5/6 橋下氏Twilog 「僕は陰山さんや府教委と恨みつらみで対立したことはこれまでに一度もないと思っております」

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引用

RT @Kageyama_hideo: 市長、個人批判はやめてください。前委員長も、事務局にはずいぶん厳しく指導されていました。以前、彼女の私邸で遅くまで語り合い、 奮闘する教委を日本一と評価したのは何だったのか。RT @t_ishin: 前府教委委員長も、このような保護者の感覚を汲んでの実務的制度改革はされなかった。

RT @Kageyama_hideo: 私は、前委員長を尊敬しています。前委員長がダメなら、私も同じです。私は、選挙の洗礼を受けてはいない。あなたの依頼を受け、あなたの子どもに笑顔をという公約に共鳴し、教育委員になった。あなたの評価のないところで、私が留まる理由はない。私は、あなたのじゃまはしたくない。いつでも去ります

RT @Kageyama_hideo: 去るというのは、脅しでもいやみでもない。この三年半は私なりには有意義だったから。府の指導主事の学校支援はのべ千回に近く、指導主事の報告を聞いても指導力に成長を感じる。ICT整備も最下位からトップ近くまで来た。中学給食も管轄下ではほぼ全面実施のメドもついた。後は学力テストの結果だけ

RT @Kageyama_hideo: 私が嫌なのは、市長と対立してしまうこと。教育は世界観や人間観が出るだけに、とかく大人は対立してしまう。自分たちのやってきたことは、橋下氏の決断や教育委員会の結束がなければできなかった。しかし、最近話題になったサピオの原氏の記事を読み、終わったと思った。この侮辱に耐える力はない。

RT @Kageyama_hideo: 入試の評価方法の改革については、教育振興計画に盛り込む方向で考えたい。万が一、私が貫徹できないときは、申し訳ないが、松井知事のリードに頼ることになるのかもしれない。そうなることで、条例が生きることにもなる。

陰山委員長、我々の仕事と言うのは批判されてなんぼです。それが行政責任者です。そして一つの仕事が終わっても次の仕事をし続けるしかありません。評価がなければ士気が下がると言うのは組織の論理でトップの論理ではありません。

組織内部で評価することと、有権者の下で議論することは全く異なります。僕は知事時代、府教委の皆さんととことん議論した。そして一定の結果を出して下さった。府教委は日本一だとも口にしました。しかしそれは組織内部での話です。そのことで課題が何もなくなったというわけではありません。

有権者の感覚を感じるということは、それすなわち徹底して有権者からの批判を受けることです。批判を受けた上で、徹底した反論をする。もし原氏の批判がおかしいのなら徹底した反論をすべきです。

SAPIOの記事で陰山委員長は府の教育委員会への侮辱だと感じられた。では、君が代斉唱で口元チェックをしたということで徹底批判を受けた和泉高校の中原校長についてはどうお考えですか?

今の府教委は現行制度上、僕が任命している形になっています。ゆえに、僕は府教委を守る立場にもあることは十分承知しております。しかし、なれ合いになっては有権者のためになりません。

僕らが制定しようとした教育基本条例については府教委は徹底して反論され、最終形としてまとまった。それこそ首長言いなりの教委ではない証です。逆に教委に対しても批判すべきことは首長として批判する。しかも公で。これが健全な姿だと思います。

これまでの行政ではこういうやり取りは内部でやっていたのかもしれません。しかしせっかくツイッターで多くの人が見てくれるので、出来る限り公でやり取りをして、僕の悪い所はまた批判をしてもらう。僕らの仕事とはそういうものだと思っています。

元へ。SAPIOの記事で陰山委員長は侮辱と感じた。しかし和泉高校の中原校長はもっと直接的な侮辱を受けたのです。中原校長は前委員長や陰山委員らの職務命令を一番忠実に守った。斉唱の確認方法も府教委に確認して了解をもらっている。

