記事にするのが大変遅くなりましたが、記録の為残しておきます
橋下氏「(表現の不自由展)津田氏も自分事となったときに、ハッとその異常性に気付くと思います」8/7~11のツイートの関連ツイート
(橋下徹氏twilogより引用)
(8/14)
宮内庁、靖国の陛下参拝要請断る 創立150年で昨秋(共同通信) – Yahoo!ニュース絶対的な正解のない国家観なるものにとらわれて、結局参拝できない現状を放置し続けるのではなく、とにかく陛下と首相が参拝できる環境を整えることが、令和の時代の政治の役割だ。
靖国問題の根幹は、結局のところ日本自ら戦争指導者責任を明確にしてこなかったことにある。東京裁判とは別に、自ら戦争指導者責任を明確にし、国をあげて祀る対象から外すべき。分祀のほかに返納という方法も検討すべき。戦争指導者は靖国本殿とは別の形で祀る方法を模索すべきだ。
戦争指導者を靖国本殿で祀ることよりも、戦争指導者の遺骨灰の一部が実際に埋葬されている熱海伊豆山の興亜観音をしっかり守り、祀ることが重要だ。靖国で英霊をしっかり祀るべき!と言いながら、旧陸軍墓地や興亜観音は放置。令和の時代、英霊の祀り方を真剣に考えるべき。
(8/16)
全閣僚、靖国参拝を見送り 中国主席来日へ刺激回避(共同通信) – Yahoo!ニュース首相は参拝すべきと威勢よく言うのは誰でもできる。しかし、現実はできずに現状は変わらぬまま。令和の時代は政治が陛下や首相が参拝できる環境を作るべき。戦争指導者の分祀、返納、別社殿などあらゆる方策を考えるべきだ。
憲法20条政教分離規定の改正も必要になろう。まさに国の作り直しだ。令和の政治家に期待する。
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162230815754862598)🤗🤗🤗百田さんも僕に説得されるのを拒否していましたよね。僕も同じ。正しい、間違いの問題ではなく、解釈、立場の違いです。
英霊への尊崇の念と口にしながら旧陸軍墓地を放置していたことも酷かったが、興亜観音の放置も酷い。日本の政治家も国民もなんとかしなければ。
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162264637456302080)百田さんが間違っています。
僕が歴史知識の優劣のようなニュアンスを出したときに(これは言われたことへの反論だったが)、百田さんは反発しましたよね。価値の優劣も同じです。自分がやられて嫌なことは他人にもやってはいけません。
(8/17)
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162307364000714753)ええ、言われた範囲で反論します。鏡みたいなものです。百田さんに自分の論法のおかしさに気づいてもらうために。他人を間違っていると決めつけても、何の意味もありません。あなたが間違っていると言われるだけですから。僕はこれまで一度も百田さんが間違っているとは言ったことはありません。
富田メモの話を僕が持ち出したときには(一般公開されていないことも付言した)、百田さんは昭和天皇の御心は分からない旨のニュアンスを言いました。しかし、自分は昭和天皇がなぜ参拝しなくなったのかの解釈を縷々展開し、それが正しいと決めつける。
この議論は楽しくないし、お金にならないのは同意。しかし何の益にもならないというのは相手に失礼。お互いの主張が公になることは良いことだという百田さんの主張に僕は同意し、それを尊重してきた。僕は言われるまでは他人を侮辱しないが、百田さんは礼を失している。
事実認定では正しい、間違っているという評価は成立するが、見解においては、合意に至らなければ詰まるところ立場の違い、見解の違いとなる。正しい、間違っているの問題ではない。
百田さんが言うように楽しくないし、お金にもならないが、百田さんとのやり取りで自分とは異なる見解を知ることは得るものはあると思っている。
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162316230004375552)はい。それで以後、お互いその主張が止まるのであれば。
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162318182289268742)もう、そういう主張はやめたらどうですか?僕は百田さんに反日などのニュアンスは一度も言ったことはありませんよ。言われた範囲で僕が侮辱的表現をしたときに、百田さんは反発したでしょ?
売りことばに買い言葉は、百田さんの専売特許でしょ?
僕から見ると、百田さんの方が反日で反日本人的です。
(出典:https://twitter.com/nagashima21/status/1162648656547155968)結局、戦争指導者の責任確定を自国でしっかりとやってこなかったことが様々な歪みを生んでいる。終戦後、戦争当事者が存命の時代は、正か悪かの議論しかできなかったろうし、資料収集も不十分で史実研究もままらなかった。令和の時代にこそ、戦争指導の責任確定を自国でしっかり行うべきだ。
(出典:https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1162539121702629377)自分がやられたら反発する侮辱を他人にすることは、僕の日本人像に反します。陛下や首相の靖国参拝を第一優先順位にしないことは、僕の立場からすれば反日です。反日なんていう言葉はこれくらいくだらないもの。だから使うべきでない。
表現の不自由展・その後の問題は、表現の自由の問題というよりも単純な組織ガバナンスの問題のようだ。トリエンナーレ実行委員会、津田芸術監督、表現の不自由展実行委員会の権限と責任が明確でないという行政のいつものパターン。トリエンナーレ実行委員会も津田氏も、「表現の自由」という大義に及び腰になって現場を統治することができなかった。統帥権を盾に軍部が独走し、国家指導者が統治できなくなった戦前の日本のガバナンスに類する。現場の自由に全て委ねるとこうなる。だから組織統治が必要。
しかし津田氏は、統治に関しては強権力の発動だと批判的だった。だから表現の自由の大義に負けた。津田氏は組織統治の難しさ、権力発動の必要性に気付いただろう。大村さんをはじめとするトリエンナーレ実行委員会も統治ができなかった。事前の事業方針の確定とそれを守らせる統治の在り方が問題だった
(8/19)
(出典:https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1162890624674103298)国家を愛したとしても、無茶苦茶な統治・軍事指揮は非難されるべきというのが持論です。現場の日本兵士は悲惨でした。国家の意思として、ダメなものはダメと示すことが同じ失敗を繰り返さないためには必要です。個々人が手を合わせることとは別ものです。
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