維新の党「全国総支部幹事長及び事務局長並びに実務者合同会議」冒頭、その後のぶら下がり動画

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7/12大阪党本部にて、維新の党・全国総支部幹事長及び事務局長並びに実務者合同会議が行われました。

冒頭挨拶(柿沢幹事長)

その後の柿沢幹事長ぶら下がり会見


・代表選は、(今のところ)11月1日に予定している。

(安保法制)維新独自案・特設ページ
https://ishinnotoh.jp/policy/anpohou/

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コメント

  1. 仲井 より:

    柿沢さん!
    頑張ってよね!
    こんな日本を、変える!と国民に向けて叫んでいう政治家は、今までものすごく出てきて言っている。

    でも結果誰もそれをできなかった。
    彼らも多分そんなことは出来るはずがない、一体どうやれば日本が変わるのかも解らないし本人自身が第一その気もないし実際にどうすれば今のこの日本の腐った行政の現場国の構造を変えられるのかのその基本部分のやり方さえも分かりもしないでそう叫んで票を得てきていた。

    私に言わせれば、すべてが嘘で投票を呼び、嘘で議員に支持を受け、嘘で当選した者の立場で恥も知らずに国会で法案の成立に堂々と臆せずに参加し、国民からすればこれはもう言語道断の状況。

    何とかしろよって叫びたいほどの状況のはず。

    ここまでの者らは、できないことを知っていてでもできるようにやると聞かされそう言ってきていた政治家ばかりだったのだろう。

    昔を例にとって申し訳ないが、
    少なくともいろいろな予算の分捕りの力関係云々という部分はあったかもだが、でも、昭和の30年代後半から昭和の40年代初頭における政治家はやっぱりなんだかんだ言いながら時代の流れにも助けられての政治の行動にトップも、
    ことに対しての覚悟を持ってやっていた。

    与党だった当時の自民党の中では、刺し違えるぐらいの覚悟で政治が行われていた部分が多い。陰で暗躍も確かに多かったことはあるにはあるが。
    総理大臣指名をあんな或る民間のあの人物の別荘でその人に頼んで俺を総理大臣にしてくれといったものが大勢いてたことも聞く。

    それと比べて、
    維新を立ち上げた橋下さんのこの国に架けるこの思い、若者の将来に託すための政治家がこの国のためにやれること、出来ることの【この思い】、それに向ける政治家としての【覚悟】、党内でもしもふにゃふにゃ言っている者がいてるなら、政治家など辞めてしまえと怒鳴りつけてやればいい。

    そんな者の力では今緊急になすべきことの喫緊の国の課題であるこの国家を国家たる主権の国家、国民がこれこそと思える正常に戻した国造り、石田三成が考えたような国造り、今のこの歪めてきた道理をまともに立ち直らせて正常な国民主導の権利を有する軌道に戻すこと。
    これが現状なら無理だから、それに腰が逃げているような政治家は、そんな者らは我々グループには要らぬと宣言してでも、さっさと出て行けとでも言って、これをもう一度党全体で本気でやる覚悟があるのかを、その覚悟を持てる集まりかどうかを再度みんなで確認してほしい。

    柿沢さん!そこを覚悟を持ってやってほしい。

    橋下さん、松井さんをはじめそのそばで今までやってきたここまでのこのかれらのこの壮絶な闘いの行動、発言、これらは普通の信念だけではあれだけの行動が出来ないということは、柿沢さんもよくご存じで認識されていると思える。

    橋下さんらの思いがどれほどのものかを党内でもう一度再確認してほしい。

    それを統一できれば、この世の中で怖いものなど無いでしょう。
    やろうとしていることは濁っていない、この国を、とにかく一日も早く常にきれいな水にしたいというその思い、その思いの強さがあれだけの殻ら橋下さん松井さんの行動の原点、源。

    底を目指すことでそれを実現したいと、その実現した世界をこの目で自分の眼で見てみたいというこの思い、若者にもそれを見せてあげたい、ただそれだけの思いで、そのことの一点で彼は、彼らはここまでエネルギーを費やしてきた。
    この夢があるからということで。

    それだけの夢に向けての彼の行動だということは、柿沢さんもよくお分かりのはず。
    生半可な今までの政治家が謳い上げてきていたような覚悟で出来ることではありません。
    あの経済産業省上がりのあの古賀さんのここしばらくの行動がそれをよく表しています。
    中身の中で行政改革の一面を取ってみれば彼の内容は素晴らしい部分での信念という追及の部分の意志を持っていても、残念ながら、それが薄汚れた周囲がそれを潰し工作した結果いつの間にか彼が主張してきた本体から主義を広げすぎてしまい、工作にまんまと嵌められ、彼が身上の内容から遠いところの内容に持っていかれ、内容の発言が凝り固まりだすように捉えられ出し小物扱いで社会からその発言の力をそがれ、とどのつまりが最後は持っていた折角の宝の部分まで捨てさせられた印象をもたれてしまい最後はもう放棄されてしまうように彼が本来立つべき国民のための位置から追い出されてしまうことになる。
    これが今の日本の現状です。

