引用
池田氏は政策実現プロセスの認識・実体験がない。ゆえに論理だけで物事が解決すると信じ込んでいる。大阪都構想=大都市制度の在り方=統治機構の変革は、論理だけでは何も動かない。道州制も同じ。評論だけでは何も変わらない。3年前からの大阪維新の会の政治・民主的プロセスがあって今がある。
原発問題に関しては、昨年の東日本大震災後から検討し、知事時代に一定の方針を立てた。古賀氏や現在のエネルギー戦略会議を立ち上げる半年以上前に。その時は関西広域連合の枠組みで、電力会社と自治体が対話できる仕組みをやっと作ることができた。株主提案をする方針を決めたのも知事時代。
市長に就任してから古賀氏に特別顧問就任の依頼をし、現在のエネルギー戦略会議に至る。池田氏は燃料調達コストのみの問題を取り上げ、安全性の議論を完全にすっ飛ばしている。安全性について絶対的な安全を求めるものではなくても、政権が宣言をした安全性に問題があることは徐々に明らかになっている
多くの技術者も、今回の暫定基準、安全性は福島第一の事故原因となった津波対策レベルであることを認めている。フィルター付きベントは必須の対策だと明言する技術者も多い。こういうことには一切触れず、燃料調達コストがかかるからとにかく再稼働だ!というのは守銭奴であって政治ではない。
もし経済性だけを重視し手順・基準全てを無視して良いというのであれば原発問題に限らずありとあらゆる基準は不要になる。池田氏は原発問題だけに焦点を当てて燃料調達コストだけを取り上げるが、食品・保育・医療・薬品ありとあらゆる規制において莫大なコストがかかっている。
全ての規制の裏側にはコストがかかっているのである。そして池田氏も電力供給体制の改革の必要性は認識しているようだが、ではそれを実現するためにはどうすれば良いか?への回答はない。これが政策実現プロセスであり、体制変更にはとてつもない政治エネルギーが必要となる。論理だけで体制変更は不可
池田氏の主張で一点のみ合理性があるとすれば、民主党政権がきっちりと手続きについて官僚に知恵を絞らせなかったこと。現在の再稼働は、定期検査後の再稼働となっている。ゆえにプラスアルファの条件を付けることは原則不可となる。法律上は安全委員会の安全コメントも不要。
ただ、これは官僚に知恵を絞ってもらえば何とでもなる。こういうことにかけては官僚は天才的だ。福島の事故が起こりそれ以後の原発再稼動は通常の定期検査後の再稼働の手続きでは無理だと判断したら、手続きを作るよう指示すればバシッと案を持ってくるはず。反対するメンバーは交代させればよい。
まずは法律だろう。だから本来は昨年の段階で再稼働についての手続きを法律化する必要があった。この中で新安全基準の議論も出たはずだ。そして法律家が間に合わなければ、それはそれで手続きを考えるのが官僚の能力だ。ここを全てすっ飛ばしてしまった。
しかし今、池田氏のように定期検査後の再稼働の手続きで良い、プラスアルファの条件は不要だと言う論は、論理に振り回され結論の妥当性を全く無視する机上の空論だ。これは政治ではない。法の支配は、成文法による支配ではない。成文法になくてもあるべき姿の法、すなわち自然法による支配だ。
福島の事故後、これまでの定期検査後の再稼働の手続きでの再稼動は許されない。この結論の妥当性を裏付けるために理論構築するのが官僚の腕だ。本当は法律が必要だったが・・・池田氏は法の支配を持ち出すが、法の支配は目的ではない。手段だ。
法の支配と言う論理・概念に振り回されて市民の安心・安全な生活が疎かになるようでは本末転倒。そして守るべき市民・国民の生活、暮らしは、普通・平穏であることが第一。普通・平穏を守ることがどれだけ大変な労力、汗水をかくことが必要か。
安心・平穏・普通の市民の暮らしと言うものは論理だけで割り切れるものではない。カネの話だけではない。普通に余分なことを気にすることなく生活できるかどうかだ。原発問題について市民・国民は不安を抱いている。それは基準がはっきりしていないからだ。専門的な論理ではない。信頼性・明瞭性だ。
そういう市民・国民の安心感・平穏・普通の心の状態を作り出すのが政治である。そのための法の支配である。本来は法律。間に合わなければ官僚の知恵。手続きをしっかりと固めること。これに尽きる。コストの問題は、その手続き・基準作りで反映させるものだ。
またその話と、電力供給体制を変える話しは別である。論理だけはな何も変わらない。ピークプライシングの動きがやっと芽生え始めた。スマメも動かさなければならない。何よりも真に日本の電力供給体制を力強くするためには電力会社間の競争が必要である。これは体制変更であり政治エネルギーが必要。
将来の目標を見据え、政策実現プロセスをしっかりと練り上げる。そして今何をやらなければならないのか。そこに政治エネルギーを込める。燃料コストの問題は日本のGDPからして多少の期間なら何とかなる。コストを下げる新しいライフスタイルを国挙げて摸索したら良い。
目の前のコストよりも、地震多発の島国日本国家がどういう電力供給体制を新しく構築するのか。こちらの議論をしっかり詰めることが必要。そしてこういう大きな政治的な動きは、これまでの流れを一度断ち切らないと動かない。これが現実の政策実現プロセスだ。
これまでのやり方をそのまま踏襲した途端に政治エネルギーは収束する。これが現実。大飯を平時と捉えた瞬間に、安全基準議論への政治エネルギーは収束する。絶対安全がないのは事実。しかし世界標準と言うものはある。僕が技術者に講義を受けたレベルでは世界標準には全く達していない。
少なくても世界標準がどうなのか。それと比べて大飯がどうなのか。これくらいは安全性にかかわる国の最高権威機関に語らせるべきであろう。フランスではテロ対策で武装警官を張りつかせている。スイスは、地下に巨大な地下水によるため池を作っている。その他保守点検は定期検査ではなく常時監視体制。
国会事故調や政府事故調の調査結果の途中経過が出てくるに従ってそれに比べて日本は大丈夫か?となってしまう。大飯は平時ではない。日本の原発システム全体が有事である。世界標準との比較をすれば日本のレベルがどんなものかすぐに分かる。これは絶対安全の神学論争ではない。それこそ池田氏の領域だ
池田氏のモノ知り知識で、原発の安全対策についての世界標準をしっかり国民に知らせて、それと日本のレベルはどうなのか比較すべきだ。そして法律をしっかりと作る。その間は官僚の知恵で理屈を付けて時間稼ぎ。
今回の池田さんとの認識の違いは、大飯再稼働を平時の再稼働と見るかどうか、それと法治主義、法の支配の考え方ですね。前者についてはやはり平時の再稼働とは扱えないでしょう。後者については市民の立場に立てば池田さんの主張にも理ありですね。確かに人治は良くない。
僕の市長と言う立場での論理に傾きすぎのきらいがありました。現行法制のルールに従っているのであれば関電の営業利益を人治で冒すわけにはいかない。電力供給体制の変更は政治運動。再稼働手続きはそれとは別個の法治の論理。しかし法は政治によって作られる。狭間の問題ですね。
posted at 12:11:22
(橋下氏 twilogより)