(都構想)松井知事「(23日)法定協を開催出来ないなら、公明党が言っていた”丁寧な議論”は何だったのか?」定例会見 2019.1.16

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「内容」
(公務関連)
・「平成30年度 大阪府地震・津波災害対策訓練」の実施等について
・質疑応答

(政務関連)
・質疑応答(公明党が総合区議論を進めない事について、参院選について、厚労省問題閉会中審査など)

(12:29タイトルのシーンから再生します。スマホの場合、初めからになる場合があります)


<<下に続く>>


(会見文字起こし:一部有料)
大阪・松井知事が定例会見1月16日(全文1)法定協議書取りまとめに死力尽くす(THE PAGE) – Yahoo!ニュース
大阪・松井知事が定例会見1月16日(全文2完)100点満点はあり得ない(THE PAGE) – Yahoo!ニュース

大阪・松井知事 法定協開催について「できないなんてありえるのかな」(THE PAGE) – Yahoo!ニュース

「大阪都構想」で法定協開催 公明との対立続いたまま – 毎日新聞

大阪公明党の対応は、
国政の無責任野党のやり方と全く同じですね!

「審議時間が足りなーい!」
と言いつつ
「審議拒否」

国政・与党公明党は、これやられて参ってるはずなのに、
自身が、それやってはねぇ・・・


大阪で加速するIR進出の動き 海外大手が知事らへPR合戦(1/3ページ) – 産経ニュース

欧米豪からの誘客強化 大阪観光施策でトップ会合 – 大阪日日新聞

コメント

  1. 仲井 より:

    松井さん、

    やっぱり選挙ですね。
    あんな政党とも思えぬ”ねずみ講集団”の体をなしている公明党など、金輪際ものをいう必要などありません。
    あんな連中が政党の存在で日本に存在していること自体が、日本にとって摩訶不思議すぎるほどに実は異常すぎるのです。

    まだ詳細は確定していないが、最近東京警視庁で大きなことが動いている。

    あの東京世田谷一家殺害事件のあの事件に、実は宗教団体組織が接点があるどうのこうのということになってきだしている。
    このことはもうすでに今ネット上を騒がせています。
    あの事件は、事件発生時から、事件が異常な状況で、しかも日本人の起こした事件にしては、殺害の手法、やり口、そして現場の惨状が、日本で起きている事件とはちょっと景色が違いすぎると、当時から少しそのことは話題にもなっていた。

    私は当時から何度も警視庁にはあの事件のことで相当数直接連絡していた。

    あれは日本人の起こした犯行ではありませんよと。
    私は当時朝鮮半島での権力闘争での飼っている側と負けている側との争いでの殺害事件ではないのかということを伝えてきていた。
    つまり政権での、権力闘争に勝ってるほうが負けてる側の朝鮮民族が追われて日本に逃げてきたり、または、日本で活動している朝鮮半島の政権の指令で動いていた工作員を、この逃げてきているものの親族縁者及び当事者を狙っての見せしめで狙った政権から指示されて朝鮮半島から日本にやってきた殺し屋の犯行ではと伝えてきていた。

    ちょっと考えられないぐらい残虐で、日本人による犯行ではないことは大体が想像できるほど残虐な殺害方法。
    しかも犯人はその部屋で相当の時間部屋で滞在しトイレで代弁までしている。

    普通の人間ができる沙汰ではない。

    人間を人間としてみない民族ということになれば、人間以外の扱いのものが存在して居る朝鮮人と中国人による犯行だとまずは想像がつき、でも中国人の仕業ではないということは想像できるので、であれば人間を犬や豚扱いが平気で出来る民族といえばそれれはあと残るのはもう朝鮮民族しか残らない。

