4/17 橋下氏Twilog part.2「なぜ客が来ないのか、その責任の全ては文楽にある!」

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引用

17日産経新聞夕刊(大阪)3面。安本さん、文化行政の在り方について僕の意図するところを理解していない。安本さんは、クラッシクを守りたいのか、それとも大阪フィルという交響楽団を守りたいのか。僕は文化はしっかりと根付かして行きたいが特定団体を守る気はない。

なぜクラッシク文化を根付かせることが、大阪フィルハーモニーだけへの補助金なのか?文化と特定団体を混同しているところに日本の文化行政の間違いがある。年間一億円の助成というのは、賞金に換算すればとてつもない額だ。それを当り前のように貰うことに慣れることは非常に危険だ。

大阪ではアーツカウンシルの設立を目指す。大阪においてクラッシク音楽を根付かせるという方向性が決まれば、全国の交響楽団にチャンスを与えたら良い。しっかりと楽団の評価をして、賞金・助成金を出す代わりに、大阪での公演を義務付ける。公費を受けていない交響楽団は多数存する。

公費を受ける交響楽団と、公費を受けない交響楽団の違いは何なのか?行政はどうでも良いような公正性にはバカみたいにこだわる。すぐに、公正性が・・・と。年一億のカネを特定団体に入れる公正性はどこにあるか?ここが僕の問題意識である。文化となると行政はひれ伏する。行政は文化に弱い。

インテリ・権威に、行政は途端に弱くなる。市民の皆さんが汗だくになって働き稼いだ金から徴収する市民の税金だ。税を出す以上、しっかりと評価しなくてはならない。大阪フィル交響楽団でも同じだ。税を受けていない交響楽団は山ほどある。なぜそういう交響楽団にチャンスを与えない?

僕の政治哲学は、「チャンスは与える。あとは努力でモノにして欲しい。競争の土俵に上がれない事情のある人はサポートする」だ。クラッシク音楽に税の助成をするにしても、大フィルに固定化する必要はない。16日読売新聞朝刊13面。塩崎さん、文楽興業の仕組みをもう少し勉強した方が良い。

なぜ人間国宝の公演でも客席が3割程度しか埋まらないのか。文楽の世界は身分保障の公務員の世界となっている。公務員の世界と、観客を集めてなんぼの芸事の世界は対極にあるはずだ。にもかかわらず、文楽という芸事の世界が公務員の世界になっている。

僕はテレビの世界でも仕事をさせてもらった。プロの芸事を間近で見せてもらった。如何にお客を楽しませるか、感動させるか、全てはお客さんあってのことである。貴乃花親方の大阪場所にかける意気込み、営業姿勢はもの凄いものがあった。客はその姿勢を感じ取り吸い寄せられる。

あの歴史的大横綱貴乃花親方の必死の営業。公演者は自分は守られるもの、保護されるもの、お金を受けて当然の立場と思った瞬間、もうその公演はダメだ。勘三郎さんの歌舞伎、たかじんさんのコンサート、さんまさんの先日のNGKの公演はお客を如何に楽しませるかということの一点に尽きている。

文楽にもそうなって欲しい。塩崎さんは、僕が「もう二度と文楽を見に来ない」と言った発言を非難する。しかしそのこと自体が、もう文楽は公演でなくなり、芸事でなくなる。勘三郎さんや、たかじんさんや、さんまさんが、もしお客が二度と見に来ないと言った場合に、そんな即断をするな!と怒るだろうか

なぜ二度と見に来ないと思われたのだろうと必死になって原因を探るはずである。もちろん、実際はそんなことはないだろうが。僕は観客である。観客がもう一度見に来ようと思うか、そう思わないかは自由のはずである。お客に二度と見に来ないと言わせない純粋の民間人の公演など聞いたことがない。

塩崎さんも、「文楽」と聞いただけで、国民が否定できないもの、文楽公演は誰もが何度も見に来なければならないものと思い込んでいる。その時点でその公演は観客を吸い寄せるものにはならないだろう。なぜ文楽が根付かないのか。それは塩崎さんのような文楽絶対主義が文楽の周りにたくさんいるからだ。

芸事の人が成功するかどうかは、その人の能力がまず一番だが、きちんと評価してくれるお客さんがいかにたくさんいるかだと思う。政治家も同じだ。メディアもすぐに言うじゃないか!裸の王様になるな!と。政治家もきちんと批判してくれる人がいなくなるともうダメだ。

恐らく文楽の周囲には、厳しくきちんと評価する人がいないのだろう。文楽と聞けば文楽は全て正しい。客が集まらなくても、それは客が悪い。公演者の責任じゃない。こんなうわべだけの御用評者ばかりが周囲にいれば、そりゃ文楽も自分のポジションが分からなくなるだろう。

文楽の技芸員の皆さんは、世間からすればほんとにごくごく少数の自称インテリ層たちに、文楽は伝統文化だ!文楽は素晴らしい!文楽は世界遺産だ!文楽は何が何でも守らなければならない!と言われ続ければ、自分たちの公演がどういうものか分からなくなってしまって当然だ。

僕は僕の感覚で、「今のままの公演だったら二度と見に来ない」と言った。塩崎さん、それの何が悪い?客が公演をどう評するか、客に自由があるのが芸事の公演だ。僕は今の仕組みのままでは文楽は絶対に根付かないし、振興しないと思った。とにかく仕組みが悪い。

一部の取り巻きがおべんちゃらを言い続ける世界。こんな世界に普通の人達が吸い込まれることは絶対にない。文楽は大阪の大切な伝統文化だ。しかしそれを観に来ない、興味を示さない大阪の民が悪いのか?違うでしょう!なぜ客が来ないのか、その責任の全ては文楽にある。その認識を持つことがスタートだ

文楽は大切な伝統文化だ。しかしなぜお客が来ないのか、徹底的な原因究明と自助努力が必要。客が二度と見に来ないと言って、客に矛先を向ける体質から改めなければならない。まずは演者が公務員化してしまっている仕組みを何としなければならないだろう。難題だ。

posted at 23:47:20

(橋下氏 twilogより)

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