橋下徹vsハンガーストライキ中「辺野古県民投票の会代表の青年」

BS「報道1930」に生出演した際

TBSらしい番組の趣向で
ハンガーストライキ中の「辺野古県民投票の会代表の青年」に
橋下さんが呼び掛けをさせられました

まだの方は是非!


(※動画が削除されてしまう場合があります、ご視聴はお早めに…)
<<下に続く>>


絶賛発売中!

案の定
橋下さんの話には聞く耳を持たなかったですね

その後の報道で・・・
県民投票全県実施へ 与野党、3択合意 5市長参加の意向 29日に条例改正 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

住民投票で「3択」って(笑)

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コメント

  1. 仲井 より:

    からかうつもりで書くわけではないことを前置きして、一寸こんな話も。

    今世間では節分節分と、正月からの再度お国の行事が毎年のように行われようとしている。
    この話題を連日テレビで放映している。
    いろいろな種類のものが店頭に並んでいると言って。

    中國の春節の時期と同じゅうして、日本での立春、つまり節分の行事が行われる日本で、人々はこぞってなぜか巻きずしの丸かじりという摩訶不思議な行為でその年のことを願うという奇妙な風習が続いている。
    こんな世界中にはまずない習わしが、この日本にはある。

    それはそれでまあいいとは思うんだが、
    だが、現状見てて思うが、今売られている日本の巻きずしは、もはや日本の巻きずしには”なっていない”と私はここ最近いつも思っている。

    あれは、【ゴロゴロ巻き】だ。

    巻きずしの体をなしていない。
    いわゆる日本に存在していた巻きずしとは、遠くの位置にあるものである。
    私らが子供の時期、そして昭和50年代に入る頃くらいまでの日本の中ではあれはまずなかった。

    日本で巻きずしといわれていたものが、今では【ゴロゴロ巻き】とうものに物が変わったその原因は、
    何処がどう違いだしてきたのか。

    まあ巻きずしをまく職人が居なくなってしまいだしたのかそれとも巻きずしの巻き方を知らないものが品ら言者に教えてそれを巻きずしとして売ることをやりだしたのか。
    多分校舎であろう。

    昔大阪に小僧寿しという、まあそれまでの日本人が思うお寿司という内容とは違う、食の、或る意味イメージを根本から変えてしまう、お弁当イメージの強いお寿司屋さんが発生(昭和40年代だったと思うが)した。

    それまでお寿司はお寿司屋さんで食べるものだったものをここから一気に、お寿司を、誰でもが普通に市場やスーパーでいつでも”お持ち帰りの商品”へと変えていき、その後のスーパーでほとんどのお店でこのお寿司のパック詰めの持ち帰りが起きだした。

    この時期になりだしたころに、この料理という部分の、特にお寿司の職人という、この職人という仕事の内容が一気に変わりだした。つまりそこら辺の家庭のおばちゃんが、販売店舗でほんの短期間のちょっと講習で訓練されて
    お寿司を握り巻物の巻きずしをまいてそれを商品として一般に売れる商品になった。
    お寿司が職人が握らなくても昨日雇った普通の店員が、アルバイトの奥さんが、普通に握ってそれをお寿司として売れる時代が作られだした。

    日本人が日本のお寿司の料理人にあこがれていた現場を、ここらあたりでその職の中に一気にこういう短絡的に安い給与でそれらしく作っていれば商品になるというこの形をこの時代から創っていった。
    この発想は日本人から出てきたものではない。

    その名残が今のこの丸かじりの巻きずしというものにそれがそのまま表れて出て居る。
    日本のものが、今ではよその国の食べ物に代わっている。

    いま世間で、日本全国で売られている巻きずしといわれているものの半分近くは、特にデパートやスーパー、お弁当屋さん等で売られている巻きずしといわれている巻物は、殆どが”ゴロゴロ巻き”である。

    巻きずしと【ゴロゴロ巻き】はどう違うのか。

    ゴロゴロと転がして巻くものと、巻いて巻くものの違い。

    この違いで、実は食べた時の違いが出てくる。

    巻きずしを巻くときは、海苔の上にお寿司のシャリを八分どころまで敷き詰めて、その上に具を乗せて巻くんだが、その時に、端から海苔を持ち上げて巻きすで巻いていく時に、敷き詰めてあるシャリで、海苔の端を巻洲ごと手で摘まんで巻くうちにシャリとシャリの合わさるところで、その位置で巻きすを当ててくっつけて巻き込むのがきれいに巻ける。これが基本。
    これをやれば、棒状の巻き込んだ芯のネタの部分は、巻きずしの海苔の内側部分、円周のシャリの部分、この円状の周囲全体をすべてシャリで均等に巻かれていて、かぶり付いて口に入れてみると、巻いたネタと、シャリが均等に口の中に入る。つまりシャリに合わせて巻き込むネタとの考えた味バランスが、すべて割合でそこで妥当なところに行く。その状態で普通は巻いたものが日本で続いてきていた巻きずしである。

