(慰安婦像:SF市姉妹都市解消)松井知事「女性の人権を無視するケダモノの人種だ、という間違った認識を世界中が持つ事になる」囲み会見 2018.10.1

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(7:13タイトルのシーンから再生します。スマホの場合、初めからになる場合があります)


<<下に続く>>


(慰安婦像)吉村大阪市長:SF市との姉妹都市解消決定。通知は新市長選出後に(2017/12/14)

【揺れる姉妹都市(上)】サンフランシスコ市、迫る大阪市への回答期限 根拠なき「性奴隷」主張(1/3ページ) – 産経WEST

(2:15)
富田林署から逃走した樋田容疑者がようやく確保された事について

(8:47)
沖縄知事選の結果について

【残念】沖縄県知事選挙「日本維新の会 推薦候補 さきま 淳(あつし)」

選挙情勢分析に定評のあるJX通信社・米重氏

(出典:https://twitter.com/kyoneshige/status/1046354760087957505)

これから、色々な分析、評論がされると思いますが・・・


(出典:https://twitter.com/haduki28th/status/1046382888533393408)

キレイに世代間の傾向が出ましたね!

40代以上は断然玉城氏を支持

県民所得がうんぬん言われていますが、現状で満足している方が多いのか?

逆に「現状」を維持してもらわないと困る人がいるのか?

この辺りが沖縄の難しい所ですね・・・

コメント

  1. 椿 より:

    30代ー40代は、「安室奈美恵の大ファン」という人が多いし、
    安室奈美恵が玉城氏を応援していたから、余計にそちらに傾いたのも分かります。
    「アムラー」って凄いですね。笑。

    でも予想していた通りの結果です。
    「玉城氏」が沖縄県知事になるとは思っていました。

    与党は結局、「アメリカの言いなり」のように
    沖縄県人には見えるんじゃないのかな❓(当たらずとも遠からず)です。

    そんな日本政府に、沖縄県人も失望しているように思う。
    実際、あのボケナス米軍人らによる、酷い強姦・殺人、
    飛行機が民家に激突とか、有り得ないもん。

    そんな怖い体験している沖縄人に、与党推薦候補の人は、ぶっちゃけ、
    「金の援助をしてやるから、ちょっと辛抱して」って感じですもんね。

    アメリカ軍人らの暴虐無人な行為を実体験として知っている沖縄県人の気持ちを
    本気で理解できる人なんて、本土の人間には、い無いんじゃないかな❓

    「仕方がない」と言えばそれまでだけど、日本政府も米軍を日本から出して、
    「自衛隊に防衛を任せる」というか【独立国としての威厳】を示せる日は来るのかな❓

    それができ無い限り、
    日本政府は沖縄県人からの「信頼」は勝ち取れないと思う。

  2. 京都の住人 より:

    はたして日本国に米軍は不必要?在日米軍削減は理に適った行為?沖縄の米軍基地負担軽減策に八尾や関空に米軍機を飛来させては?って言っただけで、絶対反対のシュプレヒコールが起こりました。独立国として自国単独防衛を目論めず、現状の沖縄在留米軍削減を実行出来ないのなら、沖縄の基地負担を日本全島に分散するしかないのでは?ほんでも現状は、そんなことしたら素行の悪い米軍兵により風紀が乱れるとか、万が一のときにミサイルの標的になるとか好き放題のたまう日本国民ばかりじゃないですか?(笑)

  3. 京都の住人 より:

    韓国発のニュースを見ていると、韓国の全国民が慰安婦像や少女像に哀愁を感じ日本に対して敵意剥き出しにしているかのように感じるのですが、本当にところはどうなんでしょうね。はたして今流行の韓流男女グループには、一切その辺の所は触れさそうとはしない、させないのでしょうか?(踏絵の話しは知ってますが)日本のティーンエイジャーに刷り込むことなんて簡単に出来るのに勿体ないことです(笑)

  4. 先憂市民 より:

    管理人です
    椿さんのコメントを代理投稿します

    —ここから—

    どうもオカシイね、大阪市長がサンフランシスコ市と姉妹都市解消したという記事は、
    いわゆる保守系と言われるブログには、一切言及されていない…。

    —ここまで—

  5. 仲井 より:

    >大阪市長がサンフランシスコ市と姉妹都市解消したという記事は、
    いわゆる保守系と言われるブログには、一切言及されていない…。

    議員さんが、
    これまでなら何も疑われずに、海外視察とかの建前偽装つけての、付けてのビジネスチケットでのグズグズ夫婦でのアメリカへの豪勢なグダグダ観光旅行が、これまでは疑われずに行けていた(特に大阪の自、公、立民共らの議員には)のに、
    【ホンマに要らぬことしやがって】、と、思ってるのでは?

