「松井一郎・日本維新の会幹事長 逆風下、捨て身の参謀」(朝日新聞)

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朝日の記事なので、表現にやや悪意を感じる所はありますが…
松井幹事長の人物像を知る上では、良い記事だと思います。

(引用)
(政々流転)松井一郎・日本維新の会幹事長 逆風下、捨て身の参謀

 松井一郎・日本維新の会幹事長(49歳) 「橋下は本物」口説き落とし支える

 5月29日夜、松井一郎は大阪府八尾市の自宅でテレビを見ていた。ニュースが大阪市長の橋下徹に対する問責決議案が可決されると流していた。

 「慰安婦制度は必要だった」「米軍に風俗業を活用するよう言った」。橋下の一連の発言に国内外の批判は強まり、大阪市議会で協調路線を取る公明党も問責に賛成する方向だった。

 すぐに電話をすると橋下は寝ていた。「え、そんなことになっているんですか」。驚く橋下に松井が「問責が可決されたら議会が動かなくなる。市政の停滞を招かないよう行動しよう」と助言すると、橋下は「そうですね。急いでやらないといけないこともありますからね」。2人は問責可決なら出直し市長選に踏み切ることを決めた。  (続く…)

(続き)
 この頃、橋下は元慰安婦に面会を拒まれ、テレビ番組で旧知のキャスター辛坊治郎に「政策について聞く状況にない」と突き放された。6月の訪米も断念。維新政調会長の浅田均は「橋下君が弱含んでいる」と心配した。

 松井は翌朝、局面転換に動く。公明党市議団幹部に「問責の意味をよく考えてほしい」と迫りつつ、大阪府庁に登庁するや記者団に「橋下徹をノーと言うのか。有権者の判断に委ねるしかない」と表明した。市議会は動揺し、公明党が譲歩して問責は否決された。

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 2008年2月、橋下はタレント弁護士から府知事へ転身。その橋下を、松井はそばで支え続けてきた。政治家として初めての大逆風にさらされる橋下。それは、松井の人生とも重なる。

 「生意気なくそがきだった」と自ら振り返る16歳の冬。「修行と思って一人で行け」。府議だった父から大阪市内の工業高校を退学し、福岡県へ引っ越すよう言われた。転校先は父の縁故で故・笹川良一が理事長を務める高校だ。初日にクラスで大げんかをし、半年間は誰とも口がきけなかった。

 03年には父の地盤を継いで自民党府議になった。04年の府知事選で官僚出身の現職知事を推す自民党本部に反旗を翻し、「府政を中央官僚から取り戻す会」を結成。民主党参院議員だった江本孟紀を担ぎ出したが惨敗した。

 転機は橋下との出会いだ。役所の反発を押し切り、ゼロベースで事業を見直す姿に「こいつは本物や」。橋下が議会運営で悩むと「府民の支持がある。折れちゃあかん」。そして09年クリスマスの夜。大阪城近くのイタリア料理店で先輩府議の浅田と「府も市もなくし、ワン大阪。新しいグループを作ろう」と口説き落とした。

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 維新の力は橋下の人気と選挙の強さにあった。11年春の統一地方選、秋の大阪府知事、市長のダブル選。国政初挑戦となる昨年衆院選では54議席を獲得し、第3党に躍り出た。松井は常に陣頭指揮を執った。

 松井は安倍晋三と菅義偉との連携にも力を注いだ。昨年2月、府知事になった松井は教育シンポジウムで安倍と対談。それを機に、野党自民党で無役だった2人との親交を深めていった。

 松井が描いたのは、安倍を党首に衆院選を戦う「ドリームチーム」構想だった。「総裁経験者が離党することはない」と断られたが、安倍は人気の維新カードを手に党総裁選で勝利。首相に返り咲いた後も「改憲勢力で3分の2を確保しよう」と誓い合った。

 今月1日、松井は後援会のゴルフコンペで安倍政権のもとで大阪の特区構想が進展したことを挙げ、「国がいい加減なことをすれば、ノーを突きつける戦う集団なので無視できないんです」と胸を張った。官房長官の菅は松井を「彼をいいなと思ったのは捨て身で物事をやる覚悟だ」と評する。

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 松井は6日、米軍オスプレイ訓練の一部を地元の八尾空港で受け入れる案を携え、橋下とともに安倍、菅に直訴した。菅は「沖縄の負担を軽減しようという思いで歓迎したい」と呼応した。安倍との会談が実現し、松井は「本当にいい人だ」とはしゃいだ。安倍が防衛相に検討を指示すると「本当に素早い。民主党政権の時は言いっぱなしで無責任だった」と語った。

 維新は逆風の中で参院選を迎えようとしている。オスプレイの大阪誘致も選挙戦に有利に働くかどうかは分からない。副総理の麻生太郎は「打ち上げ花火みたいな話」と冷ややかだ。

 松井は苦しい時、自分と同じように博多で青春時代を過ごした長渕剛の詞を心の支えにしてきた。「何ば言うとっとか! 貴様(きさ)ーん!」。博多で最初に覚えた言葉も一緒だ。

 橋下発言でみんなの党が選挙協力解消に動き出した時、松井は維新の党本部の会議室でこうつぶやいた。「頭を踏んづけられても言うべきことを言う。『必要ない』と言われれば、維新もそれまでや」=(敬称略)
(朝日新聞 6/9)

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