(耕論)ダイ・ハード橋下徹 浜村淳さん、東国原英夫さん、北村亘さん(朝日新聞)
(引用)
何度も終わったと言われ、引退も宣言した。それでも橋下徹氏の影響力は衰えない。ダイ・ハード(しぶとい)な政治力は本人の資質なのか。それとも衰えさせない何かがあるのか。■「なにわ魂」求める人情 浜村淳さん(タレント)
大阪人は遠回しに物を言わず、ずばっと切って捨てる人が好きなんですね。橋下さんも発言は過激で、根回しもせず、前言をよく翻す。ドン・キホーテみたいなとこもありました。でもそれもひっくるめておもろいやっちゃな、と。これが大阪で人気が衰えない大きな理由やと思います。もちろん嫌いな人もいます。でも人気投票で、嫌いなタレントと好きなタレントの1位が同じ人のことがあるでしょ。好きと嫌いが相半ばする。人気とはそんなもんやないですか。
それに、やっぱり、よくも悪くもですけど、ああいう人がいなくなることへの寂しさが、大阪の人たちの心にあるんやないかなぁ、思います。
大阪で今、東京に対抗できるもんて何でしょう。天神祭、阪神タイガース……。と言っても、大勢を動かすほどの力はないですもんねぇ。大阪の会社や、と思ってたら東京へ行ってしまった、いうようなこともたくさんあります。テレビ番組も東京で作ったもん、もらってる状態でしょ。お陰様でぼくのラジオは地元、地元でやらしてもらってますけど、企業もテレビも牛耳られてるわけですよ、東京に。今の若い人は「東京ナイズ」言うんかな、そんなんされてますね。昔の人はなにわ魂と言いましたが、東京なんぼのもんじゃいという気概が欲しいんです。
そんな「対東京」の一つの象徴が、橋下さんやったわけです。東京に物申す姿に大阪人は喝采してた。大阪市長としても歴代市長ができなかった労働組合と市当局との癒着体質を問題にし、既得権益にメスを入れた。計算された毒舌にタレント性もありました。ホンマ、快男児ですわ。
ただね、欲を言えば、切って捨てた後にオチがほしかった。財政難を理由に大阪の秋のイベント、御堂筋パレードをやめさせましたね。あの時、橋下さんは「だれも楽しんでない」と言いました。その後に一言、「けど僕は毎年見ていたよ」とオチがついたら、大阪の人たちは、もっと喝采を送ったでしょう。そんなユーモアの才がね、惜しいところでしたね。
彼は国政に出るでしょう。でも大阪でたいへんな人気がある芸人でも、東京行ったら通用しない、いうんがいっぱいおります。大阪におったからの橋下人気やったなぁ、いうことになるかもしれません。でもね、ぼくは橋下さんには、大阪代表として東京でむちゃくちゃしてほしい、いう期待もあるんです。大阪だけの内弁慶に終わってほしくない、いうんかな。
東京でもみくちゃにされ、無残に帰ってくることになるかもしれません。でも大阪の人は温かく迎えるでしょうね。やっぱり橋下は憎たらしいけどおもろいやっちゃで、と。
(聞き手・前田史郎)
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はまむらじゅん 35年、京都生まれ。ラジオパーソナリティーや軽妙な映画解説で知られる。温かみある関西弁に定評。
(東国原氏へ続く)
■首長の発信力で復活 東国原英夫さん(前宮崎県知事・元衆院議員)
大阪府知事に就任してからの8年間、何度かピンチを迎えながらも乗り切ってきた橋下徹さんが、大阪から消えたのは惜しい。でも政治家を引退すると宣言して臨んだ昨年11月の大阪府知事・市長ダブル選挙では先頭に立って勝利に導いた。退任翌日には安倍首相と会談するなど政治的な影響力を保ち続けています。
なぜか。理由は二つあると思います。
一つは首長にとどまり続けたことです。私は4年前、宮崎県知事を1期で退任し、国政に転身しました。かねての政策目標である地方分権を進めるには地方より国から、と考えたからです。ただ永田町では、どんなに知名度があっても政権与党の要職につかなければ、衆院議員475人の1人にすぎない。野党であれば予算や人事も握れず、メディアへの露出も限られた。
その点、首長は自分の望むタイミングで勝負できる土俵をつくれます。既得権益を打破する、イエスかノーか、さぁどっちだ、と二項対立を仕掛けて、有権者の注目を集められる。ときに国を敵役に仕立てて、市民の不満を国に向けることもできる。
野球に例えれば、凡退しても、すぐ次の打席に立てるわけです。そこでヒットを打てば失地を回復できる。何度でも打席に立って発信を重ねて支持を取り戻せるのが、首長と国会議員の大きな違いです。橋下さんは大阪府知事や大阪市長でいることで、いっそうの影響力を持つことができたと見ています。
