何とか決着をみた集団的自衛権の与党協議。そして、憲法解釈変更の閣議決定。
(集団的自衛権自体に反対の方は、別にして・・・)
時の政権が、憲法解釈変更を出来てしまい、その歯止めが利かなくなる事に不安を持っている方も多いと思います(私もです)。今回が、その第一歩になるのではと・・・
以下の、橋下さんの提唱する「憲法解釈」をチェックできる機関(憲法裁判所)が、創設されればその不安はクリアされるのではないでしょうか?
(引用)
(集団的自衛権 行方を問う)解釈変更、立憲主義に沿う
橋下徹・大阪維新の会代表憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めることが立憲主義に反するとの批判があるが、さっぱり意味が分からない。
福井地裁で21日、関西電力大飯原発の運転差し止め判決が出された。憲法の保障する人格権が営業の自由や財産権よりまさるとの判断で、これもある意味で憲法解釈の一つだ。もし電力事業関係の法律を合憲とする従来の解釈を変え、原発を動かせない法を作れば立憲主義に反すると批判されるか。されないだろう。
つまり首相の解釈変更だけで立憲主義に反するわけがない。歴代内閣や官僚機構の考え方がおかしいなら、時の内閣の責任で正す。ただし国会と裁判所のチェックを受け、違憲とされれば、その判断は退けられる。三権が権力行使を憲法の枠内に収める判断をし、最後はチェックを受ける統治機構のあり方こそが立憲主義だ。
日本で解釈の最終判断権を担うのは最高裁判所だ。内閣法制局は内閣の助言役にすぎない。集団的自衛権の問題は法制局の解釈を絶対視したり、立憲主義という魔法の言葉で批判したりせず、純粋な憲法9条論で議論すべきだ。そう考えると、首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の9条論に比べ、法制局の解釈の薄っぺらさが明らかになる。
ただ、日本の一番の問題は裁判所のチェック機能が著しく弱いことだ。裁判所は政治のチェックに消極的で、制度上も具体的事件でしか憲法判断をしない。司法積極主義の考えを採る最高裁長官や裁判官を任命し、裁判所の憲法判断を促す法改正を進めるなど、政治の責任で統治機構のゆがみを正していくべきだ。
政治家が憲法解釈をすることに国民は怖さを感じているが、裁判所の機能が強化されれば和らぐはずだ。政治家の解釈変更と裁判所によるチェックの両輪でバランスを保つべきだ。
日本維新の会は、限定的な集団的自衛権の行使を新たな憲法解釈として容認する。しかし、最高裁人事のあり方を変え、憲法判断をしやすくする裁判所法の改正もワンセットで実現すべきだと考えている。
(5/27 朝日新聞)