橋下徹×櫻井よしこ「小泉進次郎大臣、子供の読解力低下、桜を見る会(公文書保管問題)など」

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12/15 フジテレビ系
朝の報道番組に出演!

恒例になりつつある「橋下×櫻井 生討論」

(※動画がすぐに削除されてしまうと思います、ご視聴はお早めに…)


<<下に続く>>

首相主催の「桜を見る会」問題がなかなか収束しない。安倍政権の危機対応にまずいところがあったからだが、より本質的な部分で恐ろしい事態が進行していると橋下徹氏は指摘する。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月10日配信)から抜粋記事をお届けします。

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コメント

  1. 椿 より:

    小泉大臣がダメなのは真実だと思うけど、
    こんなダメダメ賞をもらう羽目になってるのも、
    裏で韓国や中国が必死で【日本貶め工作】に励んでるんでしょうね。

    そういう外交戦略が全くない日本の方が問題だわ。

    日本の環境汚染よりも、
    シナ領土が97%も使えない荒廃した土地であること、
    また韓国の放射能汚染についてもまったく言及されていないなんて、
    なんらかの裏や悪質な工作があると、気づかんか⁉️

    本当に役に立たない政治家官僚たちだわ‼️

    給与泥棒‼️ 寄生虫‼️ と言われるのもわかります?

  2. 仲井 より:

    テレビでの作り話、嘘からのでっち上げでの悪意の基に放つ隠蔽工作と騙し取り工作、
    気の長い、人を許す、真面目過ぎる日本民族相手に、そこに付け込み正にメキシコの砂漠を荒らしていた盗賊、西ヨーロッパ、ユーラシア、中央アジアを荒らして放浪しながら山賊をやって生きながらえてきた民族がこの偉大な国民偉大な国家日本という国をまさに今奪い取りに強奪しにやってきてもうかなりの部分ですでに奪い取られてしまっている現状。

    テレビ新聞はそれに加担しここまで不法不正行為を隠蔽するのかと、誰が見てもわかるほどの内容が今日本で起きているにもかかわらずそれを本気で日本国民に語るものが本当にいない。

    テレビで出てくる連中自体がその現状奪いに来ている民族と同じ血を持つ連中、民族の血がほとんど同じものらがそれを占め、映画であれば、フランク寝ろ、クリントイーストウッドが出てくるが、日本ではそれが現れない。
    時に現れだすが即座にテレビ新聞でそれを潰す工作に陥れていく。

    あのメキシコ国境で起きていたアメリカ合衆国建国時の歴史そのままの時代、正にまるで形を変えた、日本人に国籍を騙し取って朝鮮民族がその日本人の姿に化けて、日本の中で今起きているこのとんでもない強奪内容が、このことが差も表向き日本人がやっているかのように見せかけて隠し、必死で隠ぺい工作で見えにくい状態にして着々と行政の現場、学校教育の現場、政治の現場へと、これを朝鮮が中国共産党の手先となって侵略してきている。
    、まさにあの昭和40年代前後に日本中で広まったあのウエスタンのマカロニの世界が今日本で起きている。

    ここにきて兵庫県下全域に広がる朝鮮民族教師による学校及び教育現場占領問題。
    教師から教育委員会から内部のものがほぼほぼ朝鮮民族職員になり、朝鮮民族がほぼ完全に握ってしまい、好き放題の朝鮮流学校教育現場になっている。
    今では日本の学校とは言えないような状況にまでなってきている。

