【必見】これぞ橋下徹!高学歴ニート達に怒りと涙の熱血授業!!

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10/6 TBS系バラエティー番組

橋下さんが、高学歴ニートに熱血授業するという企画

まさに「これぞ橋下徹!」と言う内容です

Youtube音声版
(※動画がすぐに削除されてしまうと思います。ご視聴はお早めに…)


<<下に続く>>

面白かったですね!

橋下さんが政治家時代

どれだけ努力・行動をしてきたか?

どれだけの苦難に遭遇したか?

そして、どれだけの事を成し遂げてきたか?

また思い出しましたね・・・

p.s.
若者たちの世の中を斜にみて分かったような気になってる感覚・・・

良く分かりますね・・・自分もそんな感じでした(汗

でも、彼(彼女)たちは、幸せですよ!
こういう話を聞ける機会(チャンス)があったんだから

橋下徹氏 父の最期の言葉を高学歴ニートに…「わしの人生は本当に良かった」/芸能/デイリースポーツ online

コメント

  1. 京都の住人 より:

    あ~言えばこ~言う糞生意気な同若い記者連中に比べたら赤子を捻るようなもの。日本一の脛っかじりにならなきゃ!なんてお尻を押されるなんて思ってもみなかったんでしょうね。燃焼して、死ぬ時納得して死ななきゃ!こうしよう、ああしなさい、それは間違ってるってなんて、通り一辺倒の橋下講師を思い浮かべていたんでしょうね。へんに納得しかかった若者の態度が面白かったです。

  2. 仲井 より:

    この子たちは、何故自分を捨てているのだろう。

    ;今の自分の状況を含めたその内容での存在の総てが、実は自分以外の、自分以外の周りが悪いからだと思ってるのか、

    それとも、

    ;自分自身が今そうなっている状況の原因はすべて自分の中に有ると、
    そこは自分でよく解っていて、その上で自分は実は何も出来ない人間だと、自分は誰もが認めていたのにと、頭が良い、凄いと言われた筈の、良かった筈なのに、何にも実は出来ない人間だったと、
    世間ではほぼほぼ自分など何も通用しない人間なんだと、自分自身について何の価値も見い出せず、コンプレックスの塊の部分を、ここを他人には知られたくないという思いから、どうしても人に対してああやって周りに対してああいう態度物言いでやってしまうのか。

    自分の社会での愚能を自分自身が実は一番感じていて、そのことに確信が出てくれば来るほどに悔しくて、知れば知るほどに気が付けば気づくほどに自分に対して向ける憤り、悔しさ、またそれを両親や周りに対して出せずに隠し、跳ね返るあの態度で実は自分は世間に出ることが怖いんだと、愚能部分が社会で自分が通用する能力のないことを、これを誰にも知られたくなくて、それを隠そうと試み、ああいう態度でしか自分を他人には表せない。
    あれは、早い話が泣き叫んでいる態度なのだ。

    自分自身への能力のなさを、そのことへの悔しさを、兎に角隠そうと跳ね返りの行動でしか見せたくない、
    他人には気づかせたくない、見せたくないので、ああやって自分では周りを馬鹿扱いで白けてる態度をやって、自分の中に誰も入ってきて貰いたくないのだろう。

    能力の愚かさを見透かされてしまう怖さが怖くてたまらないのだろう。

    誰かに自分の愚能さを気づかれたくないというこのここの部分だけは、バレたくないと、自分の能力の部分に触れさせない、と、彼らにすればそこにだけは触って欲しくない部分なんだろう。

    そこに異常にこだわる。

    何故なら彼らの一番の自慢部分は、子供時代から、小学中学高校と、誰からも周りの誰からも、誰よりも成績が良くて誰からもこの子は凄い、この子は頭が良いと言われて育ってきて、いざ大人に近づいてきてみたら、実は自分にはそんな世間で通用する能力などほぼほぼ無いことに気づかされ、いざ社会に出ようとしたら自分の能力の内容がいかに浅い、世間ではほぼほぼ何の役にも立たず、社会に出ればそれまでの凄いと言われていた内容など何の価値も褒めてもらえず、また一からの勉強になっていくこの衝撃が、彼らは受け入れられずに、ただ茫然とし、自分の地頭の無さに実は途方に暮れ、あの態度物言いは、実は泣き叫ぶそのことの意味を、ああいう態度でそれを周りに出しているだけであろう。

    一人になったら彼らは実は一人で泣いているのだろう。

    悔しいのと自分の能力は一体何なんなんだと、今まで勉強で獲れてきた点数はいったい何だったんだと、
    もうもの凄いギャップに泣き叫んでいるのがあの子らの今の心中だろう。

    誰も見ていないところでは、もう心臓が痩せ細るほどに動悸を受けての苦しんで泣いていることだろう。

    もう十数年前に、或る中学校での、質の悪い生徒が学校内で周りの、弱い、成績はいい、こういう生徒ばかりを狙ってのいじめ行為、暴行行為、痛めつけ、金銭を脅し取る行為、結果怖くなってその子が登校拒否すると、その子の家にまで数人で押しかけ親御さんの留守を狙って家まで行って金銭をたかるという、もう子供とは思えないぐらいとんでもない生徒らが数人その中学校に居てたことがある。

