橋下徹生出演!「誰もが気になる維新・公明騒動そして都構想の行方を語る」

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しばらくブログ更新出来なかった内に、大阪は大きく動きました!

2018.12.27
このタイミングで
在阪、報道ワイドシューに橋下さんが生出演しました

※残念ながら動画は削除されました・・・

<<下に続く>>


とりあえずアップ
感想は後ほど・・・

こちらの記事も面白かったです!

松井知事と公明党との勝負について。 昨日の夕方より大阪入りです。 すぐにずっとお話したかった維新の議員さんとお茶をしながら2時間以上のブレスト。本当に大阪維新の面々はすごいです。層の厚さが半端ない。勉強にもなりますし、大阪で維新が強い理由もよく分かりま

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コメント

  1. 仲井 より:

    今日の中で、
    外国人流入の内容の部分に関して、ここで之にも触れる発言が出た。

    「誘致先が大阪に決定されてから、そこから僅か3年という期間しかない、あの広大な用地でのIR施設の工事が果たして完成させることが間に合うのか云々についての問いかけを受けた。
    そのことで、
    「間に合わせるんだよ」と、
    「人手が足りない問題だとか、そのこと二も関係するが、工事云々での資金が現状の予定予算を大きく超えていって、予定よりも高騰するのではとか、まあいつものような普通のバカらしい質問が出てきた。
    この折に橋下さんが言った「人手云々はこれについては人件費を上げればいいんだ」と。
    そういわれた。
    もうその通り。
    昔の話をして誠に申し訳ないが、あの日本の高度成長期に入る直前ごろの昭和30年代の初め頃、日本ではいったいいくらぐらいの金額をこういう工事の労働者に給与が支払われていたのかをちょっと思い出せばいい。
    現状の大阪もここ何十年と沈没してきたこの大阪がようやく先が見えるような明るい高度成長期のようなあの頃の雰囲気にちょっとに通いだしてきているこの空気の中、人件費をケチって低賃金で人を雇おうなどというそういう料簡は経営者側はもう捨てる時期に来ている。

    今大阪が、戦後のあの大阪で開催された万国博以降、大阪の政治家行政、こいつらがこの時の稼いだ行政の資金を食えるだけ食いつぶして、その時に蓄えたあの万博のあの時の大阪のうまみ資金、旨味から掴んだ貯金を、これを、それ以降何の将来への有効な投資をせずにこいつらがつかんだその莫大な貯蓄を一気に食えるだけ食いやがって、ただキックバックの箱モノだけバンバン作りまくって、結果すべて食いつぶし、ずぶずぶと使い込み、その後何にも残されずにただ食いつぶしたその借金だけが大阪に莫大に残り、それを何とかここにきて橋下、松井、吉村というこのトリオの手によってV字回復へとようやく明るい太陽が見えだした時に、この最大のチャンスの折に、人件費などケチるな!って私は言いたい。

    まさに戦後における第二次高度成長期の入り口に大阪は今入ろうとしているのに、何を細かいことを言ってるんだと、思い切って工事の人件費ぐらい奮発してやれよって。

    昭和30年代に入ったころの学卒の初任給っていくらだったか。
    中卒の初任給って、月給が大体3000円から4000円ぐらいだった。
    中卒の場合にはまだ年齢も低いので、そこを考慮して寝食については会社がすべて面倒を見る体制で日本は従業員への対応は見事なぐらいに素晴らしく組み立てられた社会であった。新卒で卒業しても中途で採用されてもたいがいの町工場であれ飲食、サービス業であれ工場であれすべてが食事と宿泊設備は部屋を用意し寮の完備は整えていた。完全に会社が面倒を見る寮が存在した。

    私が中学生の時に、同級生がその時卒業して高校へは行かずにその子が中卒で今でいう鉄筋工事の会社へと就職した。中卒で15歳の時に。
    その時のその子の、中卒の男子生徒の初任給が、月給で何と16000円であった。

