(橋下徹氏twilogより引用)
小泉氏「このままなら自民党必要ない」 政策決定巡り:朝日新聞デジタル
この言い方ならボケとは言えない。維新の会の中堅若手も執行部にしっかりとモノを申せばいい。ただ安倍さんは小泉氏のこども保険の提案を半分(企業拠出金の増額)採用した。自分の提案を採用してもらったのに党内の議論が足りないと文句を言うのは、ちょっと優等生過ぎる主張
自民党内は先輩後輩の関係が厳しいし、同僚同士でも足の引っ張り合いが激しい。これは政治家を鍛えるための良い意味での権力闘争環境。小泉氏がそれを気にしたのなら「自分の提案がいきなり採用されると党内で反感を買うので、しっかりと党内議論を踏んで頂けるとありがたいです」という主張にすべき
「正論」12月号
橋下徹「〝大博奕打ち〟小池百合子の失敗」
P.S.
月刊正論12月号は、橋下さんだけでなく吉村市長も!
今月号の「正論」に寄稿しました。 pic.twitter.com/2EBhzLi1gJ
— 吉村洋文(大阪市長) (@hiroyoshimura) 2017年11月1日
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コメント
「星占いで政策を決める」希望の党があったとして
「お前の案が採用されたんだから星占いに文句を言うな」
って話になるのか?
橋下さんて「プロセスや手続き」に関していろいろ言っていたけど、
何も理解していなかったんだね
↑
どこの部分がそう思える題材なのかを、橋下さんのどこの部分の内容でなのかをきちんと題材を指して、ここのここがプロセスを全く考えていない、もしくは考える能力がこの人には無いと、ここがこうでないとだめなのにそれができていないから、だから橋下さんにはそういう能力が無いと、そうやって相手を判断や避難をするときにはこうだからここがおかしいと起きた事象部分のその中身を例に出してきちんと責めないとねえ。
それでもって指摘していかないとねえ。
きちんと書かないとねえ。
これだけではよくわからない。
こういう言い方での物言いで言うと、形で言うと、つまりは橋下さんに対してよく思っていない連中がよくやってくる印象操作として、そういうレッテルを君らは張られちゃうがそれでもいいの?
橋下さんの、今回も含めて
【どこのどういう部分がそういうようにどうおかしくて、それに該当するのは事例で、中身で、何処のどういう部分かを、皆さんに分かるように書いてきてみてよ。
でないとあなたの書いてきているものだけで見てしまうと、あなた自身が日ごろからただ橋下さんがいやだからのその程度の、いやだからとりあえず書いておこうレベルの、こいつをさげすんでやろうとの、そういう嫌がらせだけに見えてしまう。
中身を言わずにただ空気感での思わせぶりでの陥れの印象操作だけの批判をしてるだけと思われちゃうと思うが。
ここはきちんとどういう部分でおかしいのかを具体的に明快に解説をしていただきたいものだが。
批判を出すなら、
理屈で具体的中身でどういうことからそのことの部分でおかしいのかまで書いてきてよ。
ネット上もだが、こういう形で空気間での批判内容を流すものが非常に多い。
まさに印象操作での、橋下さん、日本維新の会の政策、政治手法について潰しに来ているんだが。
そう思えてしまう書き方になっているが違う?