    犯行の手口は大胆でしかも想像以上に荒っぽくて、それも人の命というものを同じ人間同士でありながらそこをあまり考えないような、人を人となど思ってもいないような殺し方、そういう殺害に慣れているかの殺害の仕方で、当たり前に何事もなく普通に人を殺せるような、殺すときにでも無表情でそれを平気でやれるような人物がやったとしか思えない犯行だった。
    そうすると犯人像は、国籍は、民俗は、ということになればやっぱり朝鮮民族しかそこには残らない。
    それで私は初めからあれは朝鮮民族の工作員の殺し屋の仕業でありプロ中のプロですよとそう伝えていた。

    ただ私が想定していた北朝鮮の政権闘争での争いごとでのその被害者?だろうという、殺されると思って緊急に朝鮮から日本に逃げてきている人物や、その親族を狙った、朝鮮が常によくやる恐怖を味合わせる見せしめであろうという推論が、これがちょっと違ってるのかも。

    ただこの事件が朝鮮民族の仕業だということはもう確定的だとされており、そうなれば日本に存在している朝鮮民族がこの犯行の起こす前に何らかの手引きなり何らかの協力なり、そして被害者家族の誰かと何らかの接点を持つものらが日本に常時存在してこの犯行の手助けをやっていたとみるほうが妥当である。

    あの拉致事件の手口と一緒の手法で、街の地域の中で拉致したい適切な人物を事前に日本にいてた北朝鮮工作員に指示して探させておいて目星をつけて、そこに朝鮮から海を船で渡ってきた工作員に拉致した人物を闇に紛れて渡していたその手口と同じで、日本国内に協力者が存在しないとこれはなかなかむつかしい。
    だから日本にはそのことを知っていて協力したものらが、犯行を行った犯人以外の者らが日本国内で今でも知らん顔をして普通に居てることを意味する。

    まあ、私が想定していた内容とは、少し匂いが違っていそうだが、だが、殺害したと思える犯人は、やっぱり海を渡ってきて殺害だけを目的にやってきた朝鮮民族の殺し屋に間違いなさそうである。

    事件発生から約18年ぶりにようやくそれらしき証拠が出てきて、東京警視庁の捜査一課があきらめずに頑張っての、継続して捜査をしていたら、ここにきて注目は、ちょっと想像していた内容とは違ったアッと驚くような、そんな気配の事実状況が出てきだした。これは一寸日本としては国民は真剣に考える意味がありそうである。

    この事件に、宗教団体が絡んでいるようだという状況がここにきて、出てきた。

    何のことはない、そこには実はそんな連中が匂いを残して、そういう連中がこの被害者が殺害される内容に、状況証拠に接点を持っていることが、当局の捜査で出てきているというもういまネット上でももっぱらの話。

    これは非常に大きいことが出てきだした。

    だが案の定日本のテレビ新聞はそこを一切出してこない。

  2. 仲井 より:

    もうひとつ。

    いよいよ今年は選挙選挙となってくる。
    いつものことながら松井さん吉村さんをはじめ皆さん本当にご苦労様です。

    一つ書いておきたいことがあります。
    これは時に日本維新の会、大阪維新の会、ここから出馬して立候補をされる方たちに向けてですが、この方たちに一言。

    ★選挙等の、立候補者がそれぞれの場所での、会合の席、街頭での時、テレビでの時、これらいわゆる選挙での有権者に対して党推薦での議員候補者として投票日に向かっての選挙”演説”というやつですが、
    この内容で立候補をされる皆さんに、一言少しお伝えしたいことがあります。
    偉そうに何を言ってるんだと、言われるかもだが、でもそこは一度聞いていただきたい。