もう一つは松井一郎・大阪府知事という盟友を得たことです。松井氏は自民党で府議団の政調会長まで務めた、大阪政界の実力者です。2010年に自民党を割って出て、大阪維新の会を結成すると、経験や人脈を生かして橋下さんの苦手な議会対策や他党との駆け引きを担った。
例を挙げれば、昨年5月の大阪都構想をめぐる住民投票です。当初、公明党をはじめ議会の同意が得られず、実施の見通しは立っていなかった。しかし、前年暮れの衆院選で「刺客」を立てる構えを見せて、水面下で公明党の方針転換を引き出したのも松井さんだと言われています。表の橋下と裏の松井。2人の役割分担が「橋下政権」の力の源泉でした。
橋下さんの第2幕はもちろんあるでしょう。次の舞台がどこであれ、橋下さんが主張し続けてきた「統治機構の改革」という訴えは、今後も武器になると思います。地方と国の関係を変えるには、憲法改正が必要です。となれば、改憲という共通の目標をもつ安倍政権にとってキーマンであり続けるのです。
それに、喝采も反発も含めて刺激に満ちた日々は麻薬みたいなものです。体や脳が忘れるはずはありません。
(聞き手・諸永裕司)
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ひがしこくばるひでお 57年生まれ。07~11年宮崎県知事、12年日本維新の会から衆院議員に初当選。現在はタレントとして活動中。
■中央の勢力図が味方 北村亘さん(大阪大学教授)
昨年5月の住民投票で、大阪都構想が否決されたとき、誰しも「橋下徹さんは終わった」と感じたでしょう。自身も記者会見で「政治家を引退する」と発言しました。しかし、目前に知事と市長のダブル選が控えているのに、そんなことで終わる人ではありません。単なる人気者ではなく、逆境から何度も巻き返してきた政治家だからです。
巻き返しを可能にしたのは個人の才覚もあるでしょうが、中央政界の状況が大きかったと思います。まずは、安倍晋三首相の存在です。
安倍さんが目指す憲法改正には、一定の勢力を持ち改憲にも前向きな橋下さん、および「維新」の協力が欠かせません。官邸は都構想の住民投票や、昨年11月の大阪府知事、大阪市長ダブル選でも、自民党大阪府連を積極的に支援しなかった。背景に「維新」勢力を改憲に活用したいという安倍さんの思惑があったことは間違いない。一方の橋下さんも、「維新」の掲げる政策実現のために官邸の力を借りたい。互いの思惑が一致したのです。都構想をめぐって維新は自民党府連と激しく対立しましたが、官邸との関係を活用して窮地を脱しました。
もう一つは小選挙区制です。1990年代、衆院選に小選挙区制が導入され、二大政党制の時代が来ると言われました。しかし現状を見て分かる通り、全国で自民、民主の2大政党が争う状況にはなっていません。本来、2大政党の一翼を担うべき民主党は政権から転落したまま党勢を回復できない。野党勢力がばらけて、橋下さんの生き残る余地が生まれたわけです。
さらに、大阪市の現状に対する市民の危機感が、橋下さんの退場を許さなかった面もあると思います。大阪市は他の政令指定都市より生活保護受給者が突出して多く、老年人口比率が高い。「このままではさらに沈む」という漠然とした市民の不安が、橋下さんへの期待につながったこともあるでしょう。
橋下さんは、品のない言葉で各方面に対する批判を繰り返すことで支持を集めてきました。反移民などを叫ぶ最近の欧州の政治家の例を持ち出すまでもなく、大衆迎合的なポピュリストは、政治や社会が病んでいるところにしか現れない、と言われます。ポピュリストは有権者の鏡であり、大阪に限ったことではないかもしれません。
特に、自民党支持から離れて支持した民主党にも幻滅した、行き場のない有権者が相当数いることを考えると、大都市部で何が起きてもおかしくありません。たまたま大阪で課題と不安感が突出しているに過ぎません。日本の政治や社会が抱える病理もまた、橋下さんに味方した、という考え方もできるでしょう。
(聞き手・川本裕司)
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きたむらわたる 70年生まれ。13年から現職。専攻は行政学で、地方自治や英国政治を研究。著書「政令指定都市」。
(引用終わり)
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