橋下徹生激論!「爆笑問題・太田、今年の問題をナマ議論。(教育現場)大人のいじめ・ネット自警団など」

記事をシェアして頂けると嬉しいです

12/22 フジ系 ニュースバラエティ

フィギュアスケートが押した関係で議論時間が若干短くなってしまったようですが・・・

橋下さんと爆笑問題・太田さん
意見がぶつかり白熱!

※残念ながら動画は削除されました・・・

<<下に続く>>

森友・加計学園問題、そして「桜を見る会問題」でも繰り返された「文書は廃棄した」「データは消去した」「復元できない」という政府答弁。形式的にルールに従ってさえいれば問題ない、とする政府の考えはおかしくないか。橋下徹氏の見解は? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月17日配信)から抜粋記...

<<2019一番話題になった橋下さんの著書>>

橋下さんの公式メルマガ
橋下徹の「問題解決の授業」公式メールマガジン|PRESIDENT Inc.

amazonで公式メルマガのバックナンバーを販売しています!

販売中メルマガ一覧
http://amzn.to/2ApBkaE

【amazon Kindle Unlimited】月々980円で書籍も雑誌もマンガも読み放題!PCでもスマホでもタブレットでも読める。(初めての方)30日間無料お試し実施中!

コメント

  1. 仲井 より:

    番組中の、「神戸教師痛めつけ行為が写る動画」を見て、太田が発する発言を共有する者らが、この日本の中にものすごく多く存在してきている。
    あれを見て瞬間的にその内容を判別できない連中がもうわんさと居てることは私が40年近く前から学校現場でのいじめとされる棒鋼や強迫恐喝行為を行っている生徒間の内容について現場とのやり取りでそれは現実に見てきている。

    【なんでそんなに言われるほど悪いのか?学校中で問題にするほどの事か!】と、

    私に、こういう状態で突っかかる言い回しで言ってきた加害生徒の父親が居てたが、こういう事がこういうことで捉えて、しかもこれが別にそんな大層なことじゃあないだろうが、子供同士の事なんだから親がいちいち文句を言って学校に呼び出すほどじゃあないだろうが!】と言ってきた親らがいてた。

    加害生徒の親から、こう言われるまでに、この状況で私が動き出したことについて、それについて、見てると学校が何もしないので私が一歩中に入ってこれを問題化して学校中で考えてとにかくまずは皆で実態を知って、これを学校がどうするのかを、教師だけではなくて親御さんらもこの事実を知ることが大事だと、だから親御さんにもこれを知らすために学校に読んだんだと伝えたがまあ個々の時点でも大変な状況が現れるほど連中の感覚はまあ普通の日本人が考える意識では到底図れないほどに私には異常に見えたししかも或る種昔からの日本にはまずなかっただろうという、こいつらの感覚が私には異様に見えた。

    まあこういう状況を教師もほとんど手を付けず、いや、手を付けることが嫌なんだろう、言っても聞かない、言っても解らない連中相手ではどうにもならんというあきらめという部分と、とにかく自分が何か責められること、自分に何かミスなり結果落ち度があるのでは?という【恐怖】、それを見られたくない、知られたくないという【恐怖】(←日本人はこれを恐怖になど全く感じないで普通に自分はまだまだ教師として半人前だと、未熟なんだと、それぐらいで頭で処理出来るんだが、だが朝鮮民族の教師らは、ここの捉え方が全く違っていて、自分に於ける評価という部分に異常に神経が先走り、自分の評価が下がるのでは?というものが、これが奴らは【恐怖】と捉える、それをとにかく守ろうとする異常なほどの執着を持つ)に思い、生徒がどうのこうのではなくて、自分がそのことにかかわると自分の評価が校長や教頭らや教師の中での力を持つ日教組の教師らからそうみられるのではというその意識で生徒は全く後回しの対応になる。

    つまりかなりの期間知っていても見て見ぬふり、解っていても自分のかかわる期間を何とか早く通り過ぎればいい、自分から関わりの期間が離れたら次の教師なりほかの教師や校長らが責任を取ればいいと、という意識が先にいき自分の責任の範囲ではないと、そうでなかったことにするし、とにかく知らなかった気づかなかったとなる。

