6/20維新の党「安保勉強会」(大阪)冒頭映像&橋下最高顧問に関する所属議員ツイートなど

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この存在感…維新「橋下氏ありき」の党運営変わらず 主導権争いに影響も(産経WEST)

安保政策に関する特別勉強会 冒頭部分&勉強会後の囲み取材


(期間限定公開だそうです)

江田憲司議員facebook

実は、この数日来、この勉強会の前に是非私と議論したいと橋下さんから電話があり、かなりの時間を費やして議論した。そして、その論点毎の私の意見はペーパーにして勉強会に提出した。小野次郎安保調査会長からは、この両者の荒ごなしがあったからこそ今日の議論もスムースにいったという報告を受けた。橋下さんもよく私との議論を引用していたという。

関連
橋下市長「維新の党の国会議員も、ぐちゃぐちゃ言っている奴がいるな。」6/19ツイッター

コメント

  1. 仲井 より:

    日本の国が今どういう状況で、
    日本の国が今のこの状況のままでいいのかどうか、
    いや、
    日本はこのままでは駄目だろうと、
    そこらへんの家一軒を護るとかいう内容ではなくて、国家、国というものをきちんと守る。
    国民の安全と生命を守るというこの一番大事な部分に立てば、おのずと政治家が今何をすることが必要なのか、
    それともホントに何もせずに今のままでいいのか、
    いやいや、やっぱりそうではないと思うのか。

    今のままでは国家、国民は安心して日本という国を見つめていられない、少しでも不安の部分があればそれはそれを補完する手段があればそれは早急にやるべきであると考えるのか、
    それが安保法制なのか、そのことが今国民に問われて賛否両論出ている。

    これを議論すること、それには憲法解釈云々もこれも必要、
    だか、一番大事なのは
    今何もせずに日本はこのままでいいという者、
    いやいや、
    今のままではこれでは国民の安全をきちんと守れる状況になっていないと思う者、
    ここだ。
    それをどっちを選んでどうやるのかを法律できちんと文字で挙げて決めていくのは、これを出来るのはやっぱり政治家だけである。

    橋下さんのこの安保法制についてのそもそもの根本部分、
    国民の生命財産、日本の国家をどうやればきちんと守れるのか、
    この一点にきちんと立ち返ってそこで政治家がこの法案を作る上で政治家としてそれぞれ己が己が日本の国家を護るというこの覚悟、この覚悟を持ってきちんとそれぞれが意見を出し決めていくのかを個々の政治家が自分自身でその法案を作っているのだということへの自覚と覚悟を、それがほんとに持てるのかを、政治家自身に、全員に突き付けた。

    これは私も戦後から与党野党の国会論争をかなり見てきたつもりだが、今回のこの安保法案に関してこれまでも論議はかんかんがくがくやってきていたが、
    日本の国家を護る法律ということのこの内容で、
    これを言葉で出したうえで、個々の政治家に、
    【こういう国の安全という国家存立にかかわるような法案を出す政治家は、自らが了としたその法案を出す時に、国民を代表しているという自覚と、政治家としてそれにかかわる当人だということの覚悟を、これを持っているのか】、と、
    【本当に覚悟をもって法律を出せるのか】と、
    政治家全員に向けてこれを突き付けた政治家を、
    今まで少なくとも私は見たことが無い。

    これに私はもう大賛辞を送りたい。
    よくぞこれを政治家に直接突きつけてくれたと。

    もう全く持ってその通り。

    橋下さんのおっしゃる通りだ。

    どういうものが出来上がって今回の安保法案が出てくるかはわからないが、本来政治家という立場に立てば、その覚悟無き者は政治家ではなくてそこらへんのおっちゃんおばちゃんになってしまう。

