3/16 橋下氏 Twilog 「16日朝日社説」について

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引用

16日朝日社説。君が代起立斉唱条例について賛否があることは承知している。しかし、その条例を府議会で正当な手続きで成立させ、大阪府教育委員会が府立高全教員に起立斉唱の職務命令を出した。命令です。そして府教委は全府立高校長に、起立斉唱の状況確認の報告を求めたのである。

中原校長はそれを忠実に守っただけであるし、彼のブログにもあるように卒業式の雰囲気が乱れない最大の工夫をこらした。中原校長の監視がおかしいという議論は、完全に間違っている。おかしさを言うなら起立斉唱条例、教育委員会の職務命令である。この点、朝日は何を問題としているのかが分からない。

もし条例と職務命令は、正しいもしくは違法ではないと考えるのであれば、監視方法を問題視するのはおかしい。特に教育の場での監視はおかしいと言う。何を言っているのか!入試を見なさい。完全な監視の場だ。子どもたちの人生をかけた、教育の成果を一番問われる入試の場こそ、完璧な監視を求められる

京大で携帯電話を使ったカンニングが問題となった時に監視の甘さが散々批判された。今、入試の真っ盛り。受験生は完全な監視の下で試験を受けている。それは仕方がない。入試は、他人の答案を見てはいけないというルールだ。だから学校側は監視する。当り前だ。

今回の口元監視の議論は、子どもたちへの監視はいくらやっても良い。しかし教員への監視は一切ダメだという、教員絶対的自由論の流れ。これは評価問題でも同じ。教員を相対評価しようとしたら、教育現場は猛抵抗。教員を輪切り評価なんてできないと。

4と3の違いは何か。何を基準に5段階で評価するのか。まあ教員は自分たちの身分のことになれば必死になって反発して、今の一般常識では考えられない甘い評価を守ろうとする。1万人に1人しか最低のDが付かない今の教員評価が機能していると言えるわけがない。

そのくせ、大阪の子どもたちは、内申書できっちりと10段階評価を受ける。それこそ、8と7の違いは?7と6の違いは?基準なんてあるわけないし、テストの点数だけで評価していたら、それこそ教員が自分たちの相対評価で文句を言う「点数だけで評価するな!」がそっくりそのまま当てはまる。

ルールが決まった以上、それを監視するのは当り前。教育の場で監視そのものがおかしいなら、なぜ入試では子どもたちを監視するのか。今回の口元チェックの問題は、つまるところ、君が代起立斉唱条例、教育委員会の職務命令の是非となる。しかし朝日はこれも間違っている。

まず大阪維新の会の起立斉唱条例が成立する前に、教育委員会は2002年に起立斉唱を決定し、不起立教員に職務命令を出していた。朝日は教育委員会が出していたこの決定や職務命令には何も批判しない。そして、住民の代表者である府議会が条例を制定したら猛反発。

教育委員会と言う行政機関がやることは全て正しい。しかし政治家が決めることは間違っていると言う、政治が大嫌いの朝日らしい。朝日新聞は起立斉唱がおかしいと言うなら、2002年に府教育委員会の決定とその後の職務命令を徹底批判したらいい。しかしそれはできないはずだ。

だってそれこそ教育の専門家の集団である教育委員会が決定したことだから。教育委員会の決定を批判し、府議会の条例をひはんしたら、それこそ民主主義でなくなる。朝日新聞の独裁社会になる。朝日新聞は、世間が味方に付いてくれるであろう府議会批判、政治家批判にターゲットを絞った。

繰り返し言う。君が代起立斉唱を決めたのは、朝日新聞が礼賛する大阪府教育委員会である。そして起立斉唱の職務命令も既に出していた。にもかかわらず教育現場が教育委員会の決定、職務命令を守らないから大阪維新の会が条例で後追いしたのである。朝日新聞は教育委員会を一切批判せず条例だけを批判。

では大阪維新の会の起立斉唱条例を朝日新聞は批判する資格があるのか。昨日の社説では51対49の覚悟を示せと、決定できる民主主義に賛同する。議論を尽くしてもそれでも結着が付かない時には51%での賛成で突破せよと言う。朝日は多数決をどのように考えているのか?

民主党は消費税はマニフェストに記載していなかった。そして党内で反対論が強い中、51%の賛成でも突破せよと言う。これ、君が代起立斉唱条例については真逆のことを言っていた。維新の会はマニフェストに君が代斉唱条例のことは書いていなかったからおかしい。もっと議論せよ。反対会派がある。

朝日新聞は、結局のところ、自分たちの価値観に合うものは51%の賛成でも突破せよ。そして自分たちの価値観に合わないものは49%の反対を尊重せよと言う論。何とも民主主義をバカにした論だ。筋は一つ。決定できる民主主義で51%を尊重するのか。

戦後の自称インテリたちのファッションであった49%の反対を永遠に尊重しろか。司法の場は後者。最近の最高裁、司法の場は頼もしい。徹底して被告人・個人の権利を擁護する。しかし政治の場は前者。多数の意見を尊重するのが原則だ。このような政治行政と司法のバランスで世は統治を維持できる。

朝日新聞は戦後ずっと、政治行政の場でも、司法の原理を持ち込んできた。そのおかしさに、今般の消費税論議を中心とする機能不全の政治行政を見てやっと気付いたのであろう。そして朝日の大転換と言える昨日の51%の賛成で突破せよの社説。

しかし朝日もぐらついていますね。君が代条例になれば今度は少数を尊重せよとなる。政治行政は多数を尊重する場。そして司法で少数を救う。これが統治機構のバランス。もちろん政治行政の場でも議論は尽くす。しかし議論をし尽くした場合になお決まらなければ、最後は多数決しかない。

そして多数で決めたことには、反対論者も従う。これが民主主義そのものだ。起立斉唱条例は府議会でも市議会でも成立した。特に市議会では維新の会だけでなく自民、公明も賛成に回り、市議会の3分の2を超える圧倒的多数で賛成となった。51%のギリギリの賛成ではない。

この多数決に従わなくて良いと言うなら、それは消費税論議でも同じだ。民主党の49%は従わなくてもよいはずだ。もちろん、教員と政治家は異なるが、消費税に反対する国民は多数に従わなくても良いことになる。議論を尽くした上で多数決で決める。そして反対論者もそれに従う。

これが民主主義の原理原則だ。もちろん個人は司法で救われる機会がある。日本の司法は付随的審査制。不起立教員が司法で争える機会を与えるためにも、きっちりと処分をしなければならない。

posted at 08:54:31 (3/16 橋下氏 Twilogより)

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