    名古屋も川崎も新潟も北海道も大もと、もうそこらじゅうの日本の多くの学校教育の現場が、今そうなってきている。
    教師から生徒へ、教師から教師へ、これらの関係で、気に入らなければ徹底して陥れていく手法から始まり、人間とは呼ばないようない扱いをやり、朝鮮民族が本国でも今でもそれが横行してるようだが奴らは自分以外を愚弄する際必ず、【犬】【豚】と呼び、自分らが挑戦時代の奴隷時代に呼ばれていた扱われていたその状況と同じ状況に日本の学校現場でそれを行い、気に入らない自分よりも頭のいい生徒、教師に対しては徹底的につぶし工作を行い、犬、豚呼ばわりで罵倒して、生徒に対しても教師に対しても、扱いを人間ではない奴だと決めつけてやってくる。
    これを常態化させて、使う犬、豚と呼ぶこの行為が朝鮮では常にこれを口に出して相手を呼び、蔓延し、人権侵害、暴力、暴行、パワハラ、不正入学の行為、もう至る所でこれが行われだした。奴らはここが日本だという意識はなくここは朝鮮だと、しかも自分らは成れるはずもなかった怨みからの成ったつもりでの自分こそが偉いんだと、言うことを聞けと、自分こそが身分のある両班だと、他の連中は皆犬豚同様の奴隷だと、こういうことが今普通に行われだしている。

    朝鮮で行われてるなら奴隷制度が有ったのでそうかもと思うがこれをこいつら奴隷が日本に来て日本でこれを朝鮮民族が日本人に化けて日本人がやってるかに見せてやっている。

    テレビでは日本人教師がなどとうその作り話で放送する。
    奴らは日本民族などではなくて元はと言えば朝鮮で殺されそうになって祖国から命からがら逃げて日本に来て、奴隷だった朝鮮から逃げてきた朝鮮民族だろうが!って。

    【日本民族だ】などと名乗るな!

    まあ私は一貫して学校では通してきていたことがあるので、私はもう数十年前から子供のクラスの担任及び教頭、校長ら、その学校の教師ら巡り合う度毎に、すべてに対して、
    【君は日本民族か!それとも朝鮮民族なのか!】と、
    私は子供が大勢いてるのでその一番上から一番末っ子までがすべて学業を終えるまでに30年以上かかったので子供がすべての学生生活を終えるまで総て巡り合った教師には全員これを聞いてきた。

    これをやっておくと、
    教師らはそれぞれ自分が朝鮮民族だと私にバレたくないので、私や私の子供に対しては、出来るだけ表で見せる顔は、日本人の教師らしく見せかけようと、私や子供の前では余程のことがない限り気づかれないように表向きでは見せようと、彼らが隠ぺいに努力をしていた。
    だがその反面、裏ではPTAから普通の保護者会からクラブでの部活動から、校外活動から、もうここまで陰湿にやるかというぐらい相当な裏工作を奴らはほとんどの教師で連なって私の一家に仕掛けてきた。
    朝鮮民族のこのやり方の卑劣さとかは陰湿さというかもうこれでもかこれでもかと執拗に仕掛けて陥れにやってくる。
    今の南朝鮮が日本にやってきている正にこの強欲の中での手口での陥れていく手口が執拗にやってくる。

    余程この私からの、
    【朝鮮民族か?】と聞かれたことがそれまで教師になど何処の父兄の誰もが聞いたこともないことを、私が面と向かって直接逃げられない状態にして聞いたことに、こいつらだけが感じる日本人にはわからん独特の怖さを感じたのだろう。だから執拗に我々一家を潰しに来たのだろう。
    其れも教師が全員といっていいぐらい。

    低学年から順々に高学年に至る教師からの申し送り書での、進学時、入学時での裏からの作為あるでっち上げの工作ももう酷いものであった。
    それがなぜわかったかと言えばある中学校から卒業して高校に入ったんだがこの子についての内心支署がまあ実態とは全く違うことが書かれていたようで高校の校長に呼ばれて入学したその翌日に学校に行くと、
    「お父さん、子供さんが私の高校に入ってくださって本当にありがとうございます。
    実は中学から送られてきた内申書なんですが、子供さんの内容が書かれていたのでそれを見たら、実はとても厳しいことが書かれていて、入学の合否をどうするかで、実は教職員の間でちょっとした話し合いが学校内で行われたんです。
    私は合格でという意見でした。そのことがあってお呼びしたんですと言われて、
    私は「ああやっぱり」中学校はこういう裏工作でこんなことまでやるんだと。
    こういう状況で合格させるか不合格にさせるかを中学校が決めてやっていたんだと、明確な証拠が出てきてわかった。
    その校長が私に、
    入試のテストの点数結果は、私どもの高校で実は〇〇〇の点数でした。
    内申書からは想像できません。
    そこでお父さん、今後の事ですが、早速ですが、我高校での授業料は総て学校が持ちます。
    全額免除でということでどうですか?お父さん!
    わが校として是非そうさせてください!
    うちに入って戴き、本当にありがとうございました】と、思わぬ提案まで出されて言ってきた。