    そんな連中は国家の存立がかかるような内容についてそんな大事な法案など作れないのだ。作る立場に立ってはダメなのだ。

    その意味で今回の橋下さんが各多くの政治家に投げかけたあの深夜のツイッターは、私は非常に意味があって、政治家自身の今立っている位置がどれぐらい責任と覚悟が要るところに自分が存在しているかを、維新の政治家だけでは無くて他の党も含めて政治家というものがどういう責任を負わされている立場かということを自らの責任を彼ら全員に改めて覚醒させた。

    私はこれは非常に良かったと思っている。

    ぐちゃぐちゃテレビやろくでなしのマスメディアが伝えて、
    「維新はいや分裂だ」の、まあ下種な朝鮮流の【離関計】を仕掛けてきていたが、
    さすが下地さんとか柿沢さんだとか、こういう骨が入った仲間が加わってきてより以上にここまで維新も政党として良くここまでの党になってきたなあと、あんな【離関計】のような薄汚い朝鮮流仕掛けにはびくともしなかった。
    むしろ良い党になってきたことを逆に印象付けた。

    私の想定していた時間以上に、早くも政治家の政党の集団になってきだした。

    下地さんも、日本でもほんとにひどい癒着構造のど真ん中の伊達にあのとんでもない地域のあの地区での選挙区地域から出てきていたわけではないことを、そのことをうかがわせる。
    彼の力量をうかがわせる。

    民主党時代に、国会で沖縄問題を自分の党の民主党政権にその喉口に突き付けてまで真剣に政権の愚かさを追求していたあの時の下地さんを今でも覚えている。
    まさに政治家としての基本である国民に対して責任を政治家は持つんだという一番備えるべき覚悟というものを、実は彼は備えている。

    良い人物が維新の党に参加してくださったと私は個人的には素直に下地さんの参加を喜んでいるし、頑張っていただきたい。

    これもやっぱり橋下さん松井さんのその能力、法律に関する解析能力、説明能力、実務能力、加えて政治力、何と言っても橋下さんの政治理念の根底にある、とにかく何はさておいてもとにかく国民への熱い思い、そして日本の若者への将来へのこのもの凄い熱い思い、
    すべてこれらに基づく発言の洞察の意味するその力、パワー、
    ここら辺の凄さが解る。

    橋下さんの、すべての政治家に向けてのこの言葉、

    今の政治家は覚悟が無い!

    覚悟の無い者が日本の安全など語るな!

    覚悟の無い政治家は法案など作るな!

    覚悟のある者が日本の国家を守る法案を作れ!

    こう言っているように思えて、
    もう全くその通り!

    そういう政治家よ!維新に集まれ!って。

    逃げ腰なら政治家の世界から足を洗って出て行け!って、
    そんな覚悟の無い者などは初めから政治家になどなるな!

    国民に向けて会見で、
    正面を、まっすぐに前を向いて水も飲めぬようなあんな怪しき政治家など要らぬ!会見場で水を飲むときに、飲み物を飲むときに、まっすぐ正面の方向を、前を向いても飲めないような、公僕からは程遠かったあのチンピラの兵庫県議のように、あの横を向いて飲み物を飲むような朝鮮流作法を、この日本でやるような政治家など日本には要らぬ。

    ここは日本で、日本の国民の心、国民の安全安心を求める心に政治家として今何が必要なのかを覚悟を持って決められる政治家を日本国民は求めている。
    何にも方策を出せなくて、ただそれはダメだダメだという覚悟の無い無能な逃げ腰政治家は、この間の都構想議論で反対していた議員らを見せられて反吐が出たあれを見てよくわかる通り、この日本の国家には全く必要ないし、もう要らない。

  2. 仲井 より:

    覚悟を持てるかどうかが政治家の肝の部分で、それを国民が感じられれば、その政治家に信頼と安心感を抱く。
    維新に今それが実りつつあると信じる。

    小泉純一郎の息子が自民党政治家で存在している。
    言っては悪いが、彼が政治家になってから彼がこれをやったと、具体的に彼が先頭にたって日本国民のためにこういう政策を打ち上げ、それを彼が陣頭に立って先頭にたって何かを動かせたのか、
    動かせたというものがあるのかと聞かれれば、それをまだ見ていない。
    報道で見る限り、東日本大震災のあの被災地地域に、
    福島地域中心に発生した月日付けの毎月11日の日付けに現地を訪れて現地の人に顔を見せてあげることで、それなりの心の癒しになっているのかもしれない。
    それぐらいしかあまりこれと言ってあまり知らないほどだ。

    多少とも元気を、亡くなられたご家族を持たれている被災家族の、その忘れられない悲しみを抱えた人らの心の置き所に、彼が訪れ目の前に現れることでの暖かい何か言葉では表せない息吹きを与えてあげているのかもしれない。

    彼の顔を見て、小泉という政治家、あの男を見て日本の国民は何故何か安心感というか日本の政治家であの男であればいいとそう思えるのか、
    実はここ。ここの部分が日本人のおおらかさである。

    実はいま失われかかっている日本の政治家すべてに言えるんだが、ここがいま国民から日本の政治家が求められている或る種別の意味で一番大事なものなのだ。

    彼はこれと言ってほとんど日本の国家に影響を及ぼすほど目立った内容を行動で政治活動で政策論でのやったわけではない。にもかかわらず国民が彼を見て何か安心感を日本の国民は持ってしまう。
    ここの部分はいったい何なんだろうと。

    仁徳とかそういうものではない。
    小泉首相の息子だからというものがいてるが、それも数年たてば色が剥げてくる。ここが実は面白いのだ。

    彼のことを、日本の国民の多くが何故魅力を感じているのか、
    何処に、彼のどの部分に国民の多くがひきつけられているのか、
    ここ政治家になってから数年、何にもこれと言って何もやっていないのに。
    彼はここまで直接国民に影響を与えるほどのことを、彼を政治家に選んでよかったと何か具体的にどうだと言われればそれも思いつかない。
    日本の政治家としてまだほとんどやっていないと思える。
    では何故なんだ?って。

    ここで前夜ここに書いたことにつながってくる。

    政治家小泉慎じ郎という男は、
    マスメディアが作ったということも言えるには言えるんだが、でも国民から見て彼は誰が見ても何事も覚悟をもって取り組む男だろうと、覚悟をもって何事にも向かってやってくれそうな男だと、そう思われているようだ。

    日本の政治家でも珍しく、男としても覚悟が持てる政治家だと、そういう印象を持たれているのだろう。

    怖いもの知らずで歯にもの着せない物の言い方ということも、そういう印象も持たれているのだろう。
    彼ならどんな難解な問題でも、国民のためなら政治生命をかけてでも、どんな抵抗勢力が出て来ても怖がらずおじけず自分で覚悟をもって多分向かって行って多分やってくれそうだというそのイメージが出来上がっているようだ。

    彼を見ているだけでその政治家として彼は覚悟が持てる政治家だと思わせてしまったのだ。
    だから誰もが国民の誰もが何か彼を見て任せてもよさそうだという不思議な安心感を彼から受けているのだろう。

    私に言わせれば、まだそれは人形であり、ただの印象だけであり、でもそのことも実は国民にすればそう思われる政治家は必要なのだろう。
    国民のためにほとんどこれと言ってやれていないが、でも何か覚悟を持ってやってくれてそうに見えるということも。
    これも政治家には必要な要素かもしれない。

    時には瞬間の過激さも秘めた或る種信仰宗教の教祖のような。
    現状国民の多くが、彼に向けてなぜかどこか手を合わせているような。
    でも彼のような実態は何も覚悟をしているとは思えないが、でも覚悟がある政治家に見られていることからくる国民の不思議な安心感というか、この不思議な安心感の出所、存在も、今の日本の政治家には必要なのだろう。
    安心感を持たれるようなこんな男も珍しい。