    我々進学するものがちょっとびっくりするほどの物凄い高給の月給だったから。
    当時電電公社(現在のNTT)の高卒の初任給は、月給が7000円前後だった。
    その時のものだから物凄くびっくりしたことがあった。
    当時の中卒での月給が、それが16000円という金額がどのくらい凄い金額だったかを測ると、地方の田舎の人は我々の年代の人は覚えて知っていると思うが当時田舎ではまだ戦後の仕事先も田舎ではあまりなくて(田舎では食うには困らないがでも現金収入がつかめない環境だった)まあ農繁期を外れた時期などのために国が始めた失対事業というのが日本全国で行われていた。

    いわゆる失業状態の人を少しでも面倒を見ようという事業。
    その時のその失対事業、この失業対策事業に参加して働く人たちの給料、まあこれは日当計算であったが当時地域の土木作業などに農業をやってる人らが合間合間を縫って月に数日だとかを、それを日々の現金収入にしている人もいてて、その人らの道路工事現場での作業賃金、日当だがそれが日給で120円から130円程度であった。

    道路工事であの南京袋のような袋で石ころのバラスをいっぱい入れての天秤棒で両前後に肩で担いでのぶら下げてセメントを流すところにまで運んだり、道路工事でそこらをハンマーやスコップで土を掘ったりの、かなりの重労働であったが、それで一か月フルに道路工事できつい労働をやっても、日給は130円ぐらいしか受け取れない時代であった。
    だからもしも一か月フルにそういう失対事業で働いたとしても、せいぜい月に3000円ぐらいにしかならない状態であった。
    この当時にその中学を卒業して鉄筋業の会社へ入社するこの生徒の初任給が16000円であったということがこの金額が今に凄いかがわかると思う。
    大人が工事現場で土木作業をやっていくら失業対策事業といってもそれが日当で同じ時期の当時で130円もらえるか否かの時代に、この生徒は、この給料だったわけ。
    そら驚くよね誰だって。

    日当が600円ぐらいだったんだから。
    しかも食事も寝るところも寮のおばさんもいてて、三食必ずきちんと用意してもらえて、それでもそれであった。
    つまり何が言いたいかというと、
    工事現場というのはそら物凄くきつい仕事だということ。
    あんな昔のあの時期でさえ、中卒高卒大卒で普通の会社が渡す給料の、最低でも2倍、3倍くらいを、この年齢のまだ右も左も何にもわからない新卒の中卒の生徒に会社は当時支払っていたというこの事実を今の建設会社のオーナーは一寸は考えろや!って。

    今の現状で行けばこういう建設労働者に対してまるで見下げた目で彼らを扱いしかもその状況で給料も本当に少ない状況でここまでやってきている。
    空現場で働く工事作業をやる人間など減って当たり前。
    もう今の倍以上の給料を払ってやらないととてもじゃないが彼らの重労働を思えばそらかわいそうすぎる。
    彼らの50年60年前には、大手商社勤務の従業員どころではないもうその彼らがもらうその倍以上の給料を彼らは手にして貰っていたんだから、ものすごい額の給料を手にしてたんだから。
    こういう建設現場で働く人は、もうけた外れに高い給料を当時はもらっていたわけ。

    昭和30年代の入り口で私の同級生が就職した鉄筋工事業者は、この鉄筋工事会社は大阪にあった。
    まさに大阪は、これら土建会社にとっても大阪というのは、鉄筋事業はもう旧坂を上るようにうなぎのぼりにと目安を持っての、これからだと言わんばかりの勢いがあったのだろう。
    そこから僅か10数年であの世界中が驚くほどの瞬間の一日の入場者を記録した大阪万博が行われた。
    まさにこの鉄筋事業者の有頂天の時代であっただろう。
    従業員に寮から何から何まで面倒見てしかも中卒の初任給に、その生徒らに、大手商社従業員の二倍から、うまくいけばもしかすると、三倍にもなるぐらいの給料を支払っていたこの感覚。
    やっぱり世の中は勢いが必要だ。
    こんな今の大阪のこのタイミングで働く大事な従業員に対して、この人ら人間の給料を、ちょっとでも安くなどという、ケチろうなどと考えている企業は、この際もう大阪から出て行ってどこか京都か滋賀か兵庫にでも出て行け!って。