卒業式で君が代を起立斉唱せよ全教員に命じ、全校長にしっかりと教員に起立斉唱させよと命じたのは前委員長や陰山さん達なのですよ!そして式を乱さない形でわずかな口元チェックをやった中原校長は凄まじいバッシングを受けています。SAPIOの記事で府教委が受けた批判どころではありません。

中原校長は自力で反論しています。本来なら府教委が徹底して事実説明をすべきなのではないでしょうか?彼は、大阪維新の会の教育基本条例に賛成する立場で前委員長や府教委と相対する形になった。でも府教委の管理に入っている一校長ですよ。

そのような状況を見て、中原校長と面識のある原氏が、中原校長擁護の立場で記事を書いた。そしてその記事で府教委の委員長である陰山さんは侮辱に耐えられないと言われる。

君が代起立斉唱問題については中原校長だけが批判を受けています。そして前委員長は自ら起立斉唱の職務命令を出し、府教委は中原校長の問い合わせに了としたのに、メディアを通じて大々的に中原校長の確認方法を批判した。これほどの侮辱はないと思いますよ。

いまだに至るところから批判を受けているようですが中原校長は自力で反論しています。普通の校長だったらつぶれているでしょうし、府教委ももっと守ったのではないでしょうか?組織の一員、もっと言えば府教委の部下でもある一校長にここまで負担させるでしょうか?

彼は民間人公募校長であるし教育改革に並々ならぬ闘志を持ち素晴らしい能力を持っていますので過剰保護は却ってマイナスと思い、事態を見守っていました。SAPIOの記事は中原校長へのささやかなエール記事です。

僕は陰山さんやその他の委員に、そして前委員長に感謝しています。大阪の教育行政について本当にご尽力頂いた。しかし有権者の代表として感じるところは言い続けなければなりません。これは対立でありません。

そして僕らのような立場は、自分でこの仕事をしたから評価をしてくれ、批判をされたらやる気がなくなるという主張はできません。知事時代もよく職員から、やる気がなくなる、士気が下がるとを言われましたが、それは組織の一員の弁。トップに許されない弁です。

教育行政のトップは教育委員会です。そしてなぜ大阪だけが内申書が相対評価で通っていたのか。陰山さんは絶対評価が持論です。教育委員会が変えてくれなければ首長は如何ともし難いのが今の教育委員会制度です。

この問題を公にする意味は大きいのです。なぜ教育に政治が一定関与しなければならないのか。実務や現実を知らない自称インテリは教育に政治が関与することはまかりならん、それしか言いません。陰山さんは内申書の絶対評価が持論。教育者で絶対評価を否定する人はいないでしょう。

ところが府教委事務局は相対評価の立場。そもそもこの問題点を指摘したのは知事時代の僕です。教育委員会は問題点の認識もありませんでした。そして陰山さんは自らのツイッターで述べられています。最後は教育振興計画で解決しようと思うと。

府教委事務局と話しても解決できない場合には教育振興計画を利用する。そして今の大阪府の制度では教育振興計画案は府教委と協議をしても結着しない場合、最後は知事決定し、議会の同意を得て可決する仕組みになりました。教育委員会でまとめることが出来なくても政治決着できる。

この内申書の問題は、教育委員と教委事務局に見解の違いがあるときにどうなるのか、国民の皆さんにしっかりと見てもらう事例だと思います。全国の教委ではこんな議論すら行われていないのが現状でしょう。教育委員は全て教委事務局案を追認するか少し意見を述べるだけ。

確かに選挙の洗礼を浴びていない人に、僕と同じだけの批判に耐えて下さいと言うのは酷だと思います。しかし批判を浴びなければ有権者の感覚を無視続けることが可能で、一定の狭い領域・世界での価値観だけで物事を進めることができます。自分たちの考えが絶対だと錯覚してしまう。

教育行政の価値観と保護者の価値観に乖離が生じてしまっている主な原因だと思います。だから教育行政の最終責任者と決定者は選挙の洗礼を浴びる者がなるべきあり、教育委員は実務者であるべきと言うのが僕の持論であり、大阪維新の会の主張です。