    奴らの身内会話で、言葉も通訳なしで本国語で普通に通じる、奴らの民族的遺伝子なじみがあってSFが空気感が一番落ち着くのでは?SFが。

    世界中見渡しても奴らにすれば海外では民族的にここが一番近親で近そうだし、身寄り、親族、遠からずの祖国での民族祖先の多いSFへの観光旅行に、こいつら大っぴらには今後行けなくなるから、面白くねえのでは?

    じゃあないの?

    ★日本の国家、日本民族、日本の誇り、
    ★教育勅語など、
    【そんなもん知ったことか!関係ねえ!】って、そういう奴らばかりじゃあないの?
    載せてないってことはそうではないの?

    第一、築地の昔の開業年度を、実際とは違う10年も後ろにもってきて、実際の知られたくない部分、隠したい部分を徹底して隠し、隠ぺいして、故意に変えてでっちあげた年度で報道してるぐらいなんだから。こんな連中は日本で居てる筋合いなどないような連中。真実は、日本橋を閉じて東京中央卸売市場築地は、大正13年ぐらいに開業。
    何が昭和10年だよ!って。
    嘘つくんじゃあねえぞ!って。

    もうこのわが日本国家は、国は、役人自らで嘘の歴史の作り放題になっている。
    韓国の歴史事実改ざんと全く同じ行状になってきた。

  6. 仲井 より:

    東京中央卸市場の開場が昭和10年、1935年、つまり今から83年前のことだって、
    まあ、みなそろってよくここまで嘘を作り上げられるもんだ。

    関東大震災が発生し、その当時あった日本橋では具合が悪くなり、それまであった東京中央卸市場がそこで今の築地に移転させることになった。
    今から考えれば東京はよくこれの決断をやったなあと。
    そこは今から考えると先見の目があってすごいなあとは思う。

    日本橋の中央市場の閉場状態が、大正12年のあの関東大震災時。

    震災混乱の中一時も早く市場復活の対策で出たのが築地への移転。
    なぜ築地が真っ先にえらばれたのかといえばまあ海に近いこともあるが実はもっと大きな内容が裏で存在した。
    これは日本の大都市のどこででも起きていたことだが、違法移民が都心でどこの都市でも空襲を受けた日本の各都市には共通してこの問題が、違法移民連中の粗暴行為横暴略奪行為、役所、警察への、ものすごい数での数百人単位で襲い掛かってきていた襲撃行為が横行し、そういう地域には相当な広さの敷地ごとその土地一角を、住んでいる輩ごと一掃させるためという目的でそれを名目都市計画で一斉にそこらへんで住んでいた連中を掃除するという大目標があったのだと思える。

    大阪でも駅前裏の阪神裏に今できている大阪駅前ビル4棟、ここは違法移民朝鮮民族と中国愚連隊が仕切る地域であった。日本人の誰もが警察官でさえ大阪のど真ん中の梅田の大阪中央駅前裏のところという場所でありながら誰もが怖くて絶対に中には地域には一角は入れない場所であった。

    そういう場所には公団住宅を建築したり、市や府が経営する大きなビルを建築して一角を一掃させるために、市営住宅や府営住宅を広い敷地ごと占有して、普通はそういう形でそういう地域を掃除して都市計画だという理由を作ってものすごい広い敷地を更地にして一斉に総て立ち退かせて、これをやったんだが。
    東京も、東京中央卸市場も当時実はその一環だったと思える。
    だが築地にはね強く違法移民の奴らはこれは金になると、匂うと居残ってしまい、その地にたむろし残り、結果出来立て時代の築地市場の運営管理の実質の権力は、いつもの奴らの手口で暴力と脅迫、脅しで実質は本来持つべきのはずの行政の東京の役所が持たないとだめなのに実はそうではなくて奴ら違法移民がその築地市場を牛耳っていた模様だ。
    これが東京の築地という中央卸市場の現場で相当期間続いていたと思える。