違うならきちんと解説して中身で書いてきてよ。
テレビでも新聞でも、
とにかく内容には入らずに、ただ誰かが批判していただとか、事象を言わずにぼんやりとした言葉での【やり方がおかしい】だとか、おかしいだとかは言って、それを言ってきたり、書いてくるが、そいつらに、ではどこのどういう部分がおかしいのかを問い詰めてみたら、ここまで誰一人橋下さんに反論で、
【国民( ← 言っておくが本当の日本民族の日本人という意味)が、本当にそらそうだという内容を、橋下さんに向けて君はおかしいとやれた人物をここまで私は見たことがない。】
つまりは、橋下さんがここまでやってきたことというのは、
実はその時その時の、タイミングでいま一番最善の方法は何か、一体何ができるのかの究極を常に求めて、政治家ができる最善の考えられる施策、手段、政治家ができる一番の最善策を彼はその時点ごとで選択してきた。
彼の能力の限りを使って最善の策をやってきた。
それについてここがおかしいという意見はこれは真摯に橋下さんはきちんと受けてそのうえでではその時に他の方法でもっと最善策はあったのかを言ってくれと聞いているがでもそういう時に誰も答えられていないのがここまでの事実である。
;慰安婦の日韓間の解釈誤問題しかり、
;桜ノ宮生徒自殺事件での外部から顧問を派遣する施策、
;維新の会分党問題、
;労働組合に課せた縛り、
;職員基本条例
;議員定数削減
;議員報酬及び首長報酬削減
;公私高校授業料無償化
;西成区特区構想トップダウンによる方式採用
;高齢者対象市営地下鉄バス使用完全無料パス発行変更
これらすべてが、市民連合と称する日本民族でもないいかがわしき連中が旗を立てて違法移民団体を筆頭にこれを阻止しようとやってきたが橋下さんは断固これを推進する決断をやった。
自民党から共産党までが猛烈に反対をした。
こいつら自民党も民主党も共産党も公明党も日頃言ってきているようなこいつら皆が全く違う考えでの全く違う政治集団などではなくて、化けの皮を剥いでみたら実は中身はすべて同じ既得権のただ金が欲しいというだけの集まりの、ただ党名が違うだけで実はすべてが中身は同じムジナの集団だったということがバレた。
★実は反対政党同士ではなくて、本気で改革をやってみたらこいつら自民党でも共産党でももう全く同じ集団だったことがそのままバレた。
実は同じムジナの同じ意志を持つ政党同士だと化けの皮がはがれた瞬間だった。
もうモーレツに反対運動活動が行われたが、中身を考えると現状これ以上の政治的決断は探してもなかなかその時点でできることと言えば実行という部分についてこれ以外の政治決断はむつかしい。
つまりはこの政治決断は正論だったということになる。
他にいい方法があればいいが何も方法を言わずにこのままに白の一点張り。
こんなのは政治家でもなんでもない。
ただの利権確保の集団としか思えない政治家がやる行動ではない。
政治家は対論を出してこっちの方がいいと提示してそれができて初めて政治家である。
それが奴らにはできずにただ今のままでいいの一点張り。
腐ったクズばかり。
反論してくる連中にそれならあの時他にどういう方法があったのかを問いかけたら、自民党も共産党もただ何もするなという方法しか提示してきていない。
橋下さんがやってきていたことでもしもこれはダメだというならそれに変わる最高の方法をきちんと提示してそこで橋下さんにやってることはおかしいというべきである。
ただ空気で印象操作で潰そうと誤解をさせて湖kじゅみんから信用を失わせようとの印象操作でしか思えない方法。
橋下さんに対して、文句があるなら法的にしっかりした対案を出せ!って。
出せて来ていないので、だれもが何も言えないという状況がここ10年ほど続いてきている。橋下さんに対して、言いたいなら、文句があるなら、対抗するだけの、国民もそらそうだと思えるものを、そして彼、橋下さんもそらそうだと納得できる対案を出してみろよ!って。
私はいつもそう思っている。
そのことが本当の意味での正論になっているので、周りでいつまでも続くこの薄汚くやってくる印象操作でしか橋下さんを中傷できないレベルでやっているということ。
空気部分だけを書いてきて批判したりしてるが、ではどこがおかしいのかを、中身でどこのどういう部分がおかしいのかを、これを国民に誰にでもわかるように、説明して書いてきてよ。