行政組織は優秀な組織でしょうが、そこに全ての決定権と責任を任せると、有権者の感覚とかけ離れた方向に行く可能性がある。組織は組織に都合の良い判断に流れるだろし、目の前の困難に諦めて部分最適を図り、全体最適を放棄することもある。政治が全て正しいわけではないが行政組織の上に政治を置いた

行政組織は批判がなければ有権者と乖離する。しかし教育行政において批判を真正面から受けるのはどこでしょうか?今の制度上、教育委員会しかありません。政治が批判を受けること(責任)を引き受けるべきであり、そうであれば最終決定権も政治が受けるべきでしょう。

教委のような専門家は、政治が批判を受けながら責任を持って決めた大きな方針に基いて実務者として実際の教育行政を仕切る役割と、首長の暴走を止める一定の役割を担うべき。世間の批判、バッシングを一身に浴びるのは荷が重いし酷だと思います。

そうであれば最終決定権を教委が持つことも違うと言うのが僕の持論です。教育基本条例で政治と行政の違いをとことん議論し、感じてもらったかと思います。しかし今の制度では教委が批判を受ける対象です。

前委員長や府教委の皆さんのこれまでのご尽力には本当に感謝申し上げます。しかし、前委員長が和泉高校の中原校長を批判した点、そしてその件に関して府教委のノーコメントの姿勢、さらに陰山委員長が内申書は絶対評価というのが持論なのに、それが反映されない教委事務局の在り方は違うと思います。

僕は陰山さんや府教委と恨みつらみで対立したことはこれまでに一度もないと思っております。お互い教育論の持論で口から泡を飛ばして激論したことは数限りなくありますが。教育基本条例の時がクライマックスでしょう。そういう関係で良いのではないでしょうか。

陰山さんは、僕の前委員長批判に怒っておられるようですが、これは教委皆さんに対する批判でもありますし、市教委も含めて全国の教委への批判です。前委員長は色々な点で教委を指導していたのでしょう。それは確かです。僕が批判したのは「保護者の意を汲んだ」制度改正をしたかどうかの点です。

今の教委制度で保護者の意を汲む仕組みはあるでしょうか?府教委では僕と一緒にタウンミーティングをやりましたが、そんなのは異例だと思います。しかし回数は2回。市教委ではタウンミーティングは皆無です。

教育の実務者としての教委事務局への指導は様々ことをやって頂いたのでしょう。しかし僕と教委で意見がぶつかるのは、保護者感覚かこれまでの行政慣行・行政の論理かのところです。

学力調査テストでの市町村別結果公表が好例でした。学力向上や校長のマネジメント強化においては、陰山委員や他の委員の皆さんと価値が合ったので対策は委員に任せ、予算を僕が付けるということで輪が回って行きました。

しかしこれも陰山委員らが入った新しい教育委員体制になってから加速していったのです。それも保護者の意を汲んで、僕が大号令をかけ、新教育委員会の体制を組んだからです。

公立中学校の給食導入、市教委で進めようとしている学校選択制、卒業式入学式における教員の君が代起立斉唱、そして今問題提起した内申書の絶対評価への変更などは、全て僕の政治感覚で問題提起しました。

教育委員会から問題提起されたものではありません。僕らは多くの有権者と接します。タウンミーティングは数限りなく行っている。そして至る所で批判を受ける。このような中から有権者の意を汲んで行くのです。今の教育委員会制度にそのような仕組みがあるでしょうか?

前委員長が専門家として教委事務局に様々な指導を行って下さったことは感謝しています。しかし内申書問題、教育基本条例で問題提起した教員の甘い杜撰な評価問題は有権者の声をに触れているからこそ問題提起できるのです。今の教委制度では有権者の声を汲む仕組み、取り組みがないことを批判しました。

教育行政の9割以上は教委事務局、教員はじめ現場がうまくやってくれています。しかし保護者感覚とずれているところもある。そこを指摘し正していくのが政治の本来的な役割です。

posted at 09:18:28

(橋下氏 twilogより)

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