(引用)
9月17日朝日新聞2面(「続きを読む」以下に掲載)。日本とニュージーランドの教育行政の違いが図(リンク)になっている。まさに日本の教育行政の仕組みを学校の自立を軸とするニュージーランド型にしようというのが維新の会の教育関連条例。ニュージーランド型の完全な自立はまだ日本では根付かない。コミュニティースクールもまだまだ。
ゆえに日本の現状に鑑み、学校協議会を設置し、学校運営にかかわってもらう。学校運営計画の作成、評価、不適格教員を研修に送る申し立て。そして保護者による教員評価など。さらに校長の権限と責任を拡大し、そのような校長に自ら就きたいと志願する者を校長にする公募制。
このようなことを定めたものが維新の会の教育関連条例。そいうところは一切報じられず、教育評論家は、育への政治介入だ!と叫ぶばかり。当時の府教委も同じ。このように教育行政の仕組み制度を変えるのは、教育委員会では無理。教委は現行制度の中で仕事をするのであり自ら制度を変えることはできない
現在の教育行政の仕組みに疑問を持ち、新しい仕組みを模索しているのが維新の会の教育関連条例。全てが完全に正しいわけでもないだろう。人間の作る制度なのだから。これは教育委員会が作る制度も同じ。だから不断の改善作業が必要。それを教育への政治介入!というフレーズで全否定するのは思考停止
(橋下氏 twilogより)
(引用)
運営に市民、学校改善〈教育あしたへ〉
■仕切るのは誰だ:下
教育を仕切るのは、国でも首長でもなく「市民」。そんな究極の選択をしたのがニュージーランドだ。
牧場や果樹園が広がる人口約6万人のネルソン市にあるネイランド高校。月に1度、保護者の中から選挙で選ばれた5人と、校長、学校職員、生徒代表の計8人が教室に顔をそろえる。いずれも学校理事会のメンバーだ。「新しいコンピューター買う?」「学習ボランティアの申し出、受け入れる?」。夕方から約3時間の会議で、学校の重要方針が決められていく。
23年前、100年以上続いた教育委員会制度を廃止。全国の公立小・中・高それぞれに設置した学校理事会に権限を移した。「現場に近い所で政策決定する方が効率的」というのが理由。苦しい国の財政事情が後押しした。
理事会の権限は強力だ。学校の目標を決め、校長を選び、国から配分された予算の使い道を決める。検定教科書もないので、地域の実情に応じ、子どもに何をいつどう学ばせるかも理事会が大方針を決める。独自の行事や特別な授業をしたければバザーを開き、地域のボランティアを募集して人件費を補う。会社の経営陣のような役割を担う。
その分、理事の負担は大きい。議長になると校長と週1回、1時間程度のミーティング。設備の修繕や学習状況など相談や報告のメールはひっきりなし。会計や法律の知識も必要だ。
国立教育調査研究所によると、約1割の理事会が、資質のある保護者が足りないなどの問題を抱える。「それでも学校の自立運営は、地域の実情に沿った教育を柔軟に展開するかなめ。多くの国民が満足している」とキャシー・ワイリー主任研究員。
日本でも学校の権限拡大は必然の流れだ。右肩上がりの時代は「より豊かに」が国民共通の願いだったが、低成長時代に入りニーズは多様化している。一律の教育では立ちゆかない。日本もニュージーランドのようになる日が来るのか。
小学生の子どもとクライストチャーチ市に半年間滞在した作家の川端裕人さん(48)は、学校理事会がうまくいく条件を三つあげる。保護者が学校に関わる十分な時間。実務研修などの支援。学校ごとに多様なカリキュラムを許す文化。
日本でも、今年4月1日時点で、全国の公立小中学校の3.6%にあたる1115校が、教委からコミュニティ・スクール(CS)の指定を受けている。地域住民や保護者が、校長の基本方針を承認▽教委や学校に意見を言う▽教員人事に意見を言う――の三つの権限を持つが、国の委託調査によると、基本方針への修正意見は、85%が「なかった」。人事に意見を述べたのも16%にとどまる。
それでも、調査をした日本大の佐藤晴雄教授は「地域と学校の結びつきが深まる利点は大きい」という。
津市郊外の市立南が丘小学校は「市内で最も苦情の多い学校」と言われた。7年前にCSに指定され、苦情は激減。会議や授業の手伝いで地域の人が連日学校へ来るようになり、顔の見える関係になったからだ。
独自のアイデアで、住民アンケートを元に地域の意向を毎年学校に伝える。今年は「英語に力を入れて」「校舎補修を行政に働きかけて」など9ページの提言を渡した。森田正美校長(56)は「地域が何を求めているかよく分かり、我々が見えなかった点に気づかされる。すべて学校の運営に反映させている」と話す。
佐藤教授は、CSが機能するには、まず学校と地域の相互理解からと指摘する。「そのうえで、どんな形で地域が学校に関われるか、試行錯誤を積み重ねて日本型のCSをつくっていけばよいのでは」(阿久沢悦子、編集委員・西見誠一)
(朝日新聞 9/17)