    こちらは、授業料の免除も何も、そんなもん申請もしてもいない。
    そういう状況でもない。

    校長は、子供さんがうちの学校を選んでくれてよく来てくれたと、本当に喜んでくれた。
    【それにしても、中学校はここまでやってるんですね!】と、校長は私に言ってくれた。

    ★その後この高校の校長は、在らぬことから突然に陥れられ、結果翌年には学校から出ていくことになった。

    退職のその最後の日の朝に、私に電話をしてきて、
    私が、
    【お辞めになられるとか、こんな急にどうしたんですか?御病気でも?】と私が尋ねたら、
    【病気による退職ではありません、○○さん!日本はこんな状況です。教育の現場がここまで異常な状況になっていることをこれを何とか日本の元に戻そうとしたら、こういうことになるんですよ。お父さんも、子供さんに、「世の中は、日本という国の中で今、こんなことが目の前にある」ということを、これを教えてあげてください】と、こういって終わった。

    淡々とした物言いで、たぶんもう日本の学校現場は今後はこういう連中が仕切った教育委員会・日教組がたぶんこんな状態で朝鮮民族が仕切ってしまい、異常になって行ってしまうのだろうとの、校長が思うあきらめのような物言いであった。

    私にすれば、このことが起きる十年以上前から、昔から各高校と中学校への問い合わせでの各中学校から毎の個別中学レベルでの合格生徒数値を常に毎年確認済みでそういう工作は学校現場で朝鮮民族教師が常にやってるぐらいはわかっていたが、だがこの高校へ入ったこの時の息子の時には、このことから、私は高校の入試というのは、中学校の教師が自分の好き放題でこういう裏があり、こういう工作で合格生徒を決めていたんだと、もう確信を持った。
    たまたまこの息子のように校長が合格でいいんでは?と発言してくれて初めて合格が決まったような状況。
    こんな例は、まあ特例中の特例でのほとんどないだろう。

    まあこのことで内申書を作成したその中学校、教育委員会、及び府下県外にまでも全域の他の高校にも私は声掛けをやり続け多くの日教組の連中ともいい愛のバトルもしてきたし、、この息子の高校のここからだけでも10年にわたる壮絶なバトル(それまでにも幼稚園、保育所、小中学校高校にはもう10年以上やっているが直接の関係する証言者が具合的に出てきたから)の応酬が始まる。

    兎に角学校の教育ぐらい日本の国籍をきちんと法的に持っていてる民族、これに任せればいい。
    外国からの民族には講師という待遇でいいではないか。
    反日の朝鮮民族を、しかも国籍を騙し取っている民族を、これを教師として日本で本教員として扱うことのほうが異常である。

    日本国民及び日本の国家体制を何とか破壊し崩し朝鮮中国共産党の支配下に置ける体制にもっていこうと、番組構成、スタッフら、ネット上の書き込みを見ていると、
    日本が明らかに変遷してしまっていることに気づく。
    一般人と称ずる極左すなわち朝鮮民族、中国共産党の指示・脅し・命令・支配下で動く工作活動、印象操作がもうここまで広がってきている。

  3. 仲井 より:

    この番組の中で、日本の子供たち、若者世代の中で、読解力が急速に異常に落ちてきているということ今回の統一試験に触れて語られているが、この点で桜井さんが「まあやっぱりなあ」と、誰もが言ってきたことを言ってるなあと、決めごとのように語りで、これの解決策と称する内容を言っていたが、

