短いですが、記録として記事に…
(橋下徹氏twilogより引用)
矢沢永吉さん博士である知事の前では、なかなか言えません。
行列視聴中、えーー矢沢さんのファンやったって初めて知りました。てっきりサザンとドリカムだと思ってた。
— 松井一郎(大阪市長) (@gogoichiro) November 27, 2016
ロシア、北朝鮮、中国がカストロ氏を称賛するのは、まあそうだろう。しかし西側諸国が単純に称賛してもいいのか?きれいごとの言葉の裏のこういう価値観の一貫性のなさが、既存政治が有権者から見放されている根本原因。それに比べてカストロ氏を独裁者だと言い切ったトランプ氏は筋が通っている。
矢沢永吉さんの話は
【橋下徹登場】「行列・祝放送600回記念 アニバーサリー事件簿SP」
で紹介されたエピソードですね(^_^;)
コメント
昔話で申し訳ないが、
我々の学生時代の頃の当時の教師というのは、ことあるごとに授業中にバカがまるで自分がにでもチエゲバラでもなったかのように褒め称えるあこがれた意見を発し、しかもそれが教師の間でもてはやされ、もうチェゲバラ!チェゲバラと言って叫びたいほど彼の思想行動をほめちぎっていた。
もっと馬鹿に見えたのが、
愚かな女の教師は、あの彫りの深い独得のあの黒い瞳と無精ひげでの風貌のさみしげなあの表情でのチェゲバラの彼の風貌と容姿に、愚かにももうメロメロであった。やったことが何で、どうだこうだというのはそっちのけで。
戦車の上で勇ましく今で言えば北朝鮮の映像でいつも出てくる軍服姿での戦車で機関銃を持つ兵士のあの画像、あれと重なるいでたちで戦車に立ち上がり銃を抱えてる黒いチエゲバラの写真を見ては、心をときめかせていたようだった。
当時私と後に防衛大学に行った同じクラスの男と、周りのそういう教師らに、国の在り方があの革命でいいのか!と、相当噛みついてやったことがある。
高校時代に。
革命は確か昭和のあの30年代だったと思うが、野球界は西鉄ライオンズ全盛時代で中西豊田稲尾の時代だった。巨人を追い出された三原監督が巨人に一泡吹かせた時期、戦場の戦地から帰還した時、実家にもどこにも寄らずに戦地から脱出し日本の港に着いたその足で直行でファンがいっぱいの後楽園球場で軍服姿そのままで敬礼をしながら直立不動で帰国の挨拶をされたあの水原茂が、軍服のその戦地から直行で後楽園球場にはせ参じたあの男が、巨人軍監督として采配していた時期。
チェゲバラとカストロによるキューバ革命が起きたのはちょうどあのころの時期。
今でもその気品と品格で群を抜いている気品あふれる水原茂に三原率いる西鉄ライオンズが野武士野球で神様稲尾の剛腕であの絶壁の巨人軍に若き集団のライオンズが3年連続で苦渋を飲ませた時期。
そこに王や長嶋さんが海外からやって来て日本で住んでいて後に巨人軍に入団し、また同時期には確か今の天皇陛下が正田美智子様とご結婚されたちょうどあの時期頃だったと思う。
それがあのキューバ革命が起きた時期頃だった。
日本は勤務評定反対運動と、安保闘争が起こり、国内はもう混乱状況であった。
田舎でもだが、都心の中では学校にようやく白黒のテレビが何処にも置かれだしたころ。
時代はと言えば自宅ではまだ裸電球と、狭いアパートが短冊状に並ぶ街並みがそこら中に広がる、都心ではそれが連なる時期の日本。
後にそこらじゅうでできだした【文化住宅】という名前すらあまりまだ聞かない時代の頃だ。
後に独裁とそれによる西側陣営からの海外からの締め付けと、ソ連だけが頼りの窮屈な経済状況の中、自国からできるものと言えば、サトウキビと葉巻だけだろうがというそれほど貧しい地帯、ここに統制経済をやられたら、この人生を送らされた国民は或る意味はこの中で国にみがらごと買われていた状況だっただろう。
国家が国民を人間ごと丸のみで買って、それを道具として使っていたという状況だ。
あの自由が謳歌していたアメリカのそのすぐそばであれだけの統制をかけて過ごさざるを得なかった急場人に本当の幸せとは何かを考えさせてもらえる時間と空間は彼らに会ったのだろうか。
少なくとも私はあのキューバ革命は一瞬は確かに良い面はあったかもだがでもそのうち自由は損なわれそしてもっともっと自由の枠は狭められていった。
統制経済と統制社会は、そこに法で縛りがついてきたらもうこれは人間の能力を可能性を止めてしまう。自由ほど人間で素晴らしいことはない。
それを革命で作った国家を、素晴らしい国を作りたいと願っていたはずのそのゲバラ死に、彼の亡き後、カストロはまさに独裁色を強め、自由を拘束の範囲で縛りを作り上げたカストロ、我々が陶磁器f具していた国家にやっぱりその後なって居たと思える。
当時の日本のあの頃の学生時代の頃の私の周りにいてた教師ら、こいつらのいかに浅はかで愚かだったかを、実態を解りもしない読めない、この情けなさ、今まさにそれを今の日本でも見せられている感がある。