引用
君が代起立斉唱条例の実施において府立高校の校長が教員の口元チェックをしたことについての賛否の議論は非常に重要な論点を多く含んでいる。まず監視がやり過ぎだ!との声が多いが、悪いのはルールを破った方だ。監視をした方ではない。監視をしなくても良いように皆がルールを守れば良いだけだ。
監視がやり過ぎだという声は上がったが、大阪において正当な手続きで成立した条例と教育行政の最高意思決定機関によって発せられた職務命令に背いた教員に対する批判がないというのはどういうことなのか?一部メディアが勘違い批判をしているだけで、有権者の多くは、ルール違反の教員を非難している。
監視が悪いと言うなら、世の中、行政など成り立たない。行政はルールをしっかり守っていく、守らせていくことが使命である。報道ステーションの古館さんの横の女性アナウンサーは、日本の行政組織がどれだけ細かなことをチェックしているか全く知らないようだ。
ルールを守っていくのが行政組織。そのためには、とことん細かなチェックをするのが当然の使命。もしそのチェックが悪いと言うなら、ルール自体を変えなければならない。それは監視の問題ではない。ルール自体の責任者である教育委員会の委員長が監視方法を非難したと言うのは全く理解できない。
大阪府の教育委員会は、大阪府の条例を守れなかった自分たちの責任を痛感すべきなのに、全くその認識がない。教育委員会が行政の当事者の認識がなく、外部有識者の感覚なのだろう。今の教育委員会制度の問題点がはっきりと浮き彫りになった。そして教育の現場でそこまで監視しなくてもという反対意見。
教育の現場だからということで治外法権になってしまう今の教育行政。教育現場だからこそ、子どもを扱う場だからこそルールが重要なのです。昔のように教員に全てを任せるという時代ではない。子どもを管理するのではない。教員にルールが必要なのだ。
日本は世界に誇れるほどの価値多様な社会。教員の思想も色々あるだろう。だからこそ一定のルールを設けなければ、子どもが不利益を受ける。教員の独り善がりの思想で子どもが毒される危険が非常に高い。色々な考えを子どもに教えるのは良い。しかし独り善がりの価値観はダメだ。
現在の教育委員会は当事者意識がなく行政を仕切れる機関とはなっていない。だからこそ最低限のルールはしっかりと定めて、校長中心にしっかりとマネジメントをしてもらわなければならない。校長は教育者でありながら教育行政を司る行政職員の一員である。だからこそ、ルールを守らせる監視役も負う。
世の中にルールがなくなるのは理想の世界だ。皆が他人に不利益を与えず、皆が同じ価値観で生きていける桃源郷。しかしそんな世界はあり得ない。人が集まればルールが必要。そしてそのルールを守らせる監視が必要。このアホみたいに当然の原理原則は教育現場にも当然当てはまる。
教育現場になると急に関係者皆が理想の神のような存在であるという前提に立つ。そんなわけがない。教育現場こそ一般社会から距離がある世界。しかも教員も社会経験が少ない人も多いし、一般の価値観とは全く異なる価値観が蔓延している世界でもある。もちろん立派に頑張っている教員も多い。
教育現場こそ、子どもを扱う場であるがゆえに一定のルールが必要。校長はそのルールを守らせる責任がある。校長が教員の口元監視を式に影響しない方法で数秒確認し、後から本人が斉唱していなかったことを認めた一名のみを教育委員会に報告した。どこに非難される点があるのか。
非難されるとしたら君が代の起立斉唱を定めた条例とそれを命じた教育委員会だろう。批判の矛先を誤ってはならない。
村上さん、心強いです!!!橋下 RT @takashipom: 橋下徹氏の校長の徹底擁護。わかる。
posted at 10:31:50
(橋下氏 Twilogより)
まさに、その通り!!
日本のマスコミは、興味の引きそうな事象ばかり取り上げて、
本質部分をキチンと突かない!ニュースがワイドショー化している?!
視聴率や発行部数を意識すると、そういう切り口になるのも、多少理解できるが・・・
でも、そこを、きっかけに、本質的な問題も、あぶりだして欲しい。
それとも、論点をそらして、そういう部分を分からない様にしているのか・・・?!