「”橋下新党”結成パーティー!?」NewsBAR橋下・元日2時間スペシャル内で、
橋下さんが
「元素記号やサイン・コサイン・タンジェント(三角関数)、どこで使うの?使ったためしがない。勉強のできる人たちは”そういうのも教養だ”というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と発言した事に、結構な批判が出ている様です・・・
それについてツイート
(橋下徹氏twilogより引用)
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(出典:https://twitter.com/tamakiyuichiro/status/1080776904930516992)三権分立、法の支配は司法の優位を認めること。大陸棚限界委員会 は行政、ICJは司法。ICJは太平島を岩と認定。そこから普通に考えると沖ノ鳥島は岩になる。これを覆すロジックを考えるのが日本の国会議員の仕事。大陸棚限界委員会が言っているから、では全くダメ。ロジックを考えるべき。
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(出典:https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1081245001252622337)バカロレアプログラム的には、まず伊能忠敬の日本地図作成の話から興味を惹きつけて、それに必要な範囲で三角関数の「考え方」でも紹介してもらえれば興味を持ったのかもしれません。ただ興味や面白みを感じない生徒には、それ以上突っ込んだ三角関数の計算の演習などは不要かと。
高橋さんのように数学の世界に面白さを感じる生徒にはどんどん突っ込んだ授業をやって行けばいいと思います。でもそれほどの興味を持たない生徒には違う選択肢を与えて、また興味を持った段階で学べるようなシステムに。日本の教育の画一性・硬直性が問題で、もっと選択の幅を広げ、進度も柔軟に。
広く浅く知識を学ばせることは必要でしょうが、今はあまりにも「死に知識」が多いシステムですね。やはり大まかにでも職業教育を行い、自分の進路をある程度見定めて必要なことを徹底して勉強していく。進路を変え、学び直せることも自由なシステムに。興味がなければ勉強は進みませんね。
(出典:https://twitter.com/yura921/status/1081423451787714560)僕の意見に、三角関数は必要だ!今の仕事で使ってるぞ!と騒いでる連中こそ、しょうもない知識勉強の分を割いて、読解力・論理学を勉強すべきだったな。やっぱり選択の幅を広げるべきだ。
私学ガバナンス強化…違法行為、監事へ報告義務(読売新聞) – Yahoo!ニュースこんな形だけのことよりも、大学運営交付金をバウチャー化して文科省の裁量をなくし、文科省から学校法人への天下りを0にすることが最も効果的。
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(出典:https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1081576436664721409)その通りですね。ゆえに闇雲に幅広く教育するのではなく、将来の道筋がある程度分かるガイダンスが必要かと。各職業に就いている人々に対して大規模アンケート調査をやるべきだと思います。そして各職業においてどんな勉強が必要と当時者が感じているのか、ある程度の「相関関係」を浮かび上がらせる。
この相関関係は高橋さんお得意の領域です(笑) 一部インテリや格好つけの人たちの意見だけを基にすると、何もかも必要だとイイ恰好をしますので、実社会で現実の仕事をしている人々への大規模調査。子供たちに早期に職業教育をする中で、職業と勉強のある程度の相関関係を示して欲しいですね。
僕は、英語コミュニケーション、近現代史、世界史の必要性を痛感しています。もちろん近現代史、世界史もいまの文科省学習指導要領に基づく暗記型の勉強は不要。文科省や一部の学者に任せず、実社会人を交えたかたちで授業プログラムを作るという方法論を模索して欲しいですね。
(出典:https://twitter.com/ryohey7654/status/1081749148276150272)必要十分条件を数学の中で教えるからクソ面白くないし、実際に使えない。これはディベート論の中で教えるべき。三角関数は必要だ!と騒いでいる連中の多くは、社会問題を論じるディベートにおいて、必要十分条件を使いこなせない。
橋下さんは、番組内の話の流れで
「教育内容や教え方が、時代の変化に置いてけぼりで、何も変わってない!」
「三角関数より、今はもっと優先的に教える事があるんじゃないか?
また教育内容を選択出来るようにしたら良いんじゃないか?」って問題提起しただけ
同番組内で、東さんは
「不良が、そのまま(悪いまま)教師になれ」って、
もっとツッコミ所のある発言してるけど、全くスルー(^_^;)
やっぱり、叩きたい人が言葉尻りを捉えてやってるだけ??