    関テレのキャスターが、
    「人手が足りなくて予算が暴騰するのでは?」などともうチマチマ言ってるが、この年齢のテレビ局の社員らにすれば土木で働く人のことを給料が安い労働者だと、まるで人夫のように思ってるのだろうが、とんでもない。
    昔はお前らテレビ局社員よりも倍以上の給料をもらっていたんだぞって。
    彼らテレビ局の連中は我々に言わせればまだ子供で、昔を知らない、日本の生い立ちを知らない、戦後復興の時代を親からも学校からも正確な内容を教えてもらえていない連中で、あの昔のあの当時日本がまさに高度成長に入ろうとしていたその時期には、建設工事にかかわっている労働者って物凄い給料をもらっていた。

    昭和40年代に入りだしたころには都会でよく猛烈に市内を土埃を巻き上げて走っていたダンプカーの運転手ってまあ今思ってもすごい給料を取っていた。
    昭和の41年だったと思うが、この時に25歳くらいの砂利を運ぶダンプの運転手が居てて、このころ大卒の初任給がせいぜい2万円にまだ到達していない時期で、この同じ時期に、この運転手は月に優に30万円を超える給料を受け取っていた。
    すぐに間もなくその子は自分で大型のドでかいダンプカーを2台買って、自分で独立してしまった。
    受け取る給料は建設関係に携わる人らはものすごかった。
    それだけ労働の内容がきつかったということ。いまでこそ重機を使ったりしてるがでも今でも建設現場はやっぱりきつい重労働であることに変わりはない。
    やっぱりこの建設労働者の給料をケチって支払わなくなりだしたことがこれが日本の働く人の給料を押し下げていったきっかけである。

    大手ゼネコンが朝鮮民族の経営でなってしまい、こいつらは従業員のことなど道具としか思っていなくて、しかも身分も低い連中らだと、現場で働くものは人間扱いをしないというのが朝鮮流で、身分の高いものは限りなく仕事をせずに楽にして、机に向かって、現場で働く者への指図だけするものが偉いんだという、その、異常民族独特の感覚、これを日本に入ってきて日本になかったこの感覚を、日本国内でそれをやりだした。

    だから創価学会はこの建設業者の感覚と、働いている業種での身分(日本には一切ないんだが朝鮮民族はこれを作らないと我慢ができない民族)というものをびしっと認識して、見下げる現場従業員へのこの感覚が、こういう感覚が同じでわかるので、この業種の業者がやることに同じ意識で向き合えるから、日本で大臣にはこの国土交通省というこの分野が一番朝鮮民族にはぴたりと気も合うので、このここの大臣だけは、常に絶対に創価学会が手放さずに握って離さない。
    一番キックバックも大きいししかも選挙運動での資金集めには一番のありがたい相手であり結局はそれは日本の税金を還流させ懐に入れてるだけなんだが。

    この建設に携わる人たちをまるで身分でもあるかに下に見て扱い、それを見逃し当たり前だと思い、そこからもう給料をどの業界も、この建設作業員の給料を極端に下げだして、そこにほかの業種が合わせだした。
    それが今の低賃金で長時間働かされしかも極悪な暴言でのやり方を行い、もう日本の企業という状態ではなくて今はもうほとんどの企業が朝鮮企業へと変わっている。
    学校を初め総ての業界業種においても、日本はいまやもう企業内の人間の民族も、それに、経営陣までもが日本民族から異邦民族の朝鮮民族入れ替わってしまった。

    徹底的に下げたその建設作業員に合わせるように給料レベルを組みだした結果が今の労働者の給料がこんな低い給料水準になった原因である。

    派遣は初めは建設現場から始まった。
    派遣業者が朝鮮民族だったことが物事の悲劇の始まりでこれが皆日本民族の派遣会社しか日本に存在していなかったなら今のこう言う派遣社員の給料が異常にピンハネされ低賃金悪条件で人間として見下げられた人生を送るものとして対象にはならなかったはず。