    私はまあまったく違うと思っている。
    解決策はそこには実はないと思っている。
    彼女らの櫻井さんのような人はたぶん本など読まずとも読解力は自然と幼いうちから育まれる環境で育っていて自らでも本を読もうと思う心がすでに作られていてそこから現在があると思える。

    つまり桜井さんは、桜井さんのようなこういう人は、本を読むことで読解力がついてきてるのではなくて、まだ本にはかかわりもなくて、本にかかわろうとしたその時点ですでに読解力らしき脳はもう備わっていたと思える。育まれる環境で育ってきていたと思える。

    つまり、産まれてから間もなく言葉を周りから伝えられ、それを聞き、考え、覚え、両親からも直接投げかけられた言葉にそれに応え、幼い間から両親などから掛けられた文言に向けていろいろと返事を彼女らもしてきただろうが、そこが一番大事な部分で、その時点で、桜井さんのような人は、そこから先に行くまでにもうすでにすでに読解力は育ちつつある、育っていたのではと、というのが私の持論。

    つまり後付けで本を読む、映画を見る、舞台を見る、後付けで物語を考ええる、これは個々に興味や此処に向けてこれを見ようと思うここの時点までにもうすでになにがしかの読解力は身に付いて備わっていると見たほうが妥当だと思える。

    じゃあ今の若者にはそれが欠けてきているのか、
    何故読解する能力が劣ってきているのか、

    その答えの一つが、
    【会話を彼らはしていない】のだ。
    ただ名詞や熟語だけしか会話の中で表示させない喋り方、
    もしくはそれしか感じさせない喋り方、
    そうしか受け取れない喋り方、
    日本語というのは、会話というのは、名詞や熟語が出る中で必ずその名刺熟語にくっついた文言文字が会話にはくっついて初めて会話、文章が成立するが、前後に何の文言も文字もくっつけないただ名士と熟語だけが印象付けられるしゃべり方、これしかやれていないというのが今の現状。

    会話というのであれば、人は喋る折、何を伝えたいかという場合に、この名刺や熟語が出てくればそこに必ずくっつく文言文字が引っ付いて一緒にしゃべるはずが、ここをこのくっつける文字くっつける文言をほぼほぼ切り捨ててしゃべることがこれが会話だと、最近の若者、学校の教師らも、パワハラの上司らも、思い込み始め出している。
    名詞と熟語に何も言葉をくっつけない、だから分には成立しないただの熟語と熟語のくっついた喋りの形になる。

    つながる文言のないしゃべり方をやっている。

    それをつなぐ文言がないしゃべり方、つなげてしゃべることができないものがものすごいぺーすではっせいしだしておりけっかぶんしょうにしてしゃべrうぇないというもうこどものれべるのはなししかできないじょうきょうになっている。
    【文章】という形を、これをほとんど日頃の会話で喋らない物言いで日ごろを過ごしている。

    これは親と学校の教育現場の責任である。

    先ず会話を文章で喋ることが、まずは前提の最低条件である。
    これをやると今のテレビ局もネット上も、
    【うざいだとか長いだとかグダグダ書いてくるなだとか、要点だけでいい、余分なことはいらん、適切にコンパクトに話せだとか、こういう形の攻撃が始まる。

    漫画の世界がこのいままさに短語だけで枠を処理する状況になっている。
    【こらーーー!】
    【なんじゃこりゃあーーー!】
    【くすん、、】
    【おんどりゃアーーー!】
    【好き】

    もう、文章を作っていない。

    「大阪都構想」というこの文字は聞いたたことがあるが、
    これを誰が初めて提案し、誰がどの時期にどういう状況でこれをやろうとしていたのか、どういう抵抗する組織が居てるのか、ここまででもまだ中身の内容には一切入っていない、ただの外枠のただの概要の部分、之しかまだ語っていないがここまででさえ、このレベルでさえ一つの文章として言葉でそれもしゃべりで一気に一言で文章で答えられる若者は一体どのくらいいてるのか。

