橋下市長「日本は選挙というものを重視しない国だな、とつくづく感じた。安倍総裁の無投票当選について批判の嵐」9/10のツイート

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橋下市長 twilogより引用)
日本は選挙というものを重視しない国だな、とつくづく感じた。安倍総裁の無投票当選について批判の嵐。案の定、朝日、毎日、そして野党。しかし本来、選挙と選挙の間に、党の事情でリーダーを変えるということの方が国民に対する背信行為だ。

選挙の洗礼を受けた国のリーダーを変えることができるのは選挙によってのみ。何でこんな当たり前の原理原則を認識できないのか。国民による選挙で与えられた首相の地位を、党員の選挙による党総裁選で変更するのは、国民に対する決定的な背反行為だ。超えてはならない、とんどもない大嘘になる。

そもそも党内における総裁任期規定は、多くの党員(国会議員)に首相になれるチャンスを与えるもの。一人が長期に首相の地位を独占しないために。また国民よりも党員で首相を選ぶ特権を保持するために。地方議会の議長は、本来任期は4年。ところが実際は一年で交代する。そして議長は名誉職になる。

地方議会の議長は本来四年の任期なのに、一年経てば、一身上の理由で辞職し、他の者に変わる。これで4年間に4人が議長になれるチャンスが生じる。まあ議長の場合には、誰が議長になるかを前提に議員選挙をやるわけではないので、選挙と選挙の間に議長を変えても住民への背反行為とまでは言えないが。

党は、誰を党のリーダーにするのかを掲げて、選挙を行う。そしてその党が一定の支持を得たということは、そのリーダーも支持を得たと擬制するのが民主主義の原理原則だ。大統領制なら国民から国家のリーダーへの授権が分かりやすいが、議院内閣制でも同じだ。総選挙が国家のリーダーへの授権行為だ。

党の内規規定で国家のリーダーが変わるのはおかしい。総選挙で党が勝てば、その党のリーダーは国家のリーダーになり続けるのが民主主義の原理原則だ。憲法解釈で法的安定性を叫ぶ者に限って、行政の安定性は全く考慮しない。議院内閣制では党のリーダー=国家のリーダー。

議院内閣制においては、首相が変わる原因は衆議院総選挙のみとする政治慣例を作らなければならない。もし党内事情で首相が変わるなら、必ず総選挙を踏まえなければならないとする治慣例にしなければならない。さらに、国民からの授権を明確化するのが党が候補者を選定した上での首相公選制だ。

この首相公選制や、議員の数を減らすこと、そして衆参統合の方向性(大阪維新の会の方向性)は、共和制に反して専制への道だと論じる者がいる。そしてその理由がいつものことだが、書物の中の言葉をこねくり回しての理由。今回は「カントの永遠平和のために」の一節を勘違いの下にこねくり回していた。
(続く…)

(続き)
この者は、カントが言うところの民衆性と民主制を混同し、共和制の絶対条件として代表性が挙げられていることもすっ飛ばしている。単に共和政は、立法権と執行権を分離することであり、首相公選制、議員数減、衆参統合はこれに反すると。これらは執行権と立法権を統一する専制に繋がると。

学者で本を読む時間をたっぷりと与えられているんだからもう少ししっかり読んで欲しいよ。首相公選制は、議院内閣制の下、立法権と執行権をしっかりと線引きするためのもの。地方政治の二元代表制に近づけるものだ。今の議院内閣制ではそれこそ立法権[国会)と執行権[内閣)が一体化してしまう。

今の国政の状況を見れば明らかなのに、本に溺れる人は現実が見えない。政府与党と言われるように、立法と執行が一体化。まあこれこそが議院内閣制の特徴なんだけど。だから国民からの授権を明確化し、立法権と執行権に一定の線引きをしようと言うのが首相公選制で、カントの言うところの反専制への道

また議員数を減らしたり衆参統合は、カントで言うところの支配者の数を減らす道。カントは代表性を前提に支配者を減らすことが反専制に繋がると説く。今の国政の状況は、国会議員が支配者の性格を帯びている。だからこそ、代表性とカントが重視する公開性を徹底した上で統治者の数を整理する。

なぜあえてカントを持ち出したかというと、僕は政治と道徳は別ものだと考えている。そしたら必ずカントの永遠平和のためにを持ち出して批判してくる輩が出てくるからね。僕は、カントが言うところの法を導く道徳や人間の権利を尊重する道徳は政治家にとって重要だと考えている。

カントの言う道徳にも色々あるんだよ。僕の考える道徳とはちょっと違う。僕の考える道徳は、普通の人が考える道徳。カントやそれを読む学者が考える道徳は、理屈をこねくり回した道徳。カントが言う道徳は普通の道徳そのものではない。これは政治家が備えなければならない素養そのもの。僕も重視する。

僕は政治と道徳は別だと考えるが、カントが言うところの道徳は当然政治家が持つべきものだと考えるし、それはそもそも普通の人が頭に思い浮かべる道徳ではない。カントが言うところの道徳は政治そのもの。だからカントを持ち出して政治と道徳は一致させるべきだという輩が必ず出てくるので先に説明。

カントもあんな回りくどい言い方をせずに普通に言えばいいのに。長い文章のくせに、言いたいことは結局何なんだ!と問えば当たり前の一文くらいにしかならない。そしてこいうものを論拠に今、グダグダ言う輩も、だから結局何なんだ!と問えば、内容はカスカス。しかもそもそも間違っていたりね。

議院内閣制の下で国のリーダーを決めるには、総選挙の結果を重視すべき。総選挙と総選挙の間でリーダーを変えることはやるべきではない。さらにカントで言うところの反専制の統治形式である立法権と行政権(執行権)の区分には首相公選制を導入すべき。

また代表制と公開性を前提に、議員数減、衆参統合することは、カントで言うところの支配者の数を減らすことになり反専制に繋がる。そしてカントで言うところの道徳は政治そのものであり、そんな素養は政治家が有するのは当然。

ただ僕の持論は、政治家は普通の人が頭に描く道徳を語るよりも公約の実行に重きを置くべき、というもの。政治家はどこかの本に書いていることをダラダラと語るよりも、言った事を一つでも実行しろ、世の中の課題を一つでも見つけ出して解決しろ、ということ。それが政治家は道徳家ではないの意味。
(引用終わり)

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