吉村知事「(出口戦略)何を守るかの明確な基準、それは医療崩壊、それが起きたら助かる命も助からない。医療のキャパシティを明確化する必要がある」
「夏ウィルスが低調になったとしても、冬にまた大きな波が来た時の為に体制を今整えなければならない。きちんと基準を作って予測した行動をとることが大事!」
5/4 全国ネット 夜の報道番組に吉村知事が出演
吉村知事、体調を気遣われる程の忙しさの中
何とか府民に情報を届けようと、無い時間を作ってテレビに出続けています・・・
(事実、この番組内、日付を言い間違える程。かなり疲れているのかと・・・)
「実効再生産数」が解除基準に出てきませんでした
この数値も重要で、国に都道府県別に提示する様、要望してきましたが期待できないとの見通しなんでしょうか?
ホント国(厚労省)はデータを出さないね!
♢
知事がこれまで出演したワイドショーとは
やはり視聴者層と数が違うんでしょうね
放送後、ツイッターの反応を見ると
「具体的な出口戦略」に対して明らかに反応と量が違うと感じました
出口戦略について、知事はこれまでも言及しているんですが
ワイドショーだけでは伝わらない人達が相当存在するのかと・・・
ただ、あの偏向番組の影響力が未だ根強いものがあるんだなとも・・・
【緊急事態延長】吉村知事×辛坊治郎「出口戦略が無いのは大問題!客観的な”大阪モデル”を作る!」
高須院長が大阪・吉村知事の『大阪モデル』案に大賛成「コロナ出口戦略 成功すれば、これが国のモデルに!」:芸能・社会:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
【9月入学】吉村知事生出演「3月終了は相当詰め込んでも困難、さらにオンライン環境格差、特に受験生が困っている。生徒数増問題は重要なので長期で対応。早く決断すべき!」
「“経済のプロからの提言と併せて判断を”と再三再四、政府に申し上げてきた」専門家会議・尾身副座長 | ABEMA TIMES
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コメント
世の中、自粛要請での自宅での待機という方、自宅で過ごされる方が多くなっている現状で、ネットなどで音楽の歌手とされるものやタレントらが、そういう人らを励ますと、応援歌とかいう意味合いでユーチューブでやりだしているが、
彼らがやってるとされる音楽や歌などでのその状況がただ邪魔なだけの状況に見えてくる。
この連中は勘違いしているようで、
自分が音楽と称するものを弾き語りでやれば、それは人が見てアスリートやアーティストが自分らを楽しませて応援してくれていると思ってもらえるもんだと、ああいう動画でそう思ってもらえるもんだとこいつら本気で思ってるのかねえ。
あれらを見て喜ぶ人って、励まされたって人は日本中のどこかに一人でも本当にいてるのかねえ。
ああ応援されてうれしいと、そんなことを思う人は、あれを見ている中でホントにいてるのかと疑問だらけであるが。
そう思って、喜んでもらえるもんだと、そう思い込んでやっている連中の、その本当にそれで喜んでもらえてると思ってるのかも私にはそこも信じられん。
今すぐにでもああいう行動、ああいう内容の応援の仕方というのはやめたほうがいいと思えるが。
もしも、いやどうしてもやりたい、応援したいと本気で思ってるのならば、音楽なら音楽の音だけにしろよ!
お前さん等の画面映像の中でガチャガチャ動くあの堂が入らんだろうが!って。
ゴミが画面上を濁して汚してるだけにしか見えないしそもそもそっちが邪魔になって本来聞かせるはずの音楽など耳がそっちにもいかないよ。
あんたらの動く顔など、この際要らんだろうに。
音楽を聞かせたいなら音楽だけでいいよ!弾き語りの画面なんぞ必要もないよ!
もしも顔を見せたいどうしても顔を出してやりたいというのなら動かない一枚のブロマイドのスナップ写真でも画面に貼り付けて、動く人物などいらないのでそれが消えて音だけになれば気にならなくなり音楽に癒しを感じ脳を音符の上で載せて流れで奏でていく譜面が出てきて集中できる。
目の前でガチャガチャ動くものさえ消えれば、そうすれば画面を見ていても気が散らないし邪魔な顔がガチャガチャ動くことが気にもならないし純粋に音楽を脳でめぐらせ脳を音符に乗せてその音を感じて楽しめるはず。
あんたら音楽をやってるならわかってるはずだろうがって、音楽ってすべては聞く人がその音符の中にどこまで脳を載せて感じられるかにかかってる。
そういうことなんだよ。
だから映画が終了してスクリーンの画面が暗転で真っ暗になって、そこに字幕が出演者や監督の名前が羅列で画面に表示されていくこの過程で流れるあの時の音楽が、これがその映画のすべてを表して表現してくれているということを、ここが音楽の価値で底を心や脳でとらえられるから聞いている人見ている人はそこにひかれてその思いを再びと思ってまた映画館を訪れてしまう。
その本質の一番人間が感じる部分をこいつら本当にアーティストかあ?って疑いたくなる。
ただ自分が顔を出して音さえ出していればそれで見ている人は現傷けられると思い込んでいる馬鹿ばかり。
音楽をこいつら本当は全く分かっていない。
ボブディランがあの声であの雰囲気であれだけ称号を得たのは彼はそこを一番よくわかっていたからだ。
笑うこともなくぶっきらぼうに邪魔くさそうに歌う彼のその音楽のどこにひかれてるかを、今ネット上で元気づけるキャンペーンと称してやっている連中はよく考えてみるべきだ。
音楽をなめるな!って。
聞いている人、音楽ファンをなめるな!って。
お前ら自分が顔さえ出せば、みな元気づけられると思い込んでるだろう?
