(引用)
曽野綾子氏。「人を変えられると言う思い込み」という産経新聞での精一杯のひねくれコラム。教育の現場では、その思い込みがないとやってられない。僕は教育者でないので人を変える役割ではない。しかし教育者にはその思い込みを持ってもらわなきゃ困る。桜宮高校においても、あの現場で一人の生徒が死を選んだ。あの現場にいなければ死を選ばなかった。人が変わってしまったのだ。今回の事件におけるこの厳然たる根本事実さえも、曽野氏のひねくれ性格によると消失してしまう。曽野綾子氏よ、人を変えられると言う思い込みがない者は教育から去れ。
24日朝日新聞社説(該当記事リンク)。「入試の折衷案が分かりにくい」結局この批判か。朝日は他社のようなバカな意見を出さなかったからどんな意見が出るか期待していたが、結局これ。批判をする原則は従前との相対比較。今回の案が完璧な案だとは思わない。しかし、入試中止をやらなかったらどうなるのかと比較すべき
今、朝日、毎日がやっと事件の経緯、学校の実態を報じ始めた。在校生や保護者は、自分たちの学校の問題点をまだ認識していない。受験生も。これから朝日社説のように議論してもらう。こんな状況で、体育科の入試を継続したら、それこそ何が何だかさっぱり分からない。
これまでの体育科と同じなのか、クラブ活動も同じなのか、改革はどうするのか、何も分からないまま入試が行われることになる。それよりも、今回の折衷案の方がまだましだ。クラブ顧問の総入れ替えのメッセージを早急に出すことも重要だ。受験生は桜宮のクラブ活動に憧れている者が多い。
これまでの桜宮高校から変わりますよ、あなたが変えてもらわないといけないのですよ、と受験生やその保護者に伝えないと、これまでと同じ意識で入学してしまったらそれこそ受験生の不幸だ。そしてその作業をやるのに1週間しか時間がない。
新聞社は批判だけするが、じゃあどうすべきと言う代替案を一切出さない。残り1週間しかない状況で、そして朝日や毎日が今報道している事実を把握していたとして、どのような判断・行動をすべきなのか。完璧な案はないだろうが、現実の政治行政では判断しなければならない。
最悪なのは、何も考えずに、混乱回避のためだけにとりあえず入試をやっておきましょうという判断・態度。入試中止をするだけで解決しないのは分かっている。しかし入試を継続すればもっと解決しない。解決策は、教員、外部識者、生徒、保護者による学校の見つめ直ししかない。その環境を作る。
(橋下氏 twilogより)