    昔の日本人の教師は、ひとりの教師の中でそういうクラスが発生していればもう教室の周りは校長から教頭から皆の教師が一体で対応していた。
    まあ昔の学校で今起きているようないじめのあの悪辣な行為だとか教師間の嫌がらせだとかまあ私も自分の京大はかなり多いんだが兄や姉などからも学校内でのそういう事案など一度も聞いたこともなかったし私の時期にもそんなことが起きたことはほぼ聞いたこともない。

    多分小さなことが起きていたのだろうが、だがそういう時期には昔であれば日本人の教師であれば、私の地域にも小学校は30校近くがあったが、小さなことが出始めた段階で、教師も校長も父兄にも生徒にも、直接もう教師がその中心に入ってきて、みんな集めてその場で直談判で殆どを事前にすべて解決したり指導も家にしょっちゅう教師が出向いて両親生徒らまた地域の住民らにも皆内容を共有できるようにやれていた。

    子供さんが地域の民家が栽培している畑に入って、夏休み中などに何人かの小中学生ぐらいが、スイカを一個拝借しただとか、春の桃だとか、秋のミカンをちぎっていただとか、せいぜいそのくらいの出来事ぐらい。

    これぐらいで教師から大目玉をもらってる生徒が居てたが農家の叔父さんは笑って済ませていたぐらいな当時、これが日本の当時の学校での我々の地域でのことぐらい。

    現状起きているよう縫い琴線を脅し取るだとか、暴行で長期間痛めつけるだとか、生徒を学校に来られないまでに追い込んでの脅迫や痛めつけ、いじめ行為をやるなどという行為は、まあ日本人の集落ではまず感覚ではちょっとと考えられないことであったが、今それが起きているのは日本民族がこれを行っているのではないということを日本の国民はそのことをまずは認識をしておく必要がある。

    私の地域など一角で5万人以上が住んでいた地域だったが、私が高校を卒業する3年生の頃までは、警察のあのパトカーは1台も無くて(ジープもなかった)、信号機も私が高校三年生の時に高校の近くに初めてその時に1基が設置されたほど。
    あのNHKのアナウンサーだった志村さんが高校の校長のたまたま同級生で、その関係で地域に東京からわざわざ17時間もかけて私の地域の高校に来てくれて後援をやってくれたがその時に志村さんが、
    「この地域には信号機もパトカーもないことに驚きました、これほど安全な地域で皆さんの生活の状況、人格がわかるような気がします】とおっしゃっていただいた。

    教師から学校で強烈に怒られた記憶で行けば、
    学校は私の地域では当時7月の25日までは海での勝手に海水浴は禁止で、それまでは海での泳いでは駄目で、無断でそれをやると学校からきつい罰がされていた当時なんだが。

    7月の17日という日が日照りが続いていて、熱さが半端なくて(地球温暖化などと言っているが、嘘だろうが!って我々の時期のほうがもっと熱かったぜ!って、もう当時は今のような状況どころか暑さの感じ方はとてもじゃないがもっと凄かった)、小学校の学校帰りに3人で学校帰りに海に入って泳いでいたところを地域の上級生に見つかって学校に言われ、そのことで我々を教師らで探しに来たがわれわれは見つからないようにと、島の岩陰に隠れていて、そしたら行方が分からないということで地域の漁師さんらまで繰り出して船で探すというところまで行ってしまい、この時は大騒ぎにさせてしまいもうこれでもかというぐらい学校から大目玉を食らった。

    罰として、学校の小学校と中学校の運動場に生えている雑草を一日かけて抜く、刈るという作業をさせられた。
    炎天下でもうとてつもないぐらい熱くてでもそういう時代だった。
    学校で問題が起きるといってももう子供がやるなあと思えるレベルだった。

    現状はもう凶悪犯のたむろする場所にもなっていることを子供だからだとか教師だからだとかそういう目線で見ないことだ。
    日本民族か違う民族化をまずは見極めたうえでその人物はどういう成り立ちで生きてきたのか育ってきているのかを周りからうかがってみないといけない時代に来ている。