    ★皆さんはテレビを見たり、弁論誓いを見たり、どこかの会場での、いろいろの説明を聞いたり、解説しているのを聞いたり、例えば役所の説明だったり国会での討論の時の言っている内容においてでもいいんですが、この中で絶対に忘れてはいけないこと、例えば演説の現場での、弁論の現場での必要なこと、こういう必要なこと、ここは絶対に抜かさずにしゃべらないといけないという部分がこういう場合にはあります。
    その必要な部分を考えずにただ説明で終始する、訴えもただ説明時効の内容に徹した弁論演説、これでは、その会場に居てるその瞬間だけが意識できて、でもその場から離れて出ていったら、その時点でその人の言っていたことなど詳細の説明の内容などおぼろにしか覚えられていないはず、ただ顔を見に来ただけでほとんどが終わることでしょう。
    忘れてしまわれるでしょう。
    日本維新の会及び大阪維新がこれから票を伸ばす、政党の存在を大きく広げ、ひとりでも多くの国民にこの維新の打ち上げたものがいかに凄いことかを兎に角印象でその会場で新たに来てくれたその人らにも残らず残さないと次に投票してくれる有権者は今の応援している人の数からそれ以上には伸びていかないでしょう。

    今大事なことは、日本維新の会という政党をこれから先、今まで維新をあまり意識していなかった国民、有権者ら、そういう人らにも覚えてもらって、支持してもらわないといけないので、新しい人にも新しい有権者にも支持されねばこの政党の伸びはありません。

    さあそこでです。
    じゃあどうすればいいのかといううことですが、これにはもう一つしかありません。
    地道にコツコツと行くしかありません。
    でもただコツコツ地道にだけでは新しい支持者は増えません。

    ★あらゆる場所での演説の方法、つまり、街頭演説での説明の方法をもう一度振り返ってみて、再度磨きをかけることです。

    それには、これです。

    ★喋る演説の文字、その一字一字の文字を、言葉を、その現場現場にノリで張り付けてくるように”置いて”くるのです。

    つまり、しゃべる演説のその文字文字を、口から出ていく言葉の文字文字を、一つ一つその場、その現場に、きちんと残して来る喋り方、その現場に置いていく喋り方をすることです。

    皆さんも思い出してください。

    また競馬の話で申し訳ないんですが、
    皆さんの頭の中で日本で強かった馬のことを覚えていますよね、話題になった馬の名前のことは。

    例えば、

    ディープインパクトだとか、
    ミホノブルボンだとか、
    テンポイントだとか、
    トウショウ―ボーイだとか、
    タケシバオーだとか、
    シンボリルドルフだとか、
    ハイセイコーだとか、
    タイテイムだとか、

    これらの馬のことはまあ少し競馬をやられた方は覚えておられるでしょう。
    では聞きますが、
    これらの馬が走っていたそのレースでの実況のアナウンサーはそれは誰でしたか?と聞かれたら果たして何人の人がそれを覚えて知っているでしょう。
    馬の名前は覚えているがテレビで実況をやったアナウンサーのことまでは知らないという人のほうがおそらく多いでしょう。

    とくに、
    ディープインパクトなど(最近の競馬レースでの場合には)でいえば、
    誰もがディープインパクトの名前は知っているが、でもそのレースのテレビでの実況をやったアナウンサーなどほぼだれも覚えてもいませんよね。
    何故アナウンサーの名前を憶えていないんでしょうねえ。
    ここが実は選挙演説でも非常にキーポイントになる部分です。
    演説というものはいったいどうやれば自分を覚えてくれるのか、
    自分の言ってることの一字一字をここに居てる人が皆覚えて帰ってもらえるのか、ここです。

    ディープが強かったといってつまり武豊とその馬の名前だけを覚えていて、
    私に言わせれば実況のアナウンサーのその実況こそがそのレースを盛り上げる歴史に名を遺す名馬であればあるほどに、その時の実況のアナウンサーの内容は非常に大きいわけです。

    でも皆さん見てください。ほとんどの人がディープだけを、武豊だけを覚えていて、テレビでの現状の今の実況のアナウンサーのその瞬間瞬間で発した、しゃべった言葉、文言などは、など耳にも入っていない、つまり喋っている実況のその価値のことなど全く存在がされていない状況だということです。