    大阪都構想でもいいし、梅田新北地域開発でもいいし、関ヶ原でもいいし、ライ病についてでもいいし、結核についてでもいいし、チッソ水俣事件でもいいし、兎に角祖にお事件を知っているかどうかではなくてそれについて知っているが曰くでもほんの少しでも文章として喋ることができるものが若者でいくらいてるのか。

    西軍と東軍が闘っただとか、徳川家康が勝った戦だったとか、これぐらいの名詞と熟語のだけでの文章になっていない喋りにしかならん話しかできないものが多い。

    以前からここにも書いてきたが私は本など読む必要ないと思っている。
    知りたいものがあればそれを調べるという目的でのものはそれはいいと思うがわざわざ読解力をつけるために本を読ませる本を読もうなどと言ってる者にはこれは無駄だと言いたい。

    そんなことなどしなくても子供は普通に本を読みたくなる本を見て調べたくなるように育てる手段がある。

    それは勉強など子供にしなさいとは言わなくても、自分で勝手にしたくなるようになる方法はある。

    それは子供に向けて周りから話しかける文言の一言一言を文字数で20以上は最低連ねてしゃべりかけることだ。
    出来れば一言一言を必ず40文字ぐらいを文字を連ねた文字数で、子供には、周りの社員らにも話しかけてやるこ
    とだ。
    その形を崩さずに常に心掛けて子供に声掛けをしてやることだ。

    これをやればその40文字という文字を連ねて一言を作って話しかければその一言は当然文章となりその文章での話賭けに対して子供が考え返事をするというこの流れ訓練が日常で出来上がってくる。
    これを常にやってやることだ。

    昔は祖父母がよく我々子供時代傍にいてくれたが祖父母らは常にゆっくりした喋り方で常に言葉文字を切らずに延々としゃべって何処かで区切りがないのかと思うしゃべり方をやって聞かせて話しかけてくれていた。
    それは祖父母らはもう現場を引退し家でゆっくりと隠居して老後を楽しんでいた時代だったのでそういうゆっくりした心持で子供たちに向き合ってくれていたおかげで喋る言葉の一言一言はもう間違いなく40文字から50文字以上連ねて一言一言を私など聞いて育っていた。

    祖父母らと話すなどは毎日でもなくて両親とも話すのは毎日でもなくて話すときは月にせいぜいにご加算度くらい、それぐらいしか機械が無くても十分にこの文章単位での一言一言の話しかけてくれる言葉の内容は文章を喋っていると聞こえていたし聞かれて返事も必ず30文字くらい文字を連ねて返事を返していた記憶が今でも残っている。

    だから私はよく役所や学校で教師や職員と話した時の会話は録音などせずとも40年でも50年でも君との今日の会話でどういう話をしとぇどういう返事解答をお前らがしたかは全部覚えてるからな!と常に伝えてある。
    文章で聞いたものpは読解しているので文章をそのまま覚えているのだ。
    これが名詞の部分とか熟語だけでの会話となるとこれを記憶で頭に残すことは理屈がそこに無いので非常に覚えにくくなる。

    名詞だとか熟語だけが目立つ互いの短い文字数での話というのは、それはそれを日ごろ常に続けていると、相手からも自分からも文章で聞いていないので、個別個別の固有の名前のような感じになり、名前の感覚だとすぐに忘れたりしてしまうのがいい例で、これを続けると物覚えが非常に悪くなり、つまり読解しない癖がついてしまい、ただの名詞と熟語だけの全く文章としての会話が成立しない者同士の喋りということになり、その場だけの話という結果になってしまい、これは、記憶から抜け落ちやすくなり、その場その場の言った言わないで終わってしまうのだ。