    ここの内容を東京都庁は実は隠したかったのだろう。
    だから築地の歴史83年が終わるなどと誤魔化しをやっている。

    そのことをだれもばらさずに。

    現状東京都庁のホームページには1935年に開場と書いているがそれまでの関東大震災後作られた築地市場から実質東京の役所が運営管理を奴ら違法移民の愚連隊の手から奪い取ったのが実はそのホームページに出ている年の実質会場から10年ほど経過してからだったと思える。
    それまでは実は違法移民があの築地の市場は実質牛耳っていた。

    この違法移民に好き勝手されて当時牛耳られていたこの10年間ほどの期間を、これを実は隠したくて、隠蔽して、実際の開場の年度を10年遅らせて現在表で出してる1935年などとしてると思える。

    日本こそ日本の戦中戦後のことを隠さず出さないといけないのに、これを今では都庁の職員も霞が関もこれを隠蔽し隠し日本人の国民をだましている。
    都庁に問い合わせたらまあ嘘を教えられてるんだろうが和解担当が戦後の話や戦中の頃の東京中央卸市場の成り立ちをほとんど知らなかった。
    違法移民が当時何をやって築地を牛耳っていたかを、ここを違法移民職員に隠されて騙されて教えられてるようだった。

    皆さんも考えてみてください。
    日本橋の市場は大正の時代に築地移転と同時に閉めています。
    築地の開場が都庁の説明通り昭和10年であれば、では聞くが東京の中央卸市場は10年間以上東京では作らずに空白を作っていたんですか?
    東京はそんなことをやっていたんですか?って聞きたいねえ。
    ふざけるな!って。
    全部隠さず出せ!って。

  7. 仲井 より:

    朝鮮には、特に身分の上のものには昔から強く教えとして代々後の者に引き継いで語り継がれて残されている文言があるらしい。

    【”似 夷 制 夷”】

    私もこの文言が何処から出てきてるのかは知らないが、朝鮮ではよくつかわれるらしいが、ついこの間こんな文言を出して滔々としゃべっているものが画面で出ていた。

    そいつの説明によると、意味合いは単純で、

    とにかく自分は直接戦いを行わず手を濁さず、汚さずかかわらず、とにかく、周りに存在する者同士を手あたり次第にもめさせる。その材料は自分が作って相手同士を互いを敵同士に仕立て上げ祭り上げる
    敵同士をもめさせる、そしてその者同士を戦わせる、自分は決してそこには直接手を出して下端とかで参加しない。でもそのものら同士を喧嘩をさせる材料は、見事に自分が作り互いを恨ませたり妬ませたり、でっち上げて、とにかくそいつら同士をもめさせて戦わせる。
    それで結果どちらかが倒れ、しかも片方も戦いで勝ったとはいえそこで体力が多少なりとも消耗して誰かの力を頼りたくなる、そこでそこに付け込んでうまくいけばその勝ってるほうのものまでをもまんまとつけ込んで飲み込んでうまくいけば功績を勝った側に見せつけたり、もう一つうまくいけば、自分がその政権を横からただ乗りでだまし打ちで奪い取る。

    これが朝鮮の、成功への(彼らが言う成功とは金持ちになることと身分が上がること=肩書がつくこと)まるで、格言のように教えとして後世に代々今のこの時代でもこの手法が自分が成功する、のし上がる最適な手段だと教えられているそうだ。

    だから相手を平気で陥れの工作をやり続けるという、常にここ一点に自分の運命をかけていくというこの思い、ここを浮かべながら人生での成功をあの民族は願っているのだろう。

    貧しい国の非力で、自らには何の力も財産も能力も自信がない状況でましてや身分も奴隷からの上がってきたというコンプレックス、これを抜け出すには常に同等のそばに居てるものをつぶすしか自分がのし上がれないというこの人間とは思えないまるであのアフリカのサバンナでの獣たちの縄張り争いを見てるようである。
    自分のテリトリーを守るためにとにかく相手を潰しに行く。それがたとえ子供であろうと。