傲慢にもほどがある。
一足音楽の道に足を踏み込んだならやっぱり音楽のどこが客をファンを引き付けているかを、そこをよく考えてみろ!って、
最後に残るのはやっぱり音符なんだよ!
音符に人の顔など邪魔になるぐらい誰でもわかるだろうに。
顔だけ見せて元気づけたいなら相手を見て語ってやれよ、
言葉だけで語ってやれよ。
そこに音楽など挟むな!
間違っても弾き語りなどするな!、
顔が映って動き回ってごみがガチャついてるようにしか感じられない、うざすぎる。
今どきの言葉で言えばうざいの一言だ。
だから音符に声を載せてだけを聞かせるんだよ。
思いを込めて作った音符の並び方の工夫を見てもらえよ、聞いてもらえよ、
こんな折に、お前らの顔など期待も何もしていないよ。
本当の音楽を聴きたい人は。
せっかく音だけでいいのにもう動く顔が目の前でガチャついて音楽らしきものが一切何も聞こえて感じられない。
音楽に携わる者から音を消したらただのごみのような連中にしか見えないのが、音楽という世界の本質。
だからつまらない音が流れるとただうるさいとだけ感じてしまうんだよ。
うざい音だとか、うるさいと感じられてしまうものは、それは音楽になっていなくてただの邪魔な音という形でしか人にはとらえられない、雑音にしか感じてもらえていない物をネット上で流して誰が応援されていると思えるのかねえ。
音楽をやるとやってるというなら音にこだわれよ、音を聞かせるにはどうやって集中して音を聞いてもらえるかにこだわれよ。
それが音楽だよ。さいしゅこ
この音を楽しむ世界というのは、こんなにむつかしいので、私には一生到底できないと、私はただ聞く側だけに回ろうと、だから私は小学校から当時から音楽の時間は授業をはねつけて卒業するまですべて受けていない。まあ体育も美術もなんだが。
アーティストを名乗り診てもらう人にお金をもらうわけだから本質部分の音という部分をどうやったら集中して聞いてもらえるものにできるかを、音楽という部門で食ってるんだから、ここを分かっていないやつが、ただ自分の顔さえ出せば国民は喜ぶだろう、弾き語りをやってればそれで喜ぶだろうなどお前らプロか!って、そのレベルならその辺の河原で歌って遊んでろ!って
。お前らの顔などいらねえ。
音だけを流して背景の画面は、どこか河川敷から眺める街の風景か、山か海でも映してろ!って。
顔が出てるだけでいかがわしいものに見えてくる。
こんなことは何の意味もない、私はやめたほうがいいと思っている。
せっかくのネット上のいい内容を見ようとしていても、ユーチューブ界を雑多に濁して、ただ邪魔ったらしいだけ。
どこが邪魔ったらしいかというと、とにかく一にもニにも、
【お前ら画面に顔出すな!】って言いたい。
励ましてるのか、ただゴミのようにガチャつかせてるのかと、とにかく他人を応援するときとしては、歌手なら声だけにしろ!って。音楽で行くならそこはもう音だけでいい。
顔などいらん。
喋るなら、音楽の音は消して真剣に生の声で語りかけてやればいい。
どっちかにしろ!って。
言葉だけで励ましたいというなら、それをやるなら、音楽と一緒になどせずに、語るだけの、顔を出して目を見、音は消して相手に正面から語ってやる、これなら顔を出してやれ。
だが音楽を絡めて相手を応援したいのなら、音だけの、音楽そのもののみを感じさせるべきで、そこに人間の現実の
動く顔が画面いっぱい出てきたらぞっとする、音そのものの内容が顔が見えてる時点で消えている。
君らの顔だけで元気づけられると思ってるようだが全く見立ては違うことに気付くべきだ。
君らの顔など見ても元気など貰えるなどだれも思っていないだろう。
顔を音楽と同時に見せられるなどありえぬし、ステージでの公演のイベントでもあるまいし会場とは全く違うのに、アーチストの価値の意味がどこにあるのかをこいつら全く意味を分かっていない。
だからこんなやり方での応援メッセージなどまあ要らん、邪魔になるだけだ。全く要らぬ。
音楽を聴きながら同じ登場人物がそこで動き回る画像は、ただ邪魔なごみ画面にしか見えないし、何の応援歌にもならん。
こいつら勘違いしている。
歌っている歌は自分が歌っていると、だが音楽を好きな人は感じる人というのは歌の声ではなくてその曲の音符に乗せられた歌の言葉を楽しみ感じているのだ。
音の流れを作っている音符を、その音符に乗せた詩を楽しみ感じているのだ。
だからどこまで行っても歌は音楽は音符で始まり音符で終わる。
歌は音楽ができた時点でその本人から手が離れたところにある。
だからいろいろなことを想像し頭の中でめぐらしその奏でる、流れる、そういう音程の高低をさ迷う流れが人の心を打つのだ。
なのにそこに顔がガチャガチャ映ってじゃらつくともう邪魔としか思えないものになる。