこれを文句を言わせないでやると宣言し、移転を進めた結果、この豊洲への移転が一応決まりだした。移転に当たっては水面下でこの暴力団の縄張りの解決が必ず必要になって居るのが普通。

    日本人 や ● ざ は、そんなにこういう都市計画などの折には、揉めないが、朝鮮人奴隷上がりの や く ざ もんは、元から日本には何にも持っていなかった連中で、そこにまんまと諸手で泡で強硬に奪い取ったものなので、奪ったものへの執着は実は非常に強く、絶対に渡したくないというドロボー独得の心理がものすごく異常に強い。

    人から奪ったものを奪い返されることを、朝鮮民族は極端に嫌がるし怖がる。
    公務員の職、公務員優遇などこの典型。
    これらは奴らが仕組んで奪い取った朝鮮民族の計略である。

    だから一度手にしたものは絶対に手放そうとしない。
    手放せばまた昔の何もなかった当時のあのタカリだけで食っていた朝鮮人奴隷に戻る恐怖を持っている。

    共産党が何故この築地から豊洲への移転をここまで反対するのかの理由、
    実はその裏には、実は築地を縄張りにしている朝鮮人輩のこういう連中の手先となって、なんじゃらかんじゃら、とにかく因縁をつけて難癖を煽って、縄張りから得られる利権を失うと、この移転を何とか潰したいというこの縄張りを持つ や 〇 ざ 連中の意向を受けての、しかも同じ祖国を共有する者同士、日ごろ連携のある同胞の意向の手先で動いてるのでは?って、私などは思ってしまうが。

    東京警視庁はもうそろそろここら辺も洗うべきでは?。

    以前の、名古屋のトヨタの折には、なんとまああの、愛知を寝床にしていた後に内閣にまで入った元警察官僚が、ここを収めて話を収めたとも巷では流れているが。

    この警察官僚については、その現役時代から北朝鮮の例の業種との懇意すぎる癒着がかなり前からうわさで出てるが。

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