    競争というものは彼らはほんとの意味での競争をしない。
    日本人であれば競争とは自分の能力自分の持てるものをすべて出して周り枷喧嘩同僚あるいは企業のトップらにもその持っている能力を何人もの中で競争をしてそこで優れているものが認められるというのが普通だが彼らのいう競争とは自分の能力を上げることではなくて相手に勝つことが最大の目標でありそこで相手を陥れて自分が勝つという道に走る。
    この間のあのオリンピック出場が期待されるボートの有望選手の飲み物の中に規制がかかる薬物を入れてその選手がオリンピック競技にも出られなくしようとした事件があったが競争をするのではなくて彼らは自分以外をつぶしてそれで自分が出ることになるようにやる。

    まさに
    【”似 夷 制 夷”】、

    この文言通りにつながっていくのである。

    弱い国の、弱い民族の、何もない国の、彼ら連中が持つどろどろの世間、上司に向けてどうしようもないぐらい苦しみあがく姿は、日本の人たちが苦しむ姿、そこから脱出しようとする形とは、実はそこが内容に天と地ほどの違いが潜むことを、日本人は知るべきだ。

    現状日本で起きている事件を見ていても、加害者らの悲壮感のその彼らが持つこれの裏返し、その恐ろしさが、彼らのここの部分の種類を、ここを日本人はまだつかめていない。

    そこに常に宿る追い落とし工作、陥れ工作という、このとどまることを知らない薄汚さがあることを。

    ちなみに
    日本で今発生している殺人事件、暴行事件、ここ二十年ばかりにおいての数年この中身において、実は日本の歴史においてそれまでとは全く違った異常な内容がここにきて突出していることがある。
    それは親族とくに親子の間で発生している親族、尊属殺害事件の突出しての多さである。
    過去では日本では尊属殺人事件などというものはもうほんのまれでまあないといっていいぐらい数が少なかった。
    とこりが、ここ二十年ほど以前位から
    家族間での殺害事件が、家族の者同士間での全国で発生している殺害事件が、全体の殺人事件の77%をも占めている。これはもう異常としか思えない。
    この日本でだ。
    ところが奇妙なデーターがある。
    現在朝鮮半島の南朝鮮、つまり韓国内で発生している尊属殺人事件、身内同士による殺人事件が韓国でここ二十年間で実は45%増加して増えている。

    つまり、日本と同じ数値、いやそれ以上に韓国国内で今尊属殺人事件がものすごい数で増幅して発生しているのだ。
    こと暴行事件にいたっては、
    二十年前と比べて韓国内で1400%増加していると、暴行事件が実に1400%も異常増加しており、警察当局が二年ほど前に報告で出している。
    日本でも韓国でも起きていると普通には思うが実はこれは同じに扱えない。
    それは日本で起きているものは実は日本民族の手で起きている尊属殺人事件ではなくて朝鮮民族が日本で起こしている尊属殺人事件なのだ。
    だから韓国と同じような状況に今日本は殺害事件、暴行事件が急激に増えているのだ。

    世界中で殺人事件のその中身で尊属殺人事件というのはこれは現状この異常な数字が出ているのは世界でも韓国と日本だけ。
    つまり日本が韓国朝鮮民族が殆どを牛耳り日本人の手で行われているものがものすごい数で日々消滅していっていることを日本人はしるべきだ。

    日本の国に、日本人のものに今もはやなっていないという証でもある。

  8. 仲井 より:

    >【”似 夷 制 夷”】

    すみません。
    日本人の私は、こんな文言を私は知らなかったので漢字を間違ってしまいました。

    【”以 夷 制 夷”】、

    これが正確らしいです。

    訂正させていただきます。
    日本には、こんな意味合いのこんな文言、聞いたこともない。

  9. 仲井 より:

    徳川家康が豊臣の子飼いの武将、加藤清正、福島昌則、加藤義明、黒田長政ほかのこういう連中をまんまと誑し込んで豊臣家から自分の味方に引き込んだその手法は、まさにこれである。
    石田三成と彼らをもめさせる口実は、家康が作り、これを秀吉の妻の寧々に吹き込み、寧々を通じて清正ら血気盛んな武勲だけが自慢の連中に伝えさせ、結果三成と決定的にぶつかる、互いを取り返しのきかないような気持の恨み合いをさせ、結果ついには直接的喧嘩同士というようにもっていき、最後は日本のその後の運命を決めてしまう関ヶ原にて天下分け目の豊臣方対徳川方決戦へと、こんな悲劇の戦わせる羽目にもっていった。