    一生に一度だけの走るレース、この時に実況をやってくれる人の名前ぐらい覚えていてもおかしくないのに、今の実況のアナウンサーってそこが全く自分でもわかっていないようで、ただレースを伝えるだけになり、発している実況の言葉もただ馬の走る流れと同じように言葉がその場所場所に残らず、レース中風で流れるだけの言葉になっている。
    つまりは、知っていても生き物が必死で走ってるわけで、そのことで行けば、実況ほど大事なものはない訳で、それが現状見ているとアナウンサーの発した文言はただ馬と同じようにそのまま走るのと同じようにその場その場に言葉が遺されず、向こう正面を走っていてもその時の重要な言葉は何にも残らず、その走っている最中の現場現場には置いておかずにただ流されただけでレースが終わり、結果最後に強い強いだけで終わってしまい、見ている側にはこのディープはものすごく強い馬だとだけがテレビを見て言葉で残るだけ。
    キックボクシングならこれでもいいが、そこが実は選挙演説では一番の大事な部分。

    競馬でのレースのまさに走っているその中途中途の(=選挙演説での、しゃべってる最中)その場その場に、実況のアナウンサーの文言がそこにきちんと文言を置いてこずに(=演説で、喋りが次々と前に前に話が進みすぎて、聞いている人の頭の中にまだ言った文言が留まって残されていないのに)ただ言葉が流されてるだけで、何のことが大事なことかが一つ一つの説明が薄い形でとらえられ結果になってしまい、その立候補者の人物像があんまり印象に残らない、言葉の印象度など全くそこには残ってなくて、ただ写る、見せている顔などの映像だけが脳裏に残るだけ。

    これでは、選挙演説での中身においての、目的においての、ほぼ何の意味もない。
    維新の立候補者がそこでしゃべってたなあで終わっちゃう。

    競馬の実況で現在は昔と違ってアナウンサーが実況の最中に言葉の文字をそのレース中に置いてきていない。
    なにも明言を喋れなどとは言わない。
    あの田中角栄がなぜあれだけ演説がうまかったと今でも言われているのか、
    あんな日本海の奥まった雪国から丸出ず渦宇部ンに近い言葉でしゃべるこの縁ゼうに普通であればそんな価値があるとは思えない文言しかしゃべっていない。
    でも演説がうまかったと誰しもが今でも言っている。

    それはなぜか。
    田中角栄はあの彼が出す言葉の文字をその聞いている人に、演説で目の前に居てる人にしゃべった一字一字をその文字を相手の頭に置いてきていたのだ。逃さず置いてきていた。

    名セリフなどいらない、
    名文句などいらない。
    滑らかに弁論調など、なおさら要らない。

    一番大事なことは、
    演説でしゃべる文字一つ一つを、きっちりとその有権者の頭の中に刻み込む、

    刻むというのが一寸難しければ、もっと単純に言えば、

    ★【そこに言葉を置いてくる】というのが一番合っていて、それが合ってると思うが。
    そこに言葉を静かに、それらの人のそばに、言葉を置いてくる技術。
    これである。

    オリンピック招致活動での日本がやったあれを思い出すが、
    滝川クリステルが、
    【お・も・て・な・し】といって表現した。

    あれこそ、あの招致活動のプレゼンの会場に、まさに世界中が見ている現場に、会場に、日本の言葉を”置いてきた”ということがぴったりな行為。

    あれこそまさに、はるか遠くの国へ日本の心と意気込みをあの一言の文言をあの会場の人たちのそばに”置いてきた”ということだろう。

    ”【置いてきた】”

    トウショウボーイ
    テンポイント

    ハイセイコーの実況の時のアナウンサーの発したレース中での文言は、そしてそのアナウンサーの名前は覚えているし、アナウンサーの名前など、絶対に忘れられない。
    盛山さんと鳥居さんだ。

