(橋下徹氏twilogより引用)
入学しただけで勉強もせず、本もろくに読まず、4年間遊んでいても卒業できる日本の大学は特殊な世界であり、グローバルスタンダードとかけ離れているので、高等教育の無償化はやめたほうがよい。欧米とは前提が…https://t.co/qaKzAVcXEa #NewsPicks
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) 2017年9月11日
今の日本社会を支え、しっかりと納税してくれているのは、大学で勉強ばかりしていた者だけではありません。国民に大学まで無償だという安心感を与えることで、消費喚起・強烈な少子化対策になります。学力水準は当然求めます。無償化は学力不問入卒業とは異なります。
ちょっと、ガッカリですね・・・(-_-;)
猪瀬直樹ともあろう人が、この程度の認識だったとは
最近、三浦瑠麗氏との共著出されましたよね?
三浦瑠麗氏は
「高等教育無償化は、大学にとって黒船か」
と、言ってますので、その辺りの話も一度お聞きになられるべきかと・・・
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コメント
橋下さん(維新)が提案している高等教育無償化は、やる気はあるが金銭的に諦めてきた人達に学びの機会を与える考え方。
当然、学生にはある程度の資格と結果を求めます。
これだからオールドタイプは・・・
猪瀬さんは、
猪瀬さんの目の中に映ってきた周りの大学生で、
または
日本の大学を卒業して、社会に出てきている若者らで、猪瀬さん世代よりももっと若い世代の若者で、まともそうな大学生活を送ってきた生徒、若者、これらが、猪瀬さんの感じている感覚では今どきの大学など大学卒業という御旗?の肩書だけが欲しくて行ってるやつがほとんどだと、大学で必死に勉強してきているような人物は見ていておそらく少ないように見えてきていたのでしょう。
貧しくても必死で勉強のために大学へとか、
行くことでより濃度の濃い高度な知識を得たいと、
それを身に着けてから社会に出る、それを身に着けることで社会生活に、より密な人生を送ろうと、いい人生を送りたいという希望を持ち、そういう将来を描ける生活を送るための、最低限度のそのための大学レベルの高等教育を受けたいと思って大学に行ってきた生徒さんは、日本にはそれなりに意外に多いことの認識が猪瀬さんなどにとってみれば多分薄いのでしょう。
猪瀬さん!
行きたくても行けなかったという学生、高校生は、猪瀬さんが思う以上にものすごい数で日本中に存在することを認識してほしいですね。
人間の学問はいろんな部分で範囲があります。
そんなことはもうご存知のはず。
大学までと言っている授業料の無償化の内容には、実は多くの内容がそこに範囲に入っています。
★生きる一生の中での、
人生の中の一部(ここには想像を超える内容の細胞がそこに入っている、将来どう化けるかわからんほどの)というだけでもものすごい大きなふくらませる可能性のある風船の、どこまで膨れるかわからんほどの大きな可能性のある広がりを持つ範囲もその中にはあるわけです。
一つの例で行けば、
もしかして、
その大学在学中に、その後人生で一生を一緒に送ることになる素敵な異性と巡り合うかもしれない。
もしもそういう巡り合いがあるとすれば、これは人間の人生でも最大の奇跡に近いことです。「なんだそんなことを!」と言われるかもですが、
自分以外の人間と一生を一つに結ばれて、そのことから人生の中で夫婦として一生を送るということほど、これもものすごい大きな将来への内容の詰まった風船の中の一つになるわけです。
人生は、これがすべてという将来の内容は決まっていないし、そんなものは他人も自分もまだ見えていないんだから、どうなるからこうするとまでは学生の段階ではまだ決められない、だから、本人の希望することが教育をと、可能な限り知識を増やしたいと、社会に貢献できる知能教育を身につけておきたいと、そう願う若者には、それを可能にしてやりたいと、特に教育ぐらいは、それぐらいは用意してあげるというのは国としても、人生の先輩にしても後輩の若者らに送れる最低の条件だと思うが。
大人が子供にしてやれることって、小遣いをやれることではない。
人間社会でよくよく考えたらわかるが大人が子供にしてやれることってせいぜい教育を受けさせてやれるぐらいだ。
大人が子供にしてやれることって、考えてみても実はほとんどない。
でもない中でも、この教育だけは、これぐらいは受けさせてやれる。
日本はそれにそれがやろうと思えばできる国だ。
受けさせてやれる。やらないことは、将来の日本で悔いが残ることになるだろう。
教育を受けさせてやるぐらいしか、我々大人が子供たちにしてあげられることって本当にない。
それが現実だ。
子供にしてやれることはそれ以外ではほとんどやってあげられない。
だからこそ、それができるように、我々日本の国で、子供たちには国が、大人が、限りなく可能性を用意してあげる。
このことに関しては、理屈など必要もない。
★そうすることしかほかに選択肢はないし、
それをやってあげる道しかないと言える。
大学に行ってきた人の目には、後輩らの体たらく差が見えるのだろうがそうも感じられてもその中でもやっぱりそれが必要な生徒はわんさといてる。
こんな例で、納税の話をして申し訳ないが、
あの巨人の原辰徳、
彼が現役時代に納税していた市民税のその額は、彼一人で、実は市民数万人分の市民税の額の税金を払っていた。
多くの高校生の学生が、多くの人生途中の人物らが思い立って教育を受けたいという希望を持ち大学へ進学をして、その中で一人でもいい、二人でもいい、アインシュタインが出てきたら。
どういう可能性があるかは、これだけは誰にもわからない。
その生徒生徒の個性の資質のレベルというものがあるから。
だが少なくともその可能性は、格段に上がるし、広がる。
猪瀬さんのような頭のいい人に取ったら、周りの現状のいろんなろくでもない学生、卒業生を見る機会も多いだろうが、そういう中に隠れて実はすごい一生懸命やっている生徒も実は目立たないが存在する。
そういう感じに見えるかもだが、大学に行きたくても行けなかったというこの生徒の将来を教育の現場を用意してあげるぐらいは当然やるべきである。
★当然授業料の無償化を実現して。
行けなかった生徒にすれば、猪瀬さんの見渡した目は、そこは少し雑な目ですよ。
いい生徒もいてますし、特に事情で行けなかった生徒の、この彼らの能力もそこで、ここで止めてしまうのももったいないですね。
★入学時と卒業時の、能力レベル検定の、そのどちらの折にも、合格、合否の認定の評価基準は、大学ごとで造ってしかるべきであり、それこそ卒業時になど今ほぼ無いに等しいという状況こそおかしいんで、そこはきちんと税金投入なんだから大学側に責任を取らせて【検定の合否基準】を作ればいいだけで有り、大学にそれを必須にすればいい。
違反したら大学への補助金は全額引き上げさせればいいだけである。
あくまでも税金の内容なので当然それと同時進行でやるべきである。
猪瀬さんの言う「外国と日本ではお国柄が違うから、、、云々」ということについては、その理屈は、それをただ変えさせればいいだけである。
何の問題もない。
大学にそうさせればいいだけであり、大学がそれをしていないとわかればそのことだけの条例を作ればいいだけで有り、無条件で補助金を全額返金させると縛りをかけそう告げて言えばいいだけである。
例の、天下ってる文部省の元官僚がえらそうに言ってきても、そんなもんは条例に逆らうのかと一喝して、撃退すればいいだけ。