問い詰められたら日本のテレビも新聞もコメンテーターらも誰一人現状反論で説明ができない連中ばかり。
君がそれができるなら、ここに明確な点を指摘して書いてきてみてよ。
ここにも多くの橋下さんのやってきたことが大丈夫だと思う人と、いやそれは違うといういろいろな見解を持つ人が多く見ていることだろう。
その人らのためにもぜひ。
だから中途半端にしないで、きちんと書いてきて君の言ってることの内容がいかにまともかを、それを、日本の国民(日本民族の日本国民に対して)に納得させてみてよ。
どこのどういう部分が君の言うように橋下さんはおかしいのか、
橋下さんのやってきてること、言ってきてることの、どこのどういう部分がおかしいのかを。空気感での印象ではなくてどこの誰にでも説明ができる内容で指摘して見てよ。
加えてもしも行けるなら実務的内容でも加えてもらってもいいから。
★ネット上に書くということはそういうことを覚悟して書かないといけない。
丸山はそこをまだ子供レベルでわかっていなかったので、
【もうお前は国民から選出された国民の代理人なんだぞ!国会議員なんだぞ!ものは考えて発言しろ!いい加減にしろ!】と、
橋下さんが子供に注意した程度の内容。
テレビ新聞はもうここは橋本さん日本維新の会を潰すチャンスだと内紛でもめているいい加減な政党だとの印象操作でのチャンスを得たとばかりやってきている。
読売新聞朝日新聞はあの住民投票時の橋下さんの街頭演説のあの会場の街頭で
【維新なんかつぶしてやるからな!】と叫んだ読売記者も居てたし、
【朝日新聞の記者だ、もっと前に行かせろ!と警備の者にすごんだ朝日記者も居てた】
こんな違法移民が新聞テレビ局にも屯していてるこの日本で、それにもつぶされずに敢然と理論で、それも正論で立ち向かって闘ってきて、強いリーダーシップを発揮して難関な問題解決のための政治決断をやり、これだけのことをやってきた政治家は、私は過去にも見たこともないと私は思っているが。
★ここで終わらせずに明確に国民(日本民族の)の、中学生でもわかるように書いてきてよ。
余談だが、
小泉進次郎の、街頭での演説を見ていると彼の家庭の家族間の風景が大体見えてくる。
一番特徴的なところは、この家族は親も息子もそうだが、父親の純一郎元総理と、この息子はまったく同じ文字数で喋っている。
一言一言の発している文字数が、私に言わせれば、異常に少ない。
この男はおそらく家では一言一言で発する文字数で数えたら外で喋ってるよりももっと少ない文字数で区切ってしゃべってると思える。
ほとんどが一言一言に20文字を超えない文字数で喋るしゃべり方になっている。
こういう形が家庭で起きていると、まあ学校でも職場でもこれは同じなんだが、いつの間にか家族同士であってもいつも皆がばらばらで行動をしたり、互いのことで家族であったとしてもなぜかお互いが遠慮をしたり、よそよそしかったり、隙間風がいつも通ってるような間柄になりやすく、反抗が普通よりもきつくなったり、荒れて見たり、互いで嫌悪感を途中から抱きだしてもめたり、本当の意味での親子、兄弟、同僚、教師と生徒とか、いわゆるよく言われる家族という形での互いの心の中には互いがどこか近寄れずに中に入れない世界で互いが過ごしていくという場合が多くなる。
こういう環境で子供が育つと、
最悪は、いじめや暴行などでの、学校でこの場合にはほかの生徒を無残に平気で痛めつけたり、加害者側になってみたりしやすくなる。
常にイラついて、ちょっとしたことにすぐに切れたり、喧嘩をしやすい環境に育ててしまう。
日本の昔からの有名人での俳句の達人は、ほぼ気短なものが多いことにも例題はある。
ほとんどの者がどこかで誰かと喧嘩ばかりをして、最後はとんでもない状況で死んでいってたりしている。歴代の有名な音楽の歌詞を作る作詞家も、その例が多発している。
言葉の、文字数には内容よりももっと大きな人生訓の意味がある。
穏やかな人生を家庭で過ごしていくにはこれの一言一言は必ず20文字以上で話しかけることだ。
穏やかな家庭になるだろう。
人間が誰かに、自分以外に発する文字の一言の区切りでの文字数は、多ければ多いほどいさかいやもめ事やイラついたり興奮したり頭を荒れさせない効果がある。
小泉家を見てると親も息子も常にイラついていることがあるように見える。
その反面何かの拍子に小躍りして喜ぶという部分もうかがえる。