    間違えたらいけないのはテレビ新聞では日本は変わった日本人がこんなに変わったと報道されているがこれは全くの嘘である。
    明らかにやってる側は朝鮮民族である。

    つい最近のタクシーでの強迫恐喝逃亡での社内ビデオで撮られた動画によって犯人が逮捕された事件、
    神戸兵庫県で今現状起きているあの教師痛めつけ事件だけではない多くの学校関係での事件、最近逮捕された高齢者への特殊詐欺事件犯罪、
    皆朝鮮民族による犯行。
    皆さんもよく新聞テレビネット上で見る内容を見てれば解ると思うがこと犯罪という種類の逮捕事件についてそこに日本民族はもう本当にいないことに気づくはず。

    学校がここまで悪辣集団に変遷して行ったのもか川良時日本の朝鮮民族議員らは誰一人この学校の教師及び朝鮮民族の子供らが起こすいじめと称するとてつもない凶悪犯罪(被害を受けている生徒、子供にすればこの世は終わりだと思わされるぐらいの凶悪さを感じて怖がっている)を行っていることをこれをどこからきているのかをここをまず原点に戻って考えていただきたい。

    日本の国会議員や芸能人がなぜ昭和50年代が始まった前後に一斉に日本人に帰化しているような記録になっているのか、なぜ昭和30年代や40年代初頭にはなぜこいつらの一家は日本人に帰化されていないのか、
    なぜ昭和50年代に入ったとたんに一斉に帰化された記録になっているのかを、ここの原点の中身を日本人はよく考えて今後の日本という国家日本刀国の学校現場、政治の世界、よく考えるべきだ。

    公明党の議員も立憲の議員らも社民、らも、多くはこの時期に帰化して日本人へと変遷している実態がある。

    一番この時期がこれをやれた時期なのか、
    都合がよかったのか、
    それとも終戦時期に実は騙し取っていたことが何らかの状況の漏れでバレて脅され、だがいうことを聞けば罪に問わないという条件で、まんまとそのまま日本国籍へと朝鮮民族から帰化を法務省が認めたのか、

    それとも法務省自体に実は日本の国籍を騙し取っている官僚のものが居てて、その官僚らが自らの偽装している国籍の素性で脅され、その中で日本国籍へと一斉に帰化が許可されたのか、
    其れとは別にいまだに正式に日本の国籍を許可されていない状況でいつの間にか日本の国籍をつかんで現状持っているものがものすごくいてることを本当にどう思ってるのか。

    日本民族の日本国民なら、終戦当時も在日は60万人で現在も60万人だなんてもう話にならん数値での虚偽を延々ここまで戦後から日本国民を平気でだまし続けてきて、日本人なら綾里前のように事実を皆が知っているのにそれを隠し続けているこの内容はどこにあるのか。

    権力側に居てる連中だからか、
    それとも関わるものらが互いが互いを脅し脅されてるのか、

    いったいどっちだあ????って。
    日本人ならこれって聞きたいよなあ。
    真実事実はどうなんだ!ってさ。

    私は日本の日本人の全国民にそれを聞きたい!

  2. 仲井 より:

    もうかなり前になるが一度これについては書いたこともあるんだが、今日NHKを見ていたら実は落合の功績をドキュメンタリーで紹介していたので、これは一寸再度この件はもう一度書いておきたいと思って書いてみる。

    日本のプロ野球史上最高の記録を作った伝説の大打者、落合博満。
    誰もが一度さえも獲るのに難しいあの三冠王という勲章に値する記録を、落合は3度も成し遂げた凄さ。

    彼の野球人生は、彼の持つ実力の凄みと、それと相反する受けた辛らつで理不尽すぎる暴行から始まっている。
    彼の名が全国に響き渡りだしたのはあの東芝府中の社会人野球生活時代からである。

    彼は東芝府中時代、同じ野球部の部員から、先輩らからもう理由なく考えられないほどの理不尽極まりない暴行を毎日のように受けていたことがあるという。彼はそれがもう耐えられなくなって、野球選手で生きていくという道をいったんあきらめて、こんな目に遭ってまで野球などできないと、まるで暴力団だと、そう思って、自分の生きていく世界ではないと、自分の田舎の東北の実家へと帰っていった。
    自宅に帰った落合は実家の農家を手伝い農業で食っていく道で生きていこうと思い出していた。
    実家に帰って二年が過ぎたころ、一人の男性が遠く東北の田舎まで落合を訪ねてやってきた。
    それが当時の東芝府中の野球部監督であった。
    落合が東芝府中で野球をやっていたその居てた頃からの同じ監督で、その監督があれからもう二年も経ってから、また突然落合のもとを訪れたのだ。

