引用
このような批判をする人に限って大阪市政改革の中身を何も見ていない。しかもリツートが池田信夫氏による。普通の自称インテリ層と同じか。残念RT @takuboyoshihiko: この人は何がしたいのかな?国政云々の前に大阪市の改革をちゃんとしないとね。 大飯再稼働、橋下市長「民
エネルギーコストについてはきちんとした計算が出されていない。池田氏は一論のみを信奉している。 RT @ikedanob: 目先の「絶対安全」を求めてエネルギーコストを上げると、その負担は将来世代に転嫁される。バラマキ福祉と同じように、若者の地獄への道は老人の善意で舗装されている。
池田信夫氏のための統治論入門。インテリたちは、自分の論こそが絶対的正義と妄信する。政策論については唯一の正解はない。時代や時の情況によっても正解が刻々と変わる。そのような中で、どのような論を採るのか。最後は、失敗した時の主権者の納得感、これが民主主義の統治論である。
国民への教育の浸透が不十分で、一部エリートによって国が運営されていた時代は、一部専門家の判断が尊重されたであろう。しかし今の日本国家においては国民のレベルは相当高い。ゆえに最後は国民の納得感を重視しなければならない。失敗した時の責任、納得感である。
政治家への完全な白紙委任は厳禁である。それと同時に専門家への白紙委任も厳禁である。ところが教育委員会や日銀においては、その裁量性があまりにも白紙的過ぎる。政治家は選挙による公約に縛られる。そして政治家によって任命される専門家も大枠は政治によって縛られなければならない。
現行の教育委員会制度は、首長が委員を任命すると、あとは完全な白紙委任である。朝日新聞が好きなフレーズだが、選挙によって白紙委任をしたわけではないと同じように、首長も教育委員を任命する際に白紙委任ではない。ところが現行の教育委員会制度は白紙委任である。ここがおかしいと問題提起した。
大阪維新の会が成立させた教育基本条例に関しては、教育への政治介入だと散々批判された。政治は常に悪モノ。正しい判断ができない存在。その批判は甘んじて受ける。これは政治が信用されるような態度振る舞いをしてこなかった結果。しかし専門家も常に正しい判断をするわけではない。
教育について見て欲しい。ゆとり教育は、国民の9割以上は失敗だったと思っている。未だに成功だったと言っているのは旗を振った寺脇氏だけであろう。理念は高尚でも、教育現場に全く合うものではなかった。うちの子どもも苦労している。
私立はゆとり教育に騙されなかったので、義務教育では公立に通う子と、私立に通う子で大変な格差が生じただろう。文科省の官僚が、自分の子どもは私立に通わせていると聞くが、もう日本も末だ。元へ。このゆとり教育に関して、誰に文句を言えば良いんだ?
もし政治がゆとり教育を高らかに声を上げ、僕もそれに一票を入れたなら、最後は自分の責任だと諦めが付く。民主党の政権交代で、色々なことが起き、様々な批判が起きているが、しかし有権者は最後は自分が選んだのだからと納得せざるを得ない。これが民主主義の統治だ。
専門家への白紙委任の場合、その政策が失敗だった場合、有権者は納得感がない。金融政策についても色々な考えがあるのであろう。池田信夫氏は自分の論こそが正義だと妄信している。僕は金融緩和論+実体経済にカネを回す税制(現在評判の悪いフロー課税から資産課税へのシフト)で考えている。
ただ僕は自分の論こそが全てだとは思わない。ゆえに最後はしかるべきメンバー間での議論の後多数決で決めざるを得ない。日銀の目標と言うのは、池田氏が言うようなインフレ率と言うような細かなものではない。それは僕が教育の目標を首長が定めると言った時に、テストの点と勘違いした論に等しい。
首長の掲げる教育目標は、教育振興計画である。教育委員会と協議を尽くすが最後議論が決裂した時には首長が決定する。その計画を達する手段は専門家である教育委員の裁量だ。もし、それが失敗した時には、首長の責任ではあるが、しかし有権者は自分が選択したものとして納得せざるを得ない。
専門家が自分の考えで政策を推し進め、それがうまくいかない場合、有権者は納得しない。これが現在の公教育の状況だ。また専門家への白紙委任だと、失敗した時の責任を一身に背負うため、常に保守的な思考となる。政治家は、最後は有権者に選ばれたということで挑戦ができる。
政治が専門領域に何でも口を挟めるのはまずい。しかし一定の大枠をはめることは、政策の失敗の責任を、その納得感を有権者に持ってもらうために必要なことだ。どこまでの大枠かは、これは程度の問題だ。そういう意味では今の政府と日銀の距離感は離れ過ぎているであろう。
金融緩和論の是非については専門家も交えて大いに議論すれば良い。池田氏の考えが唯一絶対の正解ではない。色んな考えがあるなかで決定し、失敗したときは有権者に納得してもらうことが民主主義の統治の基本である。何もしないままで衰退するは愚かである。やって失敗しても修正すれば良い。
北朝鮮の人工衛星=ミサイル問題だが、今の日本のメディア以上に政府の情報収集能力、発信力を求めるのは酷かもしれない。日本の大手メディアには就職戦線の勝ち組が集まり、とてつもないカネをかけて体制を整えている。政府がこれに勝とうと思えば、それだけの人とカネが必要だ。それは無理だ。