    日本社会はここまでこういう腐った構成での構造になってきています。
    これを打ち崩せるのは橋下さん松井さんがここまでやってきたこと以外では私は見つけられません。
    ただ唱えるだけというのは誰もがやってきたが、これを実際に動かせひっくり返し平地の更地を作りそこに新しい建造物を建てられる人はいま日本で橋下さんらしか存在しません。

    この今やろうとされていることは今までのことの状況とは全く違う覚悟を持たないでことは成せません。
    生半可は捨てて、ここでこそ政治家の覚悟を見せるときです。
    その千歳一遇の機会です。

    日本国家が出来ていろいろな変遷をしてきて、この間の大阪の住民投票を見てよくわかるとおり、日本は根本からここまでここまで現場は腐り果てています。

    これをすべて変えてしまうことのその力は並大抵ではできません。
    でもやらなければいったい誰がやるんですか?
    橋下さん松井さん、そしてあなたたちがやらないでどうするんですか!
    今それが目指せる人は貴方たちしかいません。

    国民の一人として、
    政治家よ!
    もう一度政治家をめざした時を思い起こせと言いたい!

    柿沢さん!
    頑張ってとは言いません。
    やるべきことの覚悟を皆さんでもう一度確認が必要だと思います。
    党内で覚悟をできる政治家になるために今何が必要か、
    あなたが皆さんの先頭に立ってそこはがんばってください!
    周りにもいい能力を持った方が多いと思いますので。
    公心のみで動ける政治家の集団の組織造りに頑張っていただきたい、

    老人の発言で、過ぎていればお許しを。

  2. 仲井 より:

    あの住民投票前夜に難波高島屋前であれだけの群集の前で松井さんが語った重い思いのこもったあの言葉も私は忘れない。

    【皆さん、我々が作ったもの、自信があるんです、皆さん】

    この言葉をあの時あの場で、あれだけの集まった人たちの前で、声がつぶれたあの状況で、まさに血の混じったような命がけの声の言葉に聞こえた。
    松井さんが語ってくださったことに、あの時私は感激しました。
    まさに政治家が覚悟を見せた発言。

    あれがあれば、あれだけ命を懸けた意志の声を持った訴えがあれば、日本は変われるかもと、大阪は変われるだろうと、それを本気でやろうとしてくれている政治家が幸運にも自分らのこの今目の前にいてると、そう思った。

    結果は一瞬で終わったが、
    だが松井さん橋下さん、彼らが訴えたその内容の意味の凄さ加減は、意志は、日本国中に刻む如くに国民の心の中に永遠に突き刺さって残された。
    正常な心の持ち主には。

    賛否投票では駄目だったが、終わったわけではない。
    これを具現化させるための今後がある。
    住民投票以前よりもまして今まで以上により今後がある。

    あの時夢にまで見た行政構造の世界、その世界を見たいと思って動いてきた橋下さんを初め多くの賛同した人たち、この人たちの心には維新のその目指すものの姿が、その形がそのまま稲妻のごとく突き刺さって心の中で今もうごめきながら残されているだろう。

    夢は叶えるもので見るだけのものではない。

    閉ざされたわけではなくて、きちんとした意志さえ持ち続ければ、そしてそれに向けてそれぞれの立場立場で動けば、目指す道の幅は必ず開けてくる道は必ずある。

    【道はローマに始まる】というが、
    ローマ帝国が支配下に治めるために広げていった地域に全て作っていったその道の、作ったあの帝国の壮大な道路のその道幅は、実は地球上に高速道路が出来始めてきたときの道幅の基本になっているという。

    高速道路の道幅は、そのもとになるのは実は何千年も前の実はローマ帝国の騎馬隊が進軍するときに、道に騎馬陣が横一列に並び、どれだけの幅でどれだけの騎馬陣の馬が一列に横に並べば、一番武力が発揮起動するのか、横に並んでどれだけの騎馬陣が横に並べば相手を威圧でき豪壮に見えるようになるのかと、それを考察してあれが一番いい道幅だと、あの道の幅が一番いいと、それであの道幅が考えられているという。
    あの時代にそこまで考えていたとはやはり伊達にローマ帝国ではないことが解る。
    物事を行うときとくに当時は他国まで遠征しての征服の世界、そこで何が必要かの緻密な考察があの進軍の時のあの道の幅までが計算されていたとは、すごいの一言だ。