    本来は派遣社員のほうが正社員よりも特殊技術能力を持つ者で給料はこっちのほうが高給で当たり前のはずが、朝鮮民族の人間が派遣業者をやると、現場で労働、現場での実務で働くものほど給料は低い設定にする。
    これは朝鮮民族は現場で働くものほど身分の低いものという対象でしか見ないので、これは朝鮮奴隷制度からきている朝鮮独特のものの脳回路であり、建設労働者のことなどはこいつらは奴隷としか見て居なくて、給料設定がとてつもないほどに安く設定されてしまうのだ。
    これは民族の感覚の違いからくるものだ。
    現に日本では戦後でも、昔は建設労働者は商社マンの倍近い給料を普通に取っていたんだから。
    それが建設という重労働に対する報酬、それが世間では日本ではきつい仕事程高給をと、これが当たり前であった。
    だが朝鮮民族は現場で働くものほど身分の低いものだと、楽な仕事をするものほど偉くて身分が高くて給料も当然高給でというのが朝鮮民族の基本なのだ。
    日本では違うんだが朝鮮では常識なのだ。

    このおかげで、日本でのその後の建設労働者の給料が、そこから極端に低い設定にされだした。
    これがひいては他の仕事に及ぼしだし、結果すべての業種まで広がりだし、従業員の給料が奴隷扱いのような低賃金へとされだした。
    安い賃金イコール重労働、イコール人手が集まらないというこのいま日本の全国で起きている建設現場が抱える根源の原因のすべてが、派遣会社も、経営陣らも、これらがこの民族が、日本人から朝鮮民族の手に入れ替わったからだ。
    昔の建設現場の若者はいまの給料にすればおそらく80万から100万近い給料を月給でもらっていてもおかしくない給料を昔はとっていた。
    商社マンよりも建設現場の従業員のほうがよく飲みよく遊びよく楽しく人生を送っているように見えた。
    生活レベルもわれわれと同じ年代でも、彼らのほうがいい車を乗り回し我々サラリーマンよりも、よりも数段いいようであった。

    万博においても、IR承知の施設建設においても建設の現場で働く従業員には現状の倍の給料を払うぐらいでも私はいいのではと思っている。
    昔のあの万博の時など建設ろうぢおうしゃなど目着r茶給料を取っていた。
    その状況に戻らせてあげないと日本の建設業界はちょろいチマチマしたものにしかならないだろう。
    現場第一で、まさに重労働での現場でそこで働く人が給料は一番高いレベルに、誰よりも給料は高くしてあげてやるのが当然だと思う。
    いまは、事務所で居てて指図だけで現場では一切重労働をしないものが一番給料を高くとっているようだがそれは根本が違う。
    現場第一で現場で一番重労働の人物が誰よりも高給を取るのが当たり前であり、給料が高いはずというのが私の意見。

  2. 仲井 より:

    早い話が安い給料、賃金しか払えないという企業はもうこの世の中の企業という内容から出ていって貰いたいものだ。
    国会で都かそこら辺の経団連などでの会合でよく取り上げられるが今の中小企業はこれ以上給料が上がれば経営が成り立たない、国が決める最低賃金をこれ以上上げられるともうやっていけないからそれは困るという意見をこいつらしょっちゅう国に提案で何とか現状の給料を上げどまり、つまりこれ以上給料を上げるのは困る、中小企業はもう倒産してしまうなどという。
    お前らふざけるな!って。

    今の決められている最低賃金で、それが上がると、給料が上がるともうたちまち倒産するような事業なら、そんな他人に給料もまともに払えないだとか、この給料以上のものは出せないとそのことで従業員の生活が苦しくてもそこはいいんだと、従業員の生活まで苦しませるようなそんな企業は企業などではなくて、まるでもうタコ部屋である。
    事業なら自分の家族、身内のそれを犠牲にできる内内の者らだけで経営すればいい、
    どうしても店を閉めたくない、企業を続けたいというなら、止めたくないというのなら。

    自分の家族だけで経営しろ!って。
    人など雇うな!って。
    募集などするな!って。

    他人に給料を払うともうやっていけないだとかいう事業所なら、そんな企業はそもそも企業として現在社会では必要ではない事業であり、もう無理な状況に来ているんだから廃業しろ!って。

    其れのほうが日本国家日本社会にはそっちのほうがよっぽどいい。
    次の新しい産業を考える若者人物がまた出てくる。
    戦後の頃でも経済成長が著しかった時期にはもう我々が思いもつかないじぎょぷがそこらじゅうから出てきだした。
    それが社会、国家、国民を活性化させ次のステップの国家へと進んでいける。
    しぶとく本来では潰すべき企業をまた何とかで生き遺そうとすること自体が非常識だ。
    どんな犠牲儲けると、どんな定収入でもやれるというそう言う対象というのは普通身内や家族尊属ということになるがそこで他人を従業員などという形で雇用などするな!募集などするな!