    何もしていなくて国民に安心感を与える政治家なんて、今まで見たことが無い。
    彼がものを言えば何か許せるというか、何もできないことが解っているのに、何かしら彼にやってもらいたいと思う国民は多いのかも。

    でもこれは政治家ではない。
    これは宗教の世界の範疇だ。教祖の範疇だ。

    彼が今後きちんと多くの政治家を引き付けるだけの発言の中身、多くの政治家を覚悟をもってそれら多くの国民、政治家にやりたいと思う政策を実務的に納得できるように説明が出来て、具体的に法案で実務で示せるのか、彼らを動かせ、霞が関の官僚をも首根っこを引っ張ってでも、自分のやろうとすることを、その実務を、彼ら官僚を国民のために引きずり回せられるのかを、見てみたいものだ。

    政治家の一番求められるもの、
    それは、男として政治家としてその覚悟を見せられるかどうか、
    そして、それを国民が肌で感じられたかどうか、
    維新とか狭いことを言わずに、政治家としてこの国民に常に覚悟が出来る政治家の集団にもっていっていただきたい。

  3. 仲井 より:

    言っていることがまともかどうかは少し置いといて、
    最近は、発言がまるで常に左巻き連中から集中砲火に合う形ばかりになってきている作家活動しているあの百田さん。

    私も彼の発言を百%支持しているわけではないが、
    一寸別の意味で過去に実は起きていたことと今回の問題にされていることとを、合わせて見ての見解を書いてみたい。

    今回の自民党若手と会合を開かれたその席で、議員らとの会合で自民党議員側から出たとされる【新聞社を抑えるにはスポンサーに撤退させるのが一番、経済連云々】というこの内容の件だが、過去に実はこんな内容もあったということを書いてみる。
    数年前の民主党が圧勝したあの衆議院選挙が行われて民主党が勝ったその2か月後位の頃のこと、こんなことがあった。

    皆さんもご存じの通り、まだ総選挙で民主党政権が出来たそのほんの直後のわずか2か月後ほどの頃に、新聞報道では連日徹底した民主党叩きが紙面上でやられていた。
    まだつい最近の選挙で出来上がった政権に対してちょっと異常すぎると私は思ったので公平公正に報道すべきだろうが!っていうために東京の読売新聞社に連絡したことがある。
    その時の読売東京の新聞社記者が私に返してきた文言は今でも忘れないが、こんな文言を放った。ごく当たり前にそれでいいんだという言い方で次の文言で言ってきた。

    読売東京記者発言
    【我々は民主党政権を潰すためにやっているんだ】と言ってきた。

    そこでの私の発言、
    【新聞社としておかしいだろうが!まだ始まったばかりの時点で初めから潰すのが目的で連日陥れるための記事を書こうとしてやるのは国民に対しても失礼だしまだ民主党がどういう政権かもわからんじゃあないか!】と返したが、彼らの目的意識が、意図がもう初めからそのつもりが先にあって、それが彼らの中では変わるとかそういうレベルではなくて、初めから民主党政権を潰す目的が先にあってそれにつながる内容のみをあぶりだして、とにかく陥れの工作の記事に徹していく意思がはっきりしていた。
    もはや国が許可して行政許可が出ているマスコミの範疇どころではない彼らの潰したいというその思惑でのみ記事を書くという、このとんでもない意志が、この目的を持っていた。

    新聞社というよりも、もう自民党と利害関係がつながっている者を話したくないという強いよこしまな気持ちが先に出ていた。
    国民の選挙での意志など全く無視状態での民主党つぶしたい活動であった。
    或る程度期間が経過して、国民の目に、この政権の方向性がゆがみが出ている状況になる頃にやるというならわかるがまだ何にもやっていないその時点でもう潰すためにやっているというこのおぞましい傲慢で卑劣な行動に私はものすごく腹が立って怒鳴りつけたんだが。

