自民党1党が政権に就き、野党社会党はただ批判するだけ(実は裏では繋がっていた)という政治が、あまりにも長く続いた為、日本人は政治とは議論とは、そういうものだと土壌が出来てしまったんでしょうね。
我々国民は、そういうものがいかに無意味であるか認識して、どういう議論・政治が実のあるものになるか、模索していかなければならないんでしょう・・・
その為の、一番の近道が、国民が直接、政治に責任を持つ(他人事で無くなる)、「首相公選制」なのでしょう。
橋下さんのフィジカルが強いというのは、最近理解しましたが、超多忙すぎ・・・今日も睡眠3時間て・・・ちょっと心配・・・
引用
なぜ国会で物事が決まらないのか、物事が進まないのか。新聞中心にもっと議論をせよ!合意点を見い出せ!と批判する。統治機構に問題があるというのが僕の持論。そもそも日本の政治は決定できる仕組みになっていない。だから決定できる仕組みに変えるべきだと。
それとは別に、日本には決定できる民主主義が根付いてない。政治は国民の鏡。民主主義の要は議論だが、議論の流儀について、僕らは教育を受けない。現実の政治における議論は、新聞の論説やテレビコメンテーター、学者と違い、あくまでも手段である。メディア・学者は、議論することが目的。
結着が付かなくても延々議論した方が良いと言うのがメディアや学者、自称インテリ。しかし、政治において、いや日常生活において、もっと言えば民主主義の議論とは、物事を決めるための手段である。この民主主義の議論の流儀は、お互いに自分の具体案を提示すること。これが全て。
日本の議論は、誰かが意見を言うと、それに反対するのみ。ひたすら反対。延々に反対。反対する側は、反対するだけで許されるのが日本の議論。しかし本当の議論では反対する側は、自らの対案を出さなければならない。そしてお互いの具体案について、それぞれ批判し、自説の優位性を主張する。
そして最後はどちらの案がよりベターなのかで決着を付ける。物事に絶対的な正当性などない。何かしら弱点や問題点はある。その弱点や問題点を延々追及するのが日本の議論。そして結局、何も決まらない。お互いに案を出して、それぞれを検討する。そして最後はどちらかを選ばないといけないようにする。
日本の議論は、ある主張とそれに対する反対論のみ。最後にどちらかを選ぶというものではない。反対する側は反対するだけ。ではあなたの具体案は?と問うと何も答えられない。僕が言論で批判するのは、日本の民主主義をダメにしている、そして自分では全くそれに気付いていないこういう自称インテリです
太田肇同志社大教授。組織マネジメントについて語っていますが、この人、首長のマネジメントなんか知らない。首長と中間管理職を同じにしている。平穏な組織で、組織上の仕事をやれば良いのであれば、太田教授のような考え方でも良いでしょう。しかし首長は違う。しかも今の僕の立場はね。
大阪市役所という組織は民間企業ではあり得ないほどの大組織であり、しもやっていることが何十種類の大企業の集まりのようなもの。そして何と言っても、従業員である組織の組合が、僕をトップに就かせないために血眼になって政治闘争を繰り広げた組織。従業員が社長を落とそうとする民間企業などない。
そんな組織のトップは、太田教授が考えるマネジメント手法なんかでマネジメントはできません。典型的な現実不認識の机上の論。役所の課長に対して講義する論理がそのまま大阪市長に通用するわけがない。役所の組合と血みどろの政治決戦を踏まえた大阪市長と言うポジションは特殊です。
そうは言っても、組合もしっかりと仕事はしてくれているけどね。ここも太田教授じゃ分からん世界だね。お互いに血みどろの闘いはしたけれど、公の仕事をする立場として仕事はきちんとやる。もちろんいい加減な職員もいますが。太田教授のマネジメント論は、課長用。それを僕に当てはめないでくれ。
太田教授についてはこのツイッターで。 RT @asahi_hb: もうひとつ、識者の見解を紹介します。これは「ハシズム」企画ではなく、昨日の野村弁護士の調査報告を踏まえ、一連の大阪市調査についてのコメントを太田肇・同志社大教授にうかがったものです。
今日もたっぷり議会質疑と各局との打ち合わせ。今日は5時起き、あと3時間か。8時からのウェークアップ。むくんだ顔で頭が回らんかも。その後は関西広域連合。娘が受験前でベッドを明け渡しているから、テレビ前で寝ます・・・・posted at 01:44:08
3/3 橋下氏 Twilog より