典型的この言葉の一言の文字数の少なさの、負の現象に見える。
家庭でも、仕事の職場でも、学校でも、子供たちにも、言葉で一言を最低でも30文字ぐらいを切らずに連ねての構成させての文字数で、これを連ねて、これを切らずの文字数で、この文字数での一言一言を、必ず心がけて相手に声をかけてやる、話しかけてやる。
そうするといつの間にか相手が自分に返してくる一言一言の文字数が、必ず20文字以上の文字を切らずで連ねて一言を喋り返してくれるようになる。
こうなれば家族の間で、学校でも、職場でも、あらゆる場でもめることがほぼなくなる。
もめてるシーンを見てたらすぐにわかるが、そういう場合を見ると必ずと言っていいほどに互いが発している一言の文字数は、どう見ても10文字ほどの一言一言の互いでの言い合い、やり合いの応酬になっている。
これでは互いが興奮して止まらずにもめて当たり前。
まあ騙されたと思って今日からでも自分の奥さんや子供たちに向けて、また、職場で同僚や部下や上司にも、学校で教師は生徒に、生徒は同級生に、子供同士の兄弟は兄弟間で、これを心がけてやってると、日常的に子供はほぼイラついたり、怒って興奮したり、親や周りに荒っぽく反抗した態度で突っかかったり、親を信用せずに無視したりなど等を、これをほぼやらなくなる。
言葉できちんと意味を作ってしゃべり返してくれるようになる。
一言の言葉の文字数が少ないと、言葉で発した意味よりも、先に感情を脳でとらえてしまう。単語で喋ってる内容をとらえてしまうのでついつい感情に走りやすくなる。
しゃべり言葉を文でとらえられるように伝えられると、つまり20文字以上の一言になると、受け手側はつまりは単語で伝達ではなくて文として、意味として伝えてると感じさせて、そうなると怒りだとかの感情は、受けた瞬間には、反応ですぐに脳で出ずに、後回しになる。
それが感情の抑止させる効果になる。
まあ小泉さんの家族のことでこんなことを書いたが、
あの進次郎議員のあの喋り方は、父親も同じなので、あれは非常に家庭という部分では危険信号の予感がする。
身内になると、多分身内同士での感情がぶつかりやすい文字数での一言一言になっている。あれは多分危ない現象だ。
まあ、いい意味でとれば、互いを尊重してるのかもとか、ほっといても何も言葉できちんと会話などせずとも、そういう育て方をしていなくても息子がすべてしゃべることができるというならいいが、それならいいが。
小泉さんにすれば、息子は十分にこれは自立してるからいいというかもしれない。
私はちょっとそこだけが心配だ。
あれだけ人気があるんだから、希望とすれば仲のいい穏やかの結婚生活を作ってもらいたいが。
でもやっぱり余分だが、
あの、今やっている言葉の、一言一言の発している短い文字数は、あの出し方は、もう10文字プラスで途切らせずにしゃべる訓練をした方がいい。
家庭円満にも、政治家同士も円満に行けるだろう。
私などは子供や家族といつでも会話が興奮してけんかになったりとかしないように、普通にできる方がいいので、一言一言は必ず単語の伝え方ではなくて、文になるほどの文字数を連ねてしかしゃべりかけないようにしている。
必ずそれで通している。
★だから誰とは言わないが私の大好きな或る政治家に送っていた携帯から送るメールなど、もうものすごく長文でいつも送っていた。(迷惑だったかも、、、笑)
一言一言を20文字以下でしかしゃべりかけられないままに大人にまで育ってしまったなら、これを幼ない間の子供時期から親が子供に向けてこれをやってしまうと、
家族、家庭の場合には、家族間の会話にしても対外的に語る文言の一言の縛りの連ねた文字数が非常に少ない文字数で発する。
これになると家庭、兄弟、親子、家族間のふつうどこにでもある ”なつく”という家族間での触れ合いが、この普通の親密度というか、家族間の情の譲り合いのような触れ合う関係性が、非常に希薄になりやすくなる。
大人になればなるほどにお互いが常にどこか隙間風が吹くような家族間の間柄の形になりやすい。ことあるごとにもめてみたりしやすくなる。
いかにも親子が睦まじく微笑み合いじゃれてるとか、兄弟がいつもくっついて遊んでるだとか、そういう形がなかなか密になりにくい状態の家庭や学校職場を作ってしまう。
社会生活でも常にもめたり喧嘩をしやすくなる。
丸山穂高を見てるとそれに近い。
作詞という意味で言うと、
あの吉田拓郎と
