橋下市長「選挙を徹底的に大切にする政治家・国民にならないと民主主義のレベルが上がらない」11/27のツイート

橋下市長 twilogより引用)
僕の考えそのものです。twitter.com/ashikabiyobiko… 選挙至上主義と言われ続けた8年間。しかし選挙を徹底的に大切にする政治家・国民にならないと民主主義のレベルが上がらない。ただし旧い人たちが選挙を嫌がる気持ちは分かる。それはかつての選挙は質が悪かった。

中選挙区制で、政策が競われず、人間的な繋がりや利益の繋がりが重視される選挙では、選挙の意味がない。政策を競い有権者が選択する選挙への転換が日本の国にとって最重要。反対だけを唱える野党は全く存在意義がない。

朝日から読売までのメディア、それに学者まで、皆、戸惑っている。僕がやろうとした、この選挙の意義の転換に、ついて来れなかったのだろう。大阪都構想の住民投票によって大阪の人たちは気付き始めたと思う。

読売も酷かった。民主党野田政権が消費税増税を決めたときには、公約に反することでも国にとって必要なことはやれ、そしてそれは次の選挙で審判を受けよ、と。とんでもない。こんなことをやったら選挙が全く意味をなさなくなる。

朝日も酷い。僕を徹底的に選挙至上主義者として、選挙が全てではない、デモこそが世の中を変えるものだ、と。僕が大阪都構想を協議する法定協議会のメンバーを入れ替えるために出直し選挙をやったときもメディアは一斉に批判。意味のない選挙だと。

法定協議会のメンバーの入れ替えは、当時の議会の慣行上、やろうと思えば維新の会で断行できた。しかしそれは、あまりにも強権的すぎるし、もちろん維新の公約に掲げていたことでもない。だから出直し市長選挙で信を問うた。

出直し市長選挙では、相手方は意味のない選挙だとして対抗馬を立てなかった。メディアも、出直し市長選挙をやっても都構想は実現しないから意味がない、と。しかし、こここそが、僕がやろうとした選挙の意義の転換のポイントだった。

市長出直し選をやったがゆえに、法定協議会メンバーの入れ替え手続きの正当性を主張できた。法定協議会のメンバー入れ替えは強権的手法だ。メディアからも徹底批判を受けたが、僕はそれなら出直し市長選挙で僕を落とせばよかっただけと反論できた。

その後も紆余曲折あり、最終的には住民投票まで辿り着けた。小選挙区制に弊害があることは百も承知している。そしてその弊害を理由に中選挙区制の復活を主張する政治家も多い。政治はよりましな方の選択だ。

政治が政策を競い、選挙で有権者が選択し、行政が実行する。この当たり前の民主主義を実践するためには、選挙の意義の大転換が必要だ。そのためには中選挙区制よりも小選挙区制の方がましだ。質の良い選挙を徹底的に大切にする国を目指したい。
(続く…)

(続き)
選挙結果が出れば、反対していた者も含めて政治はその政策を実行しなければならない。しかし国民はその政策について当然いくらでも批判はできる。なぜ批判できるのか?それは実行する「責任」を負わないからである。メディア・学者の類も。

選挙で政策を競った政治家は、選挙結果に従わなければならない。それは実行する責任を負うからである。負けた選挙結果に従わなければ、自分が選挙で勝ったとしても相手が従わず実行できなくなる。

政治が実行力を伴うためには、政治家は、負けた側も選挙結果に必ず従うというルールが絶対に必要になる。僕がやろうとした選挙の意義の転換だ。これについて来れないメディアは選挙至上主義と批判する。

国民は実行する責任を負わないので、選挙で支持された政策であっても、いくらでも批判し続けて良い。ただしそれは政策に対する批判であって、絶対にやってはならないのは有権者の判断がおかしいという批判だ。

自分がこの世で一番賢いと勘違いしている世界一バカな連中は、自分の主張が選挙で支持されなかったときに、有権者がバカだと言い募る。選挙で競い合う根性もない連中に限ってそうだ。

政治家は実行する責任を負うからこそ、有権者の判断を尊重する。有権者の判断次第で政治家としての命も絶たなければならない。国民はそこまでの責任はないので選挙結果に縛られる必要はない。しかし有権者そのものを尊重する国にしなければならない。

