5/6 橋下氏Twilog part.2「もらえない評価をもらって高校進学したから。でも今考えると、こんな不公平はない。」

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引用

なぜ内申書の絶対評価について陰山府教委委員長に意見を述べてるのかと言うと、僕は大阪市長で大阪市教育委員会と議論できますが、内申書の付け方については府教委が決めるからなんです。大阪府内43市町村の内申書は全国で唯一相対評価で、これは府教委の取り決めです。

絶対評価は一定の基準を設けてそれを達成すれば人数に関係なくその評価を与えます。5が20人いても良いのです。相対評価は人数の割合だけで評価します。3%までが5というように。評価方法に完璧なものはありません。どちらが良いのか比較優位です。

絶対評価のデメリットは基準が不明確というのが挙げられます。むちゃくちゃ緩い基準の学校では全員が5。厳しい学校は1ばっかりとか。ちょっと極端な例ですが。しかしこれは各学校が基準をすり合わせていけば解決できます。大阪以外は皆この基準のすり合わせに知恵を絞っています。

ところが相対評価は各学校のレベルは一切考慮せず、当該学校内での順位だけで評価をします。その子がどのようなレベルなのかを客観的に評価せずに単純な順位によって評価。

府教委は相対評価の方が基準が明確だと認識しています。しかしこれは大間違い。行政的な事務の観点からすると各学校内での順位に基く評価が楽です。上から3%が5。8%が4など。これは完全に事務の論理。教育の論理ではありません。

学校毎に様々事情があるのでA校の8%とB校の8%は全く異なる。A校では4だったがB校では5になることもあり、この点の調整は相対評価では全くなされていない。

府教委は基準が明確だから相対評価だと言うが、その明確性は評価者にとって都合が良いだけ。学校毎の人数の割合で評価すると、なぜその評価にしたのか説明がしやすい。「お宅のお子さんはうちの学校では上から8%以内です。」こんな論理で内申書を付けているのが大阪である。

子どもたち、保護者側からすると学校間での調整がなされていないことに納得しないだろう。ただ僕はこの制度で救われた。他の学校に通っていたらもらえない評価をもらって高校進学したから。でも今考えると、こんな不公平はない。

学校間でのすり合わせが必要となり、何が5で何が4で何が3なのかきっちりと定めなければならない絶対評価が内申書の王道である。ところが大阪府教委は事務効率の観点から相対評価を採り続ける。どの教育者も絶対評価を唱えるのに府教育事務局の視点で相対評価を堅持。

お前が知事時代にやればよかったじゃないか!とのご意見も多く頂きましたが、改革には順番がある。陰山委員と学力向上策などに優先して取り組んだ。最後の年は教育基本条例。それと僕が受験を迎える子どもとを抱えていたので、私的な感情での主張と誤解される可能性が大きいと懸念した。

お前は自分の子どものために言っているんだろう!と思われたらそれこそ理性的な議論にならないから。子どもも高校に入ったし、知事も辞めたのでこれから本格的にこの議論に関われます。大阪の内申書は間違っている。相対評価の理由は極めて事務的。教育的ではない。

内申書の相対評価、絶対評価にはそれぞれメリットデメリットがあるが、府教委は相対評価のデメリットを過小評価している。相対評価のデメリットは致命的である。絶対評価のデメリットは技術的に乗り越えられる。にもかかわらず府教委が相対評価を維持するのは行政事務的な発想。

陰山委員長も大阪の内申書が相対評価であることに信じられないと驚かれていた。元杉並区和田中校長の藤原氏も内申書は絶対評価でデメリットは乗り越えられると。その他の委員はあまり事の重大性を認識せず。府教委事務局は相対評価を主張。これからの府教委の議論は注目です。

posted at 18:46:02

(橋下氏 twilogより)

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