    一言のこの子供さんや会社の部下らにかけてやる話かけのこのやり方、一言一言を連ねて30文字以上でしゃべりかけることを常にやれれば、子供さんにおいても家族においても職場においても、読解力は何もしなくても身に付くし、子供にも普通に身についてくるし、子供に勉強などしなさいなど親が一言も言わずとも、この一言一言を30文字以上で子供に話しかけてやるというこれをやるだけで、文章においても相手が何を言ってるのかのその読解力が育つし、また子供が読解力のそれが育っていれば、自分から勝手に勉強を必要だと思い、好きにやるようになる。いちいち親がやれやれなど全く必要もない。
    また学校でも文章として子供さんが30文字以上連ねて教師に向けてや同級生にしゃべっりかけられるようになれば社会に出れば十分にやっていける。
    心配などは要らん。
    社会で例えぶつかったとしてもそこでこの30文字以上で話が一言ができる子供は自分でその困難さの解決を探して努力を惜しまない子供さんになるだろう。

    我々のように見たものが写真に写って覚えてしまうようなことが昔はよくあった時期はあった、こんなjことは頭がいい天才だと言われたりするが、能力とは全く違っていて特殊技術であって、こんなことはただの技術であって人生にとってはそんなことはあまり意味はなく、むしろ記憶が残りすぎるという部分もあり一介のシーンがそのままいつまでの移りこんで残ることがありこんなものは消えてなくなれと思っても消えないという不具合もあるし、何の価値もない。
    いずれ私のようにこの年齢になれば、もう写真に写ったように記憶などだんだんできなくなってしまうものだ。

    其れよりも物事の記憶を範囲を広げ、離れたもっとその周囲にあるものへの目がどこまで広がるのか、そこにたどる道順としてはこの幼い間の、言葉を覚える段階での親が子供に向けて話しかける一言一言を必ず文章で話しかけてやる、つまり30文字以上の一言で子供に話しかけてやる。
    これをやれば本当に頭はよくなることは間違いない。

    これを続けていくと子供は会話は文章でするものだという認識になり、子供からの喋りが常にそのくらいの文字数でしかしゃべらなくなる。
    そうすると家族間での言い争いなどは一切なくなる。
    言葉の文字数の一言一言が少ない言葉で喋りあうので互いが誤解也いら立ち也喧嘩腰にしゃべって怒鳴りあった理に発展するのだ。

    30もし以上でしかしゃべらないことを条件でやればその仲間内でのもめごと言い争いはほぼほぼ起きることが無いようになる。
    これは自信を持って謂える。
    誰かが一人でも10文字以下で喋りだすといい争いの前兆が出だすことになる。
    だからテレビでの吉本のお笑い芸人がよく突っ込みを入れてしゃべるが、それがあったすぐ後で必ず起きることがあるでしょう?
    あれって誰かが必ず返しで怒ったった文言で言い返しているでしょう?
    まあ番組だからそれで住むが家族などであれが高じて必ずこの10文字以下での一言発言は禁断の会話手法であり、気の短い頭の悪い暴力的連中は一言一言を必ずこの10文字以下で話しかける。
    これが脅しでもあるし、力を示す源泉にもなっている。

    頭はさておいて、俳優で行けば、高倉健がその典型。
    彼はセリフの一言一言で、30文字以上では殆ど喋っていない。

    或る種知ることの怖さと何か独特の誰もが近寄り難い存在になる。
    自分に近寄ってくる連中をほんとは怖かったり、または、煩わしいと思ったのだろうが。

    子供は育っていく段階で徐々に徐々に返事をするときにも、一言が文章で答えようと、文字を兎に角連ねて一つの文章で答えようと、そういうことを自然に毎日の親との会話で身に付けていくことを覚えだす。

    別に本など読ませなくてもむしろ無理やり読ませるほうが逆におかしくなる。
    子供には、一言を30文字以上連ねた文字数で話しかけてやれば、大人になるまででさえ自分で探してでも本を読むようになる。勝手に勉強もするし別に勉強しなくても学校で授業を聞いているだけで十分成績がとれるように育つ。

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