    【何とか戻ってきてくれ、もうあんなことは絶対にさせないから】と、延々と説得をしてきた。
    【君が居ないとチームが出来ない、ぜひ帰ってきてくれ!】と、この一点をただ懇願のように発してきた。

    其れから後日、落合は再び東芝府中のユニホームを着てチームに合流していた。

    そこから落合の名前は全国に知られることになり、そこからプロ野球の世界へといった。

    初め落合は二軍で合流し、そこでは落合はどうしても東芝府中時代の暴行のことが頭から離れずに、そのことがまだ残っていて、そういう環境のチームには彼自身が拒否反応で溶け込めない感覚になっていた。当時のロッテ二軍監督はもう軍曹のようにビシバシ行くタイプの二軍監督で、落合はその状況になじめずついついその二軍監督からは離れがちで、結果いう通りにしない選手だというレッテルを張られ、実力で入団して期待されて入ってきていたにも拘らず、煙たがられ、監督からは弾かれるような存在にされていた。

    それが続く中、悶々と過ごしていた落合にとって、突然に降ってわいた光が差した事が起きた。
    シーズンが終わってから一軍の監督が新しい監督に代ったのだ。
    山内だった。
    彼は打率とホームランの大打者であり、ことバッティングに関しては日本の誰もが知っていた中西太と並ぶ戦後の名打者であった。
    彼は春のキャンプが始まった折に、新監督がいつもやる二軍にいい選手はいないかを自分の目で見に来るというあれである。
    二軍にやってきて、練習風景やバッティングを見ていて、二軍の監督と話すうちに、山内がグラウンドを見ていて特に際立つ選手を見つけた。
    すぐに近づいて横でバッティングを見て、二軍の監督に対して、
    【なんで彼を一軍に上げないのか!】と言ったら変な顔をしたが山内は即断でこの選手をその日のうちに一軍行きを命じて上に挙げた。
    それが落合博満である。

    落合が入団してから長い期間、実力があるにもかかわらず何故二軍にずっと置かれたままで一軍に上げてもらえずにおらされていたのか、なぜ、二軍監督に嫌がられ疎まれ疎外され続けていたのかというと、その二軍監督が落合のバッティングフォームのコーチをやりだし、その打ち方は駄目だ、こうやれと、強制的に打撃ホームを変えさせられだしたので、それに落合が反発し、自分の考えるバッティングフォームを誰にも一切触らせなかった、むろんその二軍監督にも触らせなかった。それが原因でずっと一軍に上がれずに放置されたままであった。

    年齢も新人だといっても結構いってるし社会人で結構やってるし、しかも農家をやっていた二年というブランクもあり年齢も結構もういい年であったし。

    落合は二軍監督から疎まれ力はあるのに日陰に追いやられていたが、山内という監督が一軍の新監督に就任したとたんに二軍から即刻で一軍に上げてくれた。
    二軍からなぜかすぐに一軍に上げてくれなかったあのイチローと全く同じ状況である。

    落合はその年の開幕から彼はガンガン打ち出し、7月のオールスターではパリーグの4番を任されるまでになった。長いプロ野球の歴史で新人でオールスターで4番を任されるなど過去に一度もなく、まさに誰もが認める4判であり、そしてそれが彼が初めての事であった。

    彼はオールスターまでにすでに15本のホームランを打っていた。
    ここから彼の栄光の野球人生の幕が開く。

    誰もが感動する、誰もが感服する、誰もがその凄さに感銘を受ける、あの異様な開き気味のあのスタイルから出てくるバットで弾かれた打球が、ふわっと浮いてスタンドに打ち込まれるたびに、なんともいえぬ【凄い】の声が上がる。松井や田淵や中西のホームランとはまた違う、落合ならではの、落合にしか出せないあの軌道、ふんわりと宙に浮かんで流れて斜めに飛ぶホームランであった。