わずかだが数か月同じ場所(仕事)に私は居てたことがある。
私が20代、彼が十代のころに。
高校生時代はモンキースタイルのヘヤースタイルだったそうだが、その時にはそれをバッサリ落としての橋幸夫バリの当時の潮来刈りのスタイルで有った。
わたしと同じ場所に一時期いてたことがある彼も、10代のころ、もう狂犬張りの、とてつもない危ない男であった。
何にでもかみつく、何が気に入らないのか、自分の思うとおりいかないからイラついているのか、もうとにかくしょっちゅう危なっかしい危険な男だった。
ふつうの十代の、自分らが辿ってきていた10代の世界と、そこまでの人生などとは、彼の現状は普通の少年というレベルでは私の中では範囲になくて考えられない、彼は異常に到底違っていた。
今この歳になって、テレビでたまに見てるが、もういい年を迎え彼は大きな病気もして額が少し淋しく薄くなって眼鏡をかけて、人のよさそうににこにこした姿が画面に映るが、私に言わせれば当時の感触としてこの男が後には、こんな姿を見せる男になるなど全く想像すら当時はできない姿であった。
彼は仕事終わりに、寝る直前に、布団の中で毎日毎日朝方まで寝ないでもう焦ってるような勢いで自分が持つノートに、紙が黒くなるほどびっしりともう無数のずっと自分が作詞した作詞の詩を箇条書きにして書きなぐるように、嵐のような勢いで無数の歌詞を書き綴っていた。
こののちに、或る日職場をクビになって、彼は東京に行った。
彼が上京していった後に、部屋に、日ごろ作詞の詩を書いていたその一枚をちぎって線引きの引いたあの普通のノート一枚に、私宛の書かれた置手紙らしきものが置いてあって、
そこには、
〇〇さんが言ってくれたことは忘れません、これからの自分に役立てます、頑張って音楽の道を目指します、と書かれてあった。
そこからわずか2年後くらいに、彼が音楽のフォークソングで、すい星のようにメディアに現れた。
【結婚しようよ♪】ほかで。
時はベトナム戦争の最中。
学生運動の真っただ中の、革マル組織の角材での暴れ放題の時代。
鉄建大阪地下鉄工事天六ガス大爆発事故、
大阪万博開催の直前ごろの時代。
あれだけ短い書きなぐる詩を大量に書く者は、やっぱりとてつもないほどに気短で常に精神的にイラつき、感性が異常な状況に追い込まれての研ぎ澄まされ狂犬のような眼を持てないとああいう業界での能力は持てないんだと、一つの凝縮した詩を書くには何かちょっと異様さを感じたことがある。
常にあたりかまわず突っかかる性格での、私にすれば異常としか当時思えないんだが、あれだけ狂犬のような鋭い?感情を持っていないと、音楽の作詞の世界というのは一流にはなれなくて感性が自分のものに取り込めなくて務まらないんだなあと。
何か不思議な感覚というか、呆れるというか、私は一人の人間を見る時、そのことは当時そこに非常に興味を持ったことを思いだす。
当時の自分の中で、人間がなんでそこまで狂犬じみた行動ができるのかが、そんなになるのかを、自分にはそういうことは考えられなかったからだ。
その男が脚光を浴びる世界で輝きだした。
そのずれとが、私の中では解決処理が脳でできなかった。
★文字で喋るときの一言の区切ったところまでの連なった文字数というのは、実は非常に大きな意味があるということを皆さんも自分の家族、職場、学校いろいろな場面でいろいろな人物を表で浮かべて見て思い起こして振り返ってみてください。
自分の上司は常に怒鳴って怒っているというなら、
その上司は日ごろ穏やかな時にもやっぱり喋ってる一言の文字数がいくつになってるのかを、
常に一言一言を出すときに、20文字以下の短い文字数で一言区切りを常にしゃべってはいないかどうかを。
教師らも学校で同様に皆さんで子供さんの教師を見つめてみてください。
塾も同じく。
部活も同じく。
学校でいじめの加害者になっていた連中が、当時自分が通学時に、奴らが学校で話していた文言の一言一言は、一体当時文字数でどのくらいの数で一言を作っての数で連ねて喋っていたのかを。
自分の両親にも置き換えて、自分の親は一体どれくらいの文字数で一言一言を連ねて自分に話しかけてくれていたかを。
そこがどうだったかを。
そして、そこで育ってきた自分が今どういう感情の性格で育っているかを。
自分の子供に今どうやってるのかも。
それと現在の自分がどう育ってきたかを重ね合わせてみてください。