    【ふざけんな!、お前ら何様やと思ってるんじゃ!、お前らタカが瓦版ごときが、まるで国民の上で国を仕切っているとでも思ってるのかあ?何様やと思ってるんじゃあ!】と告げたことがある。

    もう一つある。
    この間の住民投票での橋下さんの街頭でのタウンミーチング場所で新聞社の記者がその場所に来て、街宣車の近くに寄ろうとしていたその記者をダメですと近くによることを係りの人らがそれをやろうとしたらその記者がなんとまあとんでもないことを偉そうに発言した。
    【維新など潰したるわ!】と叫ぶように怒鳴って発言した。

    これには私も例の民主党のその折の時のことを思い出して、日本の新聞社がここまで有りもしない傲慢が通じるとでも思い込むこの認識をいつごろから普通にもって偉そうに言いいだしたのか。
    それが彼らは通用するとでも思い込んでいるその神経の些末さ、下種さ加減に、日本の新聞社の記者と称する連中の、こいつらの生まれてきたその家庭での育ち方、そいつらの子供時代に親から伝わる日々の会話でのそのそいつらの家庭の状況が、いかに薄汚いかが想像できる。まさにそいつらの元から持っているその素性を計れる。

    朝鮮半島人は文言の中で、常に【上の身分】というこの文言が、彼らには、日々の生活、社会、学校、仕事の現場、すべてにおいて一番大事であり、ことを常に自分の中の考える基本中の基本の骨の部分で目線の最大の中心線で、これがもう最大の関心事で、この意識の上に立って物事を考える思考回路になっていて、そこは日本人が解らない感覚でもって育ってきている。

    常に人から評価で比べられることはまず絶対に避けて通るくせに、常に頭の中では人よりも自分が絶対に上に立ちたいというもう日本人の感覚では絶対に死んでもわからぬこの感覚がすべてで生きているのだ。
    だから少しでも自分を追い越すとか自分と並びかかってるとか自分より絶対に下の能力だと思ったらもう徹底的に持っても居ない身分が上の者にでもなったかと大海古無意識でもって相手を徹底して潰しに来ようとするのだ。

    だからそこには卑劣な手段はもう彼らにはごく普通の手段であり、と相手の不具合部分を徹底的につつくことで自分が相手よりも上の立場に立てると思い込んでいるのだ。

    奴隷から日本に来て、日本国籍を騙し取れた時点で彼らはどれの身分から抜けたイコール身分が上がったと思い込んでいるのだ。
    そこに今度は日本で公務員になりこれはもう彼らにすれば奴隷を抜けたというだけではなくて朝鮮人奴隷身分の者にすれば、もうものすごい絶対なれるはずもない高い高い朝鮮で存在していた官職の身分に上がったと思い込んでいるのだ。

    公務員が朝鮮人ばかりになりだし新聞社の連中もこいつらが日本人ではなくて朝鮮人奴隷が日本の役所を騙して日本の公務員になっていることを全部知っているのだ。
    だからこの相手に対して自分のことが朝鮮人奴隷だということを差し置いて相手が自分よりもまったく下の奴隷の身分だというぐらいの認識で相手を見ているのだ。

    だから日本の新聞テレビ局の連中がいつの間にか身分が高いところに自分がいてると思い込んでそれが傲慢に好き勝手に国民西津y令極まりない行動活動を平気でやっているのだ。

    奴らは国民のことを、人間だなどと思っていないのだ。
    朝鮮では国民のほとんどが奴隷の身分だったことがそのまま奴らは自分は日本の国籍を騙し取ってそのことで彼らが思っている奴隷の奴婢の身分を抜けたというその時点で、自分はまるで朝鮮での一応高い身分とされる官職と同等の身分に上がったんだと、だから、国民等は犬や豚と同じあの国の感覚で奴隷の奴婢と同じ連中だぐらいにに見えているのだ。