    自分らの苦しみを彼ら従業員にそれをかぶらせるだけで世の中のためには全くならない試写会にただ被害者、困窮者を多く出すだけだし、その結果家族崩壊だとか一家離散だ都かそれが原因で犯罪が増加したりしてそんなもの普通に見ていたら誰だって解るものがそこを何とか自分だけは助かりたいその犠牲は自分以外の他人である従業員にかぶってもらうというこの私に言わせれば非常に悪質としか思えないことを平気でやっている。

    新しい事業、新しい今までの昔からの誰が見てももう時代から遠ざかってこの時代もういらないよなと、売上だって従業員を雇える従業員の生活が十分にできるような給料をやれるような利益も上がらない、そういう事業が、今この事業としてこれが今必要なの?って。
    要らない事業、もう必要とされない事業、これが全国にはものすごくある。

    早く閉めないとこれ以上の従業員への犠牲が出るだけだと思うのに、従業員への犠牲は構わないと思うこの朝鮮民族発想からきているこの共助の精神のないこの身勝手な意識、従業員が困ろうが自分が生き残れば、自分の家族さえ生き残ればそれでいいというこの発想でやってる企業は、もう今日にも廃業すべきだ。

    そもそもそういう神経が私にはわからない。

    私の父など戦後に帰還してきた多くのまだ就職先の決められない都会に出ていけるだけの資金的余裕と過疎の地自信の持てない人ら家族をうちの家でまとめて面倒見ていた。
    その人らへの要求事項など一切なかった。

    働ける人は働けばいいし家でごろごろしてる人はそれでもいいし本当に自由に家でゴロゴロしている家族もいてたしみんなでいい争いもなくほんとにあの時代それで皆が毎日気軽にやっていた。
    そのうち都会で仕事ができる状況になりだしてきてそこからそういう人らがうちの家から都会へと子供たちと一緒に家族単位で皆次々と出ていきだした。

    それが、そういう私の純家族(祖父母、両親、兄姉の子供たち)以外のそれらを除いて、家からみんなそれぞれの生活場所を見つけて家族単位で全員出ていったのが昭和の25~26年ごろであった。
    それまではまだ私の家族以外のだれかが家の中で普通に気兼ねもなくまるで家の家族の住人のようにともに生活していた。
    そこには互いでの間では、金銭での内容など一切発生しない、皆が共有し、皆が別に同じものを食べ同じところで何の差も設けずに普通に私の親だけが贅沢だとか全くなくて、全くの見ず知らずで入ってきた人とも全く同じ内容でみなが同じレベルの同じ生活をやって共助の典型で皆で生きていた。
    これが私は日本民族の日本社会の人間の本来の姿だったと今でも思い出して当時こんなことがあったと自分の子供にも自分の知り合えた人らにもこれをよく話したりしている。

    日本の昔は確かの田舎は貧しかったがでもそこで皆が同じ生活レベルで皆が合わせて共有してそれを普通と考えてやってこれていたことのすばらしさ、いや、今ではそれはすごいという言葉でしか表せないほど素晴らしい言い生活であった。

    みんなで朝昼晩とこの三食の時に、皆で一か所の広間に集まって皆が茶碗を持ってそこで女性のおばちゃんらが一度に釜土でご飯を鉄釜の昔のあの4升釜を5個並べて一度の食事毎に一気に釜で5杯(お米二斗=米俵半分=一日で米俵1俵判=今でいう10キロ袋入りのお米を3袋一気に30キロを、食事毎に一度に焚いていたということ)も炊かないと全員に渡らない、足りないというこの状況、この雰囲気が、美奈が笑ってその食事を楽しみにしているその時の光景が思い出され、もうたまらなく私は好きであった。
    それをみんなで食べるこの雰囲気がまあ凄かった。