    思い出すと、そこそこお金を持っているだろう家の子供、こういう生徒狙いで、今思うと多分そうだったのだろうと、そこも実は知っていて、こいつらは徹底して狙ってやっていたのだろう。

    たかりをやっていた連中は皆変わっていたのは、この子らは学校でのテストでの成績、こいつら数人のこの悪グループは実は成績はまあまあであった。
    大阪でいえば結構なレベルの進学高校に行けるだけの点数は実はとっていた。

    でも質が悪いという部分では飛び抜けて卑劣で薄汚くて、しかも荒れていて乱暴であった。

    学校の教師・教頭・校長(私がやると言い出したら校長に至っては間もなく定年退職なので次行くところがもう決まっているのでここは何とか、、、、という言い方で、この件は処理しますのでそこはまあまあそのままにしておいてくれまがいの打診が私に向けてあった)も、誰もが怖がり、生徒とその親に話をすることさえ怖がって、放置状態で何もやらないままなので、私がそこに入って生徒3名、その両親と、合わせて8名で学校の相談室で向き合った。

    もう水(水商売のプロの連中一家ばかりで、安っぽいスナックやキャバレーなどの本物の水の畑を歩いてきた連中)の世界の物ばかりで、こういう連中は極端で二通りあり、極道に関係しての少しでも足を入れたことがあれば、これは筋を通せば大体は話し合いは可能、だが、いわゆる半グレっぽい水の連中は、ただやみくもに絡むだけで筋道がない状態で話が通じ合わずにひたすら因縁をつけてきて絡むだけ。

    幸い連中はすべてなにがしかの組にもかかわりがあって、いわゆる極道的な筋の分かる連中であったので、こうなれば私の得意分野で、話をやってみたら、結果筋を通せば上手く納得してもらえて、その1人の母親は涙まで出して感激したといって私の手を握ってきたし、その生徒もそこから後に大阪市立の中学校の今教師になっている。

    まあ同じクラスの同級生のその、他人の金まで脅し取るという、もう子供とは思えないほどの悪辣でろくでもない手が付けられないほどの悪が、今公立の中学校でどういう教師になっているのか知らんが、こういう例もある。

    当時の教頭だった人物(その後若くして校長になり、今の今もまだ校長で居てる)に数年後にそれを連絡すると、同じ大阪市立の教育委員会所属の教師同士ということでその元教頭だった校長はもう驚愕していたが。

    【嘘でしょう?本当に?信じられません、あの子が、、、まさか!】って。

    まだ現役で教師が続いているということは大阪市立なので大阪は松井さん吉村さんきついので、結構違法行為はできないだろうし、まあ多分ここらは、こいつは今教師として、当時を少しは思い出して、その時自分の母親が涙を出したシーンは、そして私の手を握り締めてきたその哀れな子供のことで母が泣くその姿は、そいつは自分の目の前でそれを見ていたし、少しは意気に感じたのかも、ましになったのだろうと思う。

    ———————————————
    ★【話をした内容】

    【なんで自分をそれほど粗末にするのか!、そんなに生きることが面白く無いのか!自分で探せよ!面白いことを!本当に探したのかあ?そこらで鳴くカエルを見てみろ!カエルの子はどういう人生を送るか考えてみろよ!生まれてからあれだけ姿を次々と替えられて行くよな、それも自分の意志ではなくて勝手に姿を変えられるよな!勝手に変えられても、文句の一つも言わずに従い、しかもあれだけ何度もあんなに姿をごっそりと形を変えられても、ではその子は、あれだけ変わった筈なのにそれで親よりももっと凄いカエルに成れるのか、成れたのかといえば、それは出来ないし、成れないよな。

    どんなに変形して、あれだけ苦労して何度も何度も姿が変わって大人になっても、大人にようやくなって自分の姿を見たら、親カエルと同じ姿にしか成れない、親を超えることなど出来ないじゃあないか、
    替えられていったあれはいったい何だったんだ!とカエルの子は思うよな!

    だが、人間は違うよな!、
    生まれてからほとんど姿形なんて、何にも変わらないよな!、大人になってもさ!

    カエルと君らは、比べてどうだ!

    君らも同じかあ?カエルと。

    カエルとは全く違うよなあ、
    違う状態で人間は大人になっていくよなあ。
    そうだろう?全く違うだろうが!
    人間はカエルとは違う。

    自分は自分の意志で自分でこういう風に変わろうと思いさえすれば、親とは違うようになりたいと思えば、それが出来る。
    どういう大人に成ろうかと、自分で決めてそのようになろうとすれば、成ろうとすればいつでも機会はあるだろうが!、
    成れるだろうが!そういう機会がそこに有るのに、なんで君らはそこに目がいかずに、カエルと人間は違うというそこに、なぜそこに目を向けないんだ!

    自分の命と人生、勿体ないと思わんのか!

    親の姿など考えるな!
    親みたいに成ろうなどと考えるな!

    親を超えてみろ!

    ————————————————-

    こう言って話をした。

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