    あの作家の山岡荘八はこの家康の行った手法がまさに熟練したトップの御屋形様のすることで非常に立派で凄いとほめたたえ、それを日本の企業のバカトップら(このころには日本にそろそろ朝鮮民族の企業トップが多く存在しだし、彼ら朝鮮民族にすればこういう周りや相手を騙して自分が相手に勝つとか成功することは、朝鮮民族にすれば究極の喜びなんだろうが、もうたまらない快感なのだろうが、テレビ新聞にもそういうことをほめたたえ凄い武将だとかすごい男だと家康をほめたたえ、いかにも見え見えの朝鮮民族の識者と称する連中や、映画監督、作家ら、これらがそう朝鮮流の解説をして、こういう本こそぜひ読む本だなどといっていた時代があった。私も企業に就職したときに後に徳川家康をぜひ読んどいたほうがいいなどと当たり前のように周りから言われた経験を持つ)がそういう山岡荘八が書いているものには裏があることを皆語っていなかった。

    薄汚い手を兎に角使って相手に勝つというそれにはどんな汚い手でも使うほうがいいというこの発想、勝てば何でもいいというこの朝鮮流の発想を山岡荘八はこの本の中で多くを書いている。
    それをまんまと薄汚い戦略を、さもそれは賢い知恵のある者がやれる巧妙な手だとか、作戦だとかの、そういういいんだと思わせる言い回しに変えて、爽やかそうな文言を使って。だから余計悪質である。
    企業トップの教本になるなどと進めていた連中のはらわたはまさに朝鮮の中で起きていた姿そのもの。あの民族がこれでしかのし上がれないという究極の陥れの工作手段。

    まあつい最近になるが徳川家康の側近の武士は実は朝鮮民族のものだったという証拠の書面が出てきた。
    側近について策略を家康にすすめ計画を立てていたのが実は家康の三河からの子飼いの部署裏では全くなくて朝鮮からやってきた策略の死者のような連中に姪が家康の側近で離れずにずっとついていたというそれを記した書面が、しかも当時朝鮮で使われていた朝鮮語で(つまりその側近についていた朝鮮人策略家の側近が、当人が祖国の朝鮮王朝へ報告のために書面にして筆書きで書き残していたのだと思える)書いたものが残っていた。
    簡単に言えば、徳川家康がつかみ取った徳川幕府、徳川時代の発端は、
    つまりは関ヶ原の戦いが行われる手前からずっと、家康のそばで側近でへばりついて陰謀の数々の策略を提示して練っていたこいつら側が、この明らかに朝鮮から入ってきていつの間にか家康に取り入って近づき信頼を得て家康に助言を行い、それでこの幕府が誕生し、朝鮮民族の策略でつかんだのが徳川幕府といっていい。

    それを山岡荘八は立派な経営者だと、家康のことをほめちぎっている。
    ★こいつ、頭おかしいんと違うかあ?って、
    まあ朝鮮民族企業トップにすればこの形は祖国の朝鮮では理想的経営方法なんだろうねえ。
    日本人のことをなめるな!って私などは思ってしまうが。
    関ヶ原で、こんな奴に負けたのかと、こんな薄汚いやつに負けたのかと、私の祖先の存在していた地域の、そこでの領主は、当時の領主だったのは宇喜多秀家、彼は関ヶ原で無残に散った。

    ちなみに徳川家康は、幼い時期の間に、日本の戦乱、政局で当時混乱の世で、そのあおりであっちこっちと家康は幼い時期から動かされ、そのころに、そのうち巧妙に朝鮮民族の手によって、本物とは全く違う朝鮮民族の男の子供と、実はそこでまんまと巧妙に入れ替えられたのではという説も根強くある。
    其れを思うと、関ヶ原の決戦のあの時代に、家康の側近にあのタイミングでなぜ、朝鮮民族の策士、謀略家が、二名も側近で傍についていたというその意味が分かってくるんだが、

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