    打つ折に独特のバットによる微妙な捻りが加わっている独特の打ち方であり、この捻りが入るのできわどいコースはファールでカウントを稼ぎ、ピッチャーが最後投げてくるボールに的を絞って打ち放っていた。

    見ていて凄いの一言だけが頭と目に残る打球を飛ばしていた大打者であった。
    ファンは常に落合に目が行き、野球の目の肥えたファンが誰もが頷く凄さがあった。

    誰にも真似出来ないあのバッティングフォームから打ち出すホームランに観客もテレビを見ている人も皆が興奮して酔いしれた。

    その落合が東芝府中時代に受けたもう考えられない、理由もなくなぜか毎日のように殴りつけてくるこの状況はいったい何なんだと、
    この状況はいったいどういうことからこうなっているのかと、
    何故監督もコーチも誰もが何もしないでこんなことを放置させておくのかと、
    落合にはどう考えても納得がいかなかった。

    本人にしたら訳が分からんはずだ。
    せっかく好きで野球をしに来てるのに野球とは全く関係がないただ先輩だからただ後輩だからというだけで、毎日毎日並ばされて一斉に皆が先輩から何故殴られないといけないのかと、

    そらそうだ、何も悪いことが起きていたわけでもなく、ただ先輩が顔を見るたびにベンチで練習が終わるたびごとに一斉に並ばされて拳で殴られる。
    こんなことが普通に起きていたという。

    もう野球ではない。
    普通に拷問の存在するしごき部屋のようなものだ。

    或る時あの星野仙一が、
    【野球でそれぐらいのことが辛抱できない奴は一人前になれない】などと言っていたが、
    それを捉まえてテレビや新聞では星野仙一が死んだとき、彼の人物像をこう表現した。

    【星野は熱血漢で、素晴らしい男だった】と、
    【野球に対する情熱は非常に厚いものがあり偉大なる指導者だった」などと、
    【熱い情熱をもって向かっていた、炎の男だった】などと。

    私に言わせればクズのような人物だったと言うだろう。
    指導者などと呼ぶ神経がわからん、ただのやくざの班長である。
    これをテレビ局にも伝えたことがある。
    葬儀の報道の折に。

    【お前ら星野のどこが素晴らしいのかを言ってみろ!ただの暴力団のやくざと同じじゃないか、あれをスポーツで認めておいて学校での体罰は駄目だってか、どっちもあかんやろが、誰でも判るやろ、なんで星野の暴力が熱血指導になるんや!あほかお前ら!朝鮮民族にはあれが素晴らしい状況に見えてるのか!】って。
    【日本人で、たかがスポーツで、監督ともあろうものが、指導者が、可愛いはずの、育てなあかん筈の選手を、何であんな手にかけるんや、なんで酷い目に、とにかく手を出す、人を殴るなんて、まともな人間ならしないぜ!】って。
    星野に、もしも会っていたら、私なら、
    【お前さんは日本には要らん、向こうの国でやってくれ、即刻で祖国に帰れ!】と言うだろう。

    ★N国党の立花孝志さんが、
    星野仙一にはNHK時代交渉などでもよく会っていたらしいが、星野仙一のことを、

    【あれはクズだ!】と一刀両断で切り捨てているぐらい、そう言っていたが、私も同感である。

    暴行や脅迫や陥れやだまし討ちや、嘘の出鱈目や嫌がらせや、もう数限りない痛めつけ内容はあるが日本の昔にはこんな話など周りですることもなかった。
    起きていなかったからだ。
    もう日本は日本人の国ではない。

    落合が、あれほどの選手が、一度は現場を体罰暴力が耐えられずに離れていったその気持ちを今のこういう世界で指導する立場の者らは身に染みて心するべきだ。
    自分らは日本に無かったことを持ち込んでいると、ここをまずは自覚をしてもらわんと困る。

    民族が違うんだから日本に住んで日本人と交流して日本人の中で生きていくなら、合わしてもらいたい。
    日本で住んで日本人と普通に対等に暮らしたいなら、日本に無かったような悪癖は、そういう慣習は日本にもってきて広めるなと言いたい。自国、祖国に帰ってやれ!って。

トップへ戻る