霞が関から市役所への連絡を待つより、テレビを見ていた方が早い。詳しい情報は新聞やネットを見た方が早いし正確。これはある意味仕方がない。政府は政府でしかできないことに特化せざるを得ない。日本はアメリカのような偵察衛星は持てないだろうから、あとは外国政府からの情報入手のパイプくらいか
JAXAが招待を受けて断ったらしいが、JAXAの職員と称して政府の人間を送り込むことの方が良かったのでは?これは素人考え。ただ今回の情報発信については考えることがある。2009年のときには誤確認のミスがあったので政府は慎重になっていたとも聞く。
しかしミサイル発射情報なんて後で間違っていても謝れば良いだけじゃないか?とりあえず即時に情報提供。間違っていたら謝罪。こんなの打ち込まれて死傷者が出たら取り返しがつかない。ここが官僚と政治家の発想の違いだと思う。
僕も知事時代、新型インフルエンザが初めて発症した時、学校を一斉休校するかどうかで府庁組織と大激論となった。府庁組織は反対。親が仕事に行けなくなる・・・などなど現実の混乱を嫌がった。しかし当時は新型インフルエンザの毒性については詳細が分からず、致死率が二桁を超えるとも言われていた。
僕はとりあえず一斉休校し、もし判断が誤っていたら後で謝るとした。1年後、詳細分析をしたら一斉休校でインフルエンザの感染を完全に抑え込むことができたことが分かった。今や新型インフルエンザの毒性が弱い事が分かっているので一斉休校は必要ない。
ミサイル発射情報なんて、メディア記者を呼び込んで、リアルタイムで報道させたら良かったんじゃないか?そしたら7時40分(??不正確ですみません)の段階でのアメリカからの情報がメディアを通じて全国に流れる。とりあえず国民は備えることができる。
それが発射じゃなくても、国民は誰も怒りやしない。最悪なのは事実確認している間に日本のどこかに着弾して死傷者が出た場合だ。死傷者が出た後でミサイル発射の情報が発表されても遅い。こういう情報は間違っても良い。あとで謝れば済む話だ。リアルタイムにメディアに流してもらうのが一番ではないか
14日の朝日新聞の声(参考記事リンク)で赤川次郎さんからお叱りを受けた。君が代起立斉唱条例について価値観を押し付けるなと。しかし、義務教育の卒業式の場で、全員が起立して君が代斉唱する際に、あえて着席することも価値観の押し付けである。人間の意図的な行為は全てが価値観の表れでもある。
特に作家さんの表現行為は価値観の表れそのものである。それが押し付けとならないのは、その表現行為を受領するか否か、受領者側に自由があるからだ。赤川さんの価値観が嫌な人は、赤川さんの本を買わなければ良いだけ。だから赤川さんの表現行為は価値観の表れだが押し付けではない。
人の行為は価値観の表れ。それが押し付けになるかどうかは、受領者側に受領の自由があるかどうかによる。義務教育の入学式・卒業式の場において、子どもたちや保護者は、教員の不起立行為が嫌な場合に他の入学式・卒業式を選ぶ自由はない。その入学式・卒業式に出ざるを得ない。
子どもの晴れ舞台である卒業式、入学式の国家斉唱を厳粛に行いたいという価値観を持っている保護者も多い。子ども自身も起立して歌いたいという子どもも多いだろう。そんな中で自分の思想良心からあえて着席するのは、それも他人への価値観の押し付けなのだ。こういう場合にルールが必要となる。
そして大阪維新の会は民主主義のルールにのっとり、条例を成立させた。特に大阪市議会においては維新、公明、自民の圧倒的多数(3分の2以上)をもって条例は可決となった。赤川さんの価値観を大阪市民に押し付けないで欲しい。入学式や卒業式で君が代を起立して斉唱すると言うのは大阪市民の価値観だ
また文楽に補助金を入れないことにも甚くご立腹らしい。一度、補助金支出の仕組みと文楽の仕組みを勉強して下さい。今の仕組みのままでは文楽は振興しません。僕は文楽と言う文化は否定しない。しかし公金の支出の仕組みを問題視している。これは日本の文化行政全般にわたる問題だと思う。
なぜ落語や漫才や歌舞伎に補助金が必要ないのか。それは文楽のような仕組みではないから皆自立をしているのである。文楽を本当に振興させるためには、今の仕組みを変えなければならない。これが現実の政治行政です。一度三毛猫ホームズに調べさせて下さい。
赤川さんは大変な誤解をしているようです。君が代起立斉唱条例はの対象者は教員のみ。子どもや保護者は対象ではありません。しかも条例成立の前に、教育委員会が既に起立斉唱を決定しています。
また入学式や卒業式の式典の場において起立を求められるもので、教員がプライベートの場で着席していても不問です。子どもたちが、親たちが選ぶことができない卒業式、入学式の場で、子どもたちの晴れ舞台を祝う場で君が代の起立斉唱を教員に求めるのです。ここでの不起立も価値観の押し付けです。
起立を求める価値観の押し付けと、不起立を求める価値観の押し付け。二つの価値観がぶつかったので民主的な手続きにのっとり条例を制定しました。これが大阪府民、大阪市民の価値観です。赤川さんの価値観を大阪府民、市民に押し付けないで下さい。
posted at 20:34:17
(橋下氏 twilogより)