そうですね。国民は最終責任者ですが、実行する責任は負いません。責任とは実行責任です。 RT @Dante_kinoko: 責任を負わないではないよ。結果自分たちに跳ね返ってくるのよ。やってる側の政治家の方が責任は辞めるだけでリセットされる世の中じゃないか。

大阪都構想の住民投票を受けて、僕や維新の会はそれまで反対していた大阪会議は受け入れた。自民提案の条例には賛成に回った。ただし大阪会議では何も解決できなかった。ゆえに今回の選挙にて大阪会議に代わる案として大阪都構想の必要性を訴えた。

その他、今回の選挙にて、大阪維新の会は、橋下市政で議会で否決され続けた多くの政策の必要性を訴えた。自民・公明、その他の党には、今回の選挙結果を踏まえ、維新が掲げた政策実行のために協議をして欲しい。維新も譲らなければらない。

選挙結果を受けて、選挙で支持された政策を実行するために妥協点を探る。維新は自らの主張を100%通そうとしてはならないし、他党は全否定をしてはならない。妥協点を探って実行する。これこそが選挙の意義の転換の、効果だ。

それからメディアや自称インテリ諸君。口を開けば対話、対話と言うが、現在の冷徹な国際政治の状況をもっと勉強して、「政治的」対話の本質を理解せよ。自称インテリの「サロン的」対話と「政治的」対話は決定的に異なる。

「政治的」対話を成立するさせるには「政治的」力の背景が必要不可欠。それは軍事力だったり、選挙での力だったり。力の背景のない対話は、政治的対話になり得ない。論説委員や自称インテリの対話とは決定的に異なるところ。

僕の市政のときに、対話で解決できるものは全て解決した。解決できなかったものは、どう対話をしても解決しようのないもの。だからこそ選挙で一定の政治的力を背景にせざるを得ない。選挙結果を受けて政治的対話が始まる。

選挙結果という政治的力を背景に対話を進めようと思えば、それら課題については選挙まで徹底的に対立をしておかなければならない。政治的対立の中で選挙があるからこそ、その選挙結果に政治的力が生まれる。

政治的対立いわゆる政治的争点が明確になればなるほど、選挙結果に政治的力が生まれるという政治メカニズムへの理解が、日本のメディアや自称インテリには全くない。課題についてなあなあの対話が続いている中で選挙が行われても全く意味がない。

僕は以前、交渉のプロで最も重要な能力は見立ての能力だと言った。対話で解決できる課題と、対話で解決できない課題の峻別。対話で解決できない課題を延々対話していても全くの無意味。何も結果を出せない。

僕は、一期目において対話で解決できる課題は全て対話で解決した。そして一期目において対話で解決できない課題については、選挙を挟んで政治的力を得て、次のステージで対話を続けるしかないと判断した。政治的実行のプロセスとしてはこれしかない。

選挙を踏まえ得ての政治的力を強く得るためには選挙前には徹底的に対立しておかなければならないというメカニズムについて日本の政治学者も全く知見がない。こういうことを言う政治学者は皆無だったな。まあ政治を実践していないから仕方がないが。

つまりある課題について政治的対話で結果を出すためには、選挙前にはその課題について徹底した政治的対立が必要となる。対話を進めるためにこそ対立が必要になる。これが結果をしっかりと出す政治的実践だ。今回の選挙で政治的対話の環境は整った。

対話を進めるための対立。メディアも自称インテリもチンプンカンプンだろうね。これは選挙の意義の転換が完全になされれば当然のテーゼとなるだろう。民訴法学者新藤幸司教授の争点効理論にヒントを得た。

徹底した論争を繰り広げた争点について一定の判決拘束「力」を認めるという理論。徹底した論争への判定にこそ「力」が生まれる。司法では争点効。政治では選挙「効」。

ゆえに対話では解決不可能と見切りをつけた課題については選挙まで徹底的に対立を繰り広げる。有権者に見える形で。選挙後の対話を見据えての対立。政治的対話は「力」の背景が必要だから。今回の選挙で一定の選挙「効」が生じた。政治的対話を期待する
(引用終わり)

結局、メディアが民主主義の熟成を阻害してるんですよね。
そうなっては困るから・・・

情報提供にネットを重視する維新ような政党が、力を付けるのはやっかいなんでしょうね。

でも、もうこの流れは止められないと思う・・・

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