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コメント
>暗記型の勉強は不要。
もうほんとにこの通り。
これで、これに徹して、学生時代、特に小学校中学校時代にこれだけをやっていたおかげで、ただ記憶に残すだけのことをしていたおかげで、二十歳代の初めまでは、仕事での中身の、社会で勤めて何の役にも立たないものばかりが頭で残っていて、私は、それがこんな何の役にも立たない人間になってしまった。
子供にはその話をよくしてきた。
あれは教育ではない、ただの神経衰弱のあの記憶だけを競うゲームのようだと。
教科書、参考書に表している解説もの、
学校で授業中に教えてくれたこと、
黒板に白墨で手書きで教師が書いて出したこと、
もうこれだけをただ頭に残すことだけを、ここだけを頭に入れていた私などその典型。
その後の社会では何の役にも立っていない。
いつでも動くこの大人の世界、社会での、そこで生きた内容、必要なものになっていないからだ。
ちなみに小学中学時代の科目の教科書は、学年初めに学校から生徒に配られるが、
その教科書はすべてだいたい全科目合わせて1週間もあれば、教科書に書かれている文言はすべて写真に写したようにすべてが丸暗記できていた。
之って自慢ではない。
ただの個性だ。
何の価値もない話。
だから、その学年の授業内容は、学年が始まって初めの一か月くらい、つまり5月になれば、もうすでに頭の中ではその学年の授業は、すべて自分の頭の中では教師に教科書で教えてもらわずとももう終わっていた。
これが実は大人になってから非常に苦労する最大の内容になってくる。
現実の社会はそんな記憶だけで物事は決定の答えに決まっていかないので、すべて常に流動性で、動き回る内容の経緯、経過、が普通であり、其れへの泊ま台が私の初めのぶつかった内容どぇあった。」
そこから抜け出すのにものすごい葛藤が起こり、前提をまずは切り捨てて、また再度その前提に振り替える中間を持ちながら戻るという、もう若い時期これを繰り返しながら抜け出そうと苦労した。
これが苦しい時期で、当時そこを残酷に自分で自分の頭を否定までして頭で切り刻んだ。
もう重ねて言うが、記憶だけを詰め込んでも、社会はその記憶が固定せずに常に動くので、何の役にも立たない。何が起こるかわからないと、前提をまず捨てていくことが、この記憶に頼らぬ人生を送る自分ができる糸口のヒントになる。
これ(自分の記憶力に頼れる力)を、自信で持つほど、後々苦労する幅が大きくなる。
中学校の授業で、授業参観の時、
中学校の国語の授業で古文をやっていて、その中で教師が紀貫之の和歌を生徒に教えてるようなんだが、祖の教え方で
「こんなことをやって一体何になるのか」と、
「これで教育の授業なのかと」もう意味が分からなくて後日教師にそのことを聞いたことがある。
教師が和歌の、5・7・5・7・7 の、この和歌の、初めの5のところだけを教師が声を出して口ずさんで詠み、そこから7・5・7・7の、ここの和歌文を生徒が記憶に基づいて下りの部分を詠ませる。
これを一時間の国語の古典授業の、8割ぐらいを占めて教師が授業と称してやっていた。
この和歌の一言一句を生徒に覚えさすことに、どれだけ意味があるのかが私にはわからないので、何の意味があるのかわからんので、教師に聞いてみた。
【試験で出るんです】
【それを覚えることは物事を考えるうえでこの時代のことを考えるうえで非常に役に立ちます】
と。
本気の顔をして答えてきたので、
【まず使わんし、これからの人生で紀貫之に興味を持つ機会があれば、その時点で自分で本を購入して読むなりただそれだけで済むことじゃあないの?紀貫之を深く知る必要ってホントにあると思う?】と聞いたら、
【そんなことはありません、その時まで知らないと恥をかくことになったりします、この程度のことは知っておくことが必要で、高校入試大学入試でもこれが出ることがありますから】って、もう大真面目で言ってきた。
こんなことを一体いつまでやってるのかと、こんなことしか学校の教師は生徒に教えられないのかと、いやこれを教育だと、授業だと信じ込んでいる時点で無駄すぎるだろうが!と伝えたが。
でも、あの調子ならあれからもう30年近くになるが、中学校の古文ではまだそれをあの時と同じように教えてるのではと。
あれは授業とは言わない。
記憶対決のようなまるで記憶ゲームである。
立憲民主がやってる偉そうに知ってる競争をやってるあのここ最近の国会でのカス質問状況と同じ。
朝鮮民族って、まあ、どこまで自慢がしたいのかねえ。
兎に角お前より俺が、君より自分がと、もう限りがない状況で何処までも妬みと恥を重ね合わした屑ばかり。
こいつらいったい何が自慢したいのかねえ。
カスみたいな授業してさ。
あれを知って覚えていて、紀貫之を知って一体何になるのかねえ。
私など、
紀貫之っていったいどんな女性で、どれだけ美人だったの?とか、
あの時代の女性って肥えていたの?痩せていたの?とか。
一体いくつの歳だったの?とか、いくつで死んだの?とか、
歌ばっかり読んでいたとしか出て居ないが、男性とはどうだったのかだとか、
毎日何を食べてたのかだとか、お風呂はどうやって入っていたのかだとか、
兄妹は?だとか、
男性と恋をしてそして閨を共にしたのはいつだったのかだとか、恋はいつ頃してそれはすべて結ばれたのか、
最後はどういう死にざまだったのかだとか、
男性に目覚めたのはいくつの時だったのかだとか、どれだけ男と結ばれたのかとか、日ごろ歌をやっていないときには、どう過ごして、家では何を食べて、料理はどうしていたのかだとか、どのくらいの時間寝ていたのかとか、
顔はどうやって洗っていたのかとか、歯はきちんと磨いていたのかだとか。
夏と冬では着物はどう入れ替えて、季節ごとで違えてきていたのかとか、
こういうこの中のごく一部でもいい、生の人間として紀貫之を教師がちょっとでも生徒に振れば、人間味のある人生を教えていけば、もっと生徒も興味が出てきてこの女性の人生を考えてみようと、興味が持てるかも。
それが教育である。
★記憶させることが教育ではない。
ただ試験に出るから、
この歌をただ闇雲に和歌の文言を棒暗記で丸暗記しろなど、
これは教育でも何でもない。
これは、トランプカードでの、当てものクイズのようなもので、馬鹿げている。
歌人の一生なんだから、こんな和歌集だけで終わらせないで生の人物像を生徒に教えたほうがよっぽど教育になる。
でもこのやり方はたぶん全国の学校で中学校で、今でもたぶんこの方法で、同じ授業方法でやられてることだろう。