堺屋太一先生「これまで維新を支えて下さり、本当にありがとうございました」

突然の訃報に、(私同様)言葉を失った方も多かったと思います・・・

大阪の為、日本の為「都構想の実現」と「万博の再現」を、熱く訴え続けて下さった先生・・・

大阪維新の会特別顧問としても、維新を支え続けて下さいました

堺屋太一さん訃報に哀悼コメント、吉村洋文市長や松井一郎知事 – エキサイトニュース

 豪快な人柄とユニークな発想で、大阪の政財界にも大きな足跡を残した堺屋太一さんの訃報に、在阪関係者からも哀悼の言葉が相次いだ。1970年の大阪万博に企画担当として携わった経験から、大阪府・市の特別顧問を務め、生まれ故郷・大阪の復権に情熱を傾けた堺屋さん。「もう一度、万博の熱気を大阪に」と2025年大阪・関西万博の誘致を支援。昨年11月に実現し、活躍が期待されていたさなかの悲報だった。

 堺屋さんは、08年の大阪府知事選で初当選した橋下徹氏の擁立に関与。その後、橋下氏らが発足させた大阪維新の会の「ブレーン」として支えてきた。「道頓堀プール」など実現しなかったアイデアもあるが、万博誘致など大阪のまちづくりにかかわってきた。

 「2025年万博はぜひ、若い力で成功させましょう」。大阪市の吉村洋文市長は、昨年末、堺屋さんに開催決定を報告すると、そう元気に返されたという。吉村市長は訃報に接し、「『東京一極集中はダメだ。大阪がもっと頑張らないと』と励まされた」と振り返り、「25年の開会式では、ぜひテープカットをお願いしたいと思っていたが、残念だ。ご遺志を継ぎ、素晴らしい万博にしたい」と沈痛な表情で語った。

 堺屋さんを「御大」と呼び、親交が深かった大阪府の松井一郎知事も「開催決定の夜にお電話を差し上げると、すごく喜んで『僕も力を貸すよ』とおっしゃっていただいた。一緒に万博を盛り上げていきたかった思いでいっぱいです」と追悼のコメントを出した。

 昨年11月、東京の堺屋さんの事務所で面会したという府職員は「70年万博の映像を流しながら、たくさんの思い出話をうかがった。誘致活動中も『絶対、勝ってね!』と鼓舞してくださった。万博への造詣が深く、思い入れは日本一強い方だった」と惜しんだ。【津久井達、真野敏幸】


堺屋さん、橋下氏を大阪府知事選に担ぎ出す 維新ブレーンでも活躍― スポニチ Sponichi Annex 社会

橋下徹と松井一郎を引き合わせたのも先生だったそうです

作家で元経済企画庁長官、大阪府と大阪市の特別顧問でもあった堺屋太一さんが2月8日に亡くなった。2008年の大阪府知事選出馬以来、関わりの深かった橋下徹氏が堺屋さんとの思い出を綴る。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(2月12日配信)から抜粋記事をお届けします――。


昨年秋に行われた「大阪維新の会懇親会」で乾杯のスピーチをされた堺屋太一さん
(2025大阪万博、そして都構想の必要性を力強く語られています・・・)

(1:11:48そのシーンから再生します。スマホの場合、初めからになる場合があります)


2014秋に行われた「大阪維新の会懇親会」で、橋下代表、松井知事を脇にスピーチをされた堺屋太一さん

(1:21:07そのシーンから再生します。スマホの場合、初めからになる場合があります)

これまで維新を支えて下さり、本当にありがとうございました
心からご冥福をお祈りいたします

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