    だから住民投票でのタウンミーティングの会場での潰したるわだとか民主党政権成立まなしの時点でつぶすために記事を書いているんだと言えるわけだ。

    身分の低かったものこそこういう【身分】というものにものすごく敏感で、その割に彼ら奴隷制度の奴隷上がりの者こそ、この【身分差】を自分が身分で上に存在する条件でのこの身分差というものをどこの現場でもとにかく作りたいのだ。
    それは自分が現状奴隷の身分からすでに抜けているという意識で物事を考えているからだ。
    とにかくどんな現場でもこの身分差という内容を相手と比べさせて作ろうと身分の差を相手に感じさせたいのだ。

    有りもしないこの身分差というものを朝鮮人がこれは絶対に有るモノだと思い込んで育ってきているのだ。

    お受験、公園デビュー、不正入学、学歴、職業種、収入、財産、自宅、家系、ブランド品、とにかくこれにこだわる。
    ブランド品が無ければ身分が下のように見下げていく。
    朝鮮人の典型的思考回路の認識。
    テレビで出ているブランドでなければ持てないという連中、これは世間で言われrている内容は当たっていなくて、奴隷の身分から抜けている自分がいてることを、奴隷ではないよ!、自分は身分が高い出身だよ!と、回り周辺に自分が奴隷などではない身分の高い家の家系の出だよと、お前らより自分は高い身分にいてるんだと、それを解らそうとしているのだ。

    これが日本に不法に渡って来た朝鮮人が、日本の国籍を騙し取って日本には奴隷制度もなく身分制度もないのにそれでも彼ら朝鮮人には常に身分制度のあの世界の状況が恐怖で忘れられないのだろう。

    絶対に身分の高いところに存在したいというもう考えられない執念を持って育ってきているのpだ。

    だから結婚相手でも、今のこの時代でさえ相手と釣り合わないなどという文言がテレビでふつうに番組で出演者が発言しているのだ。

    日本ではありえない感情である【朝鮮人には身分が同じ同士での結婚】、つまり釣り合う相手との結婚というのが、彼らにはごく普通にそう思い込んでいるのだ。
    日本人にすればそんなことどうでもいいんだが、だが、朝鮮人にすれば彼らの中では、この世の中ではこれが実は一番大事で、そういう目線で相手と比べ合うという部分が、そこを見てしまうのだ。

    奴隷同志だったものがいつの間にか日本で資産をつかんであたかも身分が上になったとでも思ってるのだろう。
    奴隷が奴隷から抜けるわけないんだが彼らにすれば奴隷から抜けていると思っているのだろう。

    日本人はそもそももとから奴隷などいないと思っているが、でも日本のマスコミは朝鮮人ばかりで出来ているので、テレビでも必ずこの身分差をことさら取り上げて出してくる。
    芸能レポーターで本当の江戸の時代までさかのぼって日本人がいてたら教えてほしいぐらい。

    奴隷とは絶対に結婚させない、したくないという認識がそのまま残っているのだ。
    だから【夫婦別性の法案】が彼らには絶対に必要なのだ。

    奴隷から日本人に入れ替わっていることがいま誰もが確認できないので奴隷家系とは家系図をいっそに入れたくないのだ。だからそれが解りにくいのでそれなら別性にして戸籍の家系図を別にしておきたいのだこの法案を出していた議員の顔ぶれを見ていただきたい。

    日本人は何処にいてたかを教えてほしいほど。
    奴隷の家系図には絶対に同じにしたくないという朝鮮人だけが解る彼らの一番最大重要部分なのだ。

    どうやってもこの意識からは抜けられないのだ。
    日本人になったからと言って何も身分が上がったかと彼らは思い込んでいるようでそこに念を入れて財産をつかめばその奴隷の身分など吹っ飛ぶと、もうバレることなどないと、これはもう何百年経とうが奴らの頭の中からはぜったういに抜けきらない日本で日本国籍を騙し取った朝鮮人の悲しい性である。

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