    だが昨今現場で売られてるものをみたら皆さんも今日にでもちょっと現場で見てもらうとすぐにわかると思うが、海苔で巻いたその海苔が、中に入っているシャリの中にy印bのように一部分で巻き込まれていて、食い込んで巻き込まれて、まあ言えば、”のの字状態”で巻き込まれている巻きずしがほとんどになっているはず。
    これをやると巻きずしの中で、シャリがそこで巻き込まれて途切れてしまい、海苔が一部分二重の部分が出てくる。
    こうなると口に入れた時に一部分で海苔の重なる部分で、歯切れが悪くてそこで仕方なく無理やり引っ張って食べたりして、そのおかげでついつい潰れて崩れてしまい、せっかく巻いたものがぐちゃぐちゃになったりする。
    これはお寿司のシャリというのは基本ネバつかずにばらけるような仕様になっており、結果シャリが収まって落ち着くのは巻いてあるその海苔とシャリが接したその部分だけ、そこに海苔と海苔が直接重なってシャリを挟まずに二重に巻いてしまえば当然巻いたものはそこの部分で崩れやすくなる。

    素人に任せる現代のこの風潮が生んだもの。
    職人の仕事に素人がそこに手を出しそこでいい加減なものを作りネタさえ高価なものを入れておけば効果になって高い価格で売れると思う経営者がそこらじゅうで発生している。
    これは巻物という代物ではなくてゴロゴロ絨毯を転がして巻いたものとうう状態。

    これをテレビではもう褒め称えて映像で流してやっている。

    つまりテレビ局の連中は本物のものを食べさせられていない状態で育ったのだろう。
    現在のテレビ局のスタッフ自体がもう料理のその職の部分を全く知らない、殆どのものがそこそこの料理屋など行ったこともないものが激辛しか詳しくないような潮子らへんの朝鮮人が日本料理を語るがもう唖然とするばかりになっている。

    テレビ局よ!
    局のスタッフにちょっとはましなところでましなものを食わせrてやれ!
    全く本当のものを知らないものがただ食べて大声で叫んで”うまい!”という。
    ふざけるな!って。
    静かにしろって!
    もうその時点でその店に行く資格はない。

    【大きな声をまずは出すなと!料理人やその座敷及びお店に失礼やろ!】と】

    物には職仕事という誇りのものがある。
    別に何年もという修行などはいらないが基本でやるべき理屈が抜けて、ただそのような見せかけで売られているものが今そこらじゅうで起きている。

    そういう状況になるから本気でその料理の道に入ったものが職仕事というものへの求めるものがおろそかな体質になってしまう。そこで結果職人の給料がもう桁外れに低いものになっていく。

    まあいえば、
    おばちゃんでも間に合うやんかという朝鮮人発想である。
    従業員に払うものは安ければ安いほうがいいというこの発想からくる連中が、こういう職仕事の価値を屑のように扱いだし(朝鮮ではこういう何の職でも職という域は、内容は奴隷がやっていた)日本でこれを徹底的にやりだした。
    テレビがそれを別に異常だとせずに、このいま行われているこんなゴロゴロ巻きずしをただネタが多く入っているからというだけで高給な巻きずしですとやってしまう。

    仕事と職という部分を、日本がつないできた大事な部分が、破壊していったのは日本人の手ではない。
    神社の構築の宮大工という職仕事がある。
    彼等にはその誇りと職の極みを丁寧に教え伝えている。
    これは厳粛な神社仏閣でだれもができるものではないし似通って旦那せるものでもない。
    こういう分野には朝鮮民族は参入してこない。
    まがいでそれに似通ったものを作れるという分野にそこに騙せるものに入ってくる。

    最近のテレビで扱うこの料理の職という部分がまあいわば昔発生した当時の小僧寿しの発祥の時代以降からその内容が今でもテレビはその状態で進んでいき、結果日本料理というものの深さ、面白さ、凄さを、ないがしろの、職の部分をまるで消して潰していっている。
    朝鮮民族が日本でやってきていることは、或る意味壊しやであり、日本の昔からの引き継がれた貴重なもの、これらを手軽に勘違いさせられるもの、騙せるもの、つまり偽物、見間違えさせられるもの、単純ではあるが貴重な深いもの、物凄く伝統があるものまでもぶち壊す残酷な部分がそこにあることを、皆日本人は知るべきである。

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