    進んでいくときに一番強靭に相手に見えて、しかも武力が発揮でき最大限効果がある道の幅になっていた。

    全ての道はローマに始まるの原点。
    この現代社会で、高度成長時代の象徴である高速道路は、数千年前のローマ帝国のあれを参考にして、あの騎馬隊の騎馬が横に並んだ道幅の状況の内容で作られている。

    維新の党も、このローマの道の原点に戻れば、
    地球上の歴史の何千年も依存の志がこれが有効になるほどの内容を持てるようになる。

  3. 仲井 より:

    関ヶ原で両軍向き合って壮絶な闘いが行われたがあの時に徳川家康の東軍は中央突破のこのローマ帝国が行った戦法、幅を特定し幅を広げて包み囲う状況で取り囲もうとした石田三成の西軍の戦法の、その真正面に中央突破で先陣で攻め入った。

    戦陣の幅を広げずに進撃の幅を可能な限り船団の中に飛び込むように極端に狭め、中央のそのど真ん中をあの幅の戦陣で一気に進み、直線でめがけて直線でまさに囲んだ西軍に列車が真正面中央にぶつかっていく戦法。
    東軍はまさにローマ帝国のやっていたそのあの道幅での直線突破の戦法で西軍の中央突破で切り込んでいって大勝利を得た。

    物事をやるとき、覚悟をもってやるときは、あらぬ策など要らぬ。
    囲みを大きく広げての目的の的を囲んだ上手い手かに思うような状況はもう今の時代は薄汚く見えてしまう。

    囲うような根回しの内容は一切作らずに、進撃で横目を広げずに、横にぐらぐら揺れずに、真一文字に一直線で度胸を決めて真正面から堂々と中央突破で相手に突き付けて【どうだ!】と、突き進んでいけばいい。
    其れこそが今の維新の政治には必要だ。
    国会対策には必要だ。
    今日の下地さんがやったような。

    政治の世界はどうのこうのと要らぬ策謀が必要だとか、
    大人の対応が必要で根回しがどうのこうのという奴がいてるが、
    ここまで来たら、正面突破、これでももう失うものなどない!

    ここぞというときは、覚悟を決めて真正面から、
    【我々のものはこうだ!さあどうする?】って堂々と胸を張って相手、つまり時の政権に迫るべきだ、突きつければいい。

    泳がせる策謀など要らぬ。
    愚かな連中が、やれ政治には根回しだの、大人になれだの、物事を相手とやるには策略も考えた上での熟考するべきだの、
    もう聞いていて反吐が出る。

    ここは日本だぜ!って。
    朝鮮ではないぜ!って。

    国民の顔を思い浮かべれば、そんなものはそんな必要など一切要らぬことはわかる。
    根回しに手を染めた時点でそれは国民からすれば誰のためにやってるんだ!という声が聞こえてくるはずだ。

    国民は今の時代がどうなっているかを実はよく知っている。
    ただどうすればいいかを知らないだけだ。

    策謀で事をなすようなことを一つでも手を染めれば、政治家として一生悔いが残るはずだ。

    自分らでこれをやりたいと思うのであれば、これはいいと自分でそう思うのなら、信じた内容であれば、例え誰かがぐじゃぐじゃ言おうが、そんな覚悟もない連中に遠慮など要るものか!

    維新の党が自分らのやることがそれが最良で正しいと思えているなら、何を恐れるものか!臆せず、遠慮など毛頭要らぬし、誰に遠慮が要るのか、思い切り腹を突き出してでも真正面から堂々とぶつかってやればいい。
    でなければ、あの時に何で真正面突破で行かなかったのかと、行ってれば良かったと、絶対に思うはずだ。

    之こそしがらみのない国民の支持が今そこにあることを維新の議員は覚悟して認識すべきだ。

    それを見ているし、その姿が見たいと待っているはずだ。
    そこに国民は支持をする。

    柿沢さん!
    我々は骨になっても皆さんが進めるものを支持します。
    橋下さんが出て来てから、私の思いで、そこを一度も裏切られた経験がありません。
    本当によく皆さん頑張っておられると思います。
    想定をはるかに超える状況で皆さんが行動をされていると思っています。
    あとは政治家の覚悟を国民に見せることだけです。

    今回の安保法制の法案提出にも、法案の中身で、国民を本当に守るという意思が、法案を作った当人らがそれがその覚悟が国民が見て覚悟をもってやってくれているのかを、ここを見ています。

    国民は、法案の内容の本当の中身まで知識が染み渡っていません。
    でも国民はそれを提出する政治家の彼ら自身がこれを作ったその覚悟をそこを見ています。

    それが政治家の最大の大事なところです。

    国民にこの政治家なら国を任せても我々国民のことを本当に真剣に覚悟をもってやろうとしてくれているのかを、そこを見ています。
    それが政治家の一番大事なところです。

    信頼されれば自らで、維新で作った法案も、普通に政治家に任せてもいいと、そう思ってもらえるでしょう。

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