    今の日本の中ではもう考えられないんだが、まだ生き残ろうと低賃金でなら事業が続けられるという、結果従業員の生活を苦しませている。こんなのはもう閉めるか、家族だけでやれ!廃業しててしまえ!って。

    生き残っているこの事業主は生き残っていると思ってるようだが、これは実は生き残ってるのではなくて従業員がその犠牲をかぶってるだけである。こんな悲劇はない。

    従業員にまともな給料を払わないのなら、従業員が結婚し家族を普通に生活させてあげられるだけの給料を払ってはじめてその起業は存在できる。
    その給料が払えないんであればもう従業員に犠牲をかぶらせるのではなくて自分や自分の家族だけがその犠牲をかぶるべきだ。
    事業とはそういう者だ。
    従業員を子ヨプするのであればその従業員の生活を守れる給与を払わないといけない、それができないならさっさと事業を占めて辞めるかそれか自分の身うr地で犠牲は構わない党言う家族だけでやれ!って。
    従業員など雇うな!って。

    低賃金だけで従業員の生活を脅かすような企業なら、一日も早く閉めてしまえ、廃業してしまえ!

    日本人の皆様、
    経営陣を日本民族で置いておかないともう従業員への感謝を持つ経営陣など居なくなるしもうすでにそれが居なくなってるし、もう今いませんよ。
    これから先も居なくなってきますし、先を想定したらそれはもう現状見たらわかるでしょう?

    今日本に存在している日本人だと称している偽装した異邦民族の、日本で、日本の国籍を騙し取った朝鮮民族がほとんどを占めているこのいまの日本の公務員らや天下りの連中を見たらわかるでしょう?
    奴らが今居てる場所、普通に日本民族など今の現状の日本にはもう日本民族はそこにはほとんどいません。

    だから自分は高給を取っていても朝鮮民族は罪悪感など一切持たずに、ほかのものが低賃金でやっている現状など当たり前でなんとも思っていない連中。
    橋下さんが大阪府のあの労働組合と対決したシーンは今でも動画でネット上に残ってるがあの対決した相手の労働組合のあのレンツ夕の名前、これを一度見てみてください。
    私は何度かあのあの時に顔が出て居た連中、労働組合の連中に電話で直接話をしました。

    私は普通に、外国人なのか?違うのか?アメリカ人か?程度の感覚で、
    【君らは日本民族か?】と聞きました。
    日本民族か!と聞いたら、きちんと答えられたものはいません。
    なぜ日本の国籍を持ってるのか!と続けて聞いても、聞いても、連中は誰一人答えを持っていなかったし、言ってこなかった。

    こんな連中は、将来の日本からはやっぱりお引き取り願って、昔の私の田舎のような、そういう雰囲気、人間模様が可能な日本に戻りたいですね。

    それには、第一にやることは、まずは、

    【マイナンバー制を国民全員に強制で執行する。】
    【血液採取による国への遺伝子登録を国民全員に義務付ける】
    【江戸の時代までさかのぼっての、その家系での明治時代での在所に残る小学校での就学記録の証明を総ての国民に義務付ける】

    これを国民全員に徹底的に、徹底浸透させる。
    そのうえで国家、地方公務員採用等の採用基準の資料の検討材料として提出を義務付けさせ、これまでのずさんな日本民族でも無い日本国籍を不法に騙し取った家系のそこから発生して現状それが国家の危機にも関係する事態にまで発展してきている現状をこれをただすためにも、その元のところのこの機密情報の漏洩と反日への活動について、この不法工作員工作行為を国単位でも、警察単位で防止の手立てとしてそれが普通に可能なように、事前に危機回避が可能になるように、チェックするためにも国防においても知的財産搾取防止においても、最先端技術漏洩の防止においても、このそれら人物の家系での持っているその明治時代の小学校の就学記録、ここに照らし合わせる内容の証明できるものを採用の時点からこれは絶対に必要だという縛りを加えた身分素性証明の資料を、採用時の提出資料に加えることを義務付ける。

    それができないものは公務員関係には採用から交流からすべて一切出入り禁止にさせる。

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