    演説は流れるようにしゃべってはいけない。
    進んで戻ってまた同じところを同じ意味のことを少し言い回しの言葉の文字を変えて再びそこを繰り返す。
    一度の説明でさらっと言ってしまうと人間の頭にはあまりとどまらず人場枯れテイクが再度少し言葉を変えてでも内容は同じことをこれを再度繰り返す。
    このことでその内容は間違いなしに来てくれている人の中においておける。

    ★例えばこうだ。

    ここで早くもハイセイコーが先頭に立ちました。
    ハイセイコーが先頭だ、、
    ハイセイコーのすぐ後ろからニューサント、
    ニューサントもきている、
    そしてキッカギョクリュウもきている
    ハイセイコーが先頭でニューサントが二番手、
    先頭がハイセイコーでニューサントが二番手、
    その後ろからホーシュウエイトもきている、、
    ホーシュウエイトもきている、
    ハイセイコーが先頭でニューサントが二番手、間もなく第四コーナーをカーブして直線に入ります、
    ハイセイコーが先頭で直線に入りました、、
    ここで一気にハイセイコーが先頭だ。
    ニューサントは少し遅れた、
    外からホーシュウエイトが一気にきた、内からカミノテシオもきている、
    さあハイセイコーが先頭だ、ハイセイコーが先頭だ、ハイセイコーが先頭で坂を上る、

    ★上の鳥居さんや盛山さんが当時やっていた実況の仕方と、下記の例で出した今の競馬アナウンサーの実況の中身の違い、比べればすぐにわかるはず。

    ★今の競馬の実況のアナウンサーがテレビで(↓こういう実況をやってるから今のアナウンサーは競馬実況のアナとしてその時実況している自分の名前をほぼほぼ覚えてもらえない)どういう実況をやっているかといえば、上記したものと比べればわかる。

    ハイセイコーが先頭です、
    二番手がニューサント、
    キッカギョクリュウが三番手を行った、
    その後方にホーシューエイト
    その後ろにはカミノテシオが行った。
    そしてその後ろからイチフジイサミが行った、
    その後ろにタケホープ、

    さてもう一度先頭から行きましょう、
    先頭はまだハイセイコーが行っている、
    二番手にニューサント、
    三番手はここでホーシューエイトが上がっていきました、
    カミノテシオが外を通ってぐんぐん上がっていきました、
    ニューサントを交わして二番手に上がろうとしています。
    ハイセイコーが相変わらず先頭です。
    ニューサントの二番手も変わりません、
    間もなく第四コーナーを曲がって直線に入ります。
    ハイセイコーが先頭で直線を向きました。
    ニューサントが二番手ですが内で少し下がりました、
    代わりにホーシュウエイトが外から二番手に伸びてきました、
    そして内からカミノテシオが来ました、

    比べればわかると思いますが、
    この二つで見ると、並べて下記に表記したこの実況であれば、
    このアナウンサーのしゃべった実況の内容など、その時限りで流れてなくなってしまい、観ているものからは、画面での馬しか見えず、このアナウンサーのしゃべった文字文言などは、たぶん一切覚えてももらえないだろう。
    忘れ去られてしまうしゃべり方になっていて、その場に自分が発した言葉をきちんと置いてきていない。
    せっかくレースの実況をやってるのにレースの中に自分の発した文言を置いてきていない、つまり残っていない印象で終わってしまうだろう。
    主役はあくまでも馬だがでもそれと同じくらいこの実況のこういう競馬のようなレースの場合には特に言葉と画面のレースと馬とがこれらがすべてが一体のものとして重なり合って、重複していいぐらいの意味のあるものなのだ。
    選挙演説でいえば、この競走馬が立候補者であり、実況のアナウンサーの発する文言の出し方役が演説のその言葉のしゃべり方であり、レースは立候補者の表で見る印象、つまり見せている人物の顔である。

    ★いよいよ選挙がもう間もなくである。
    私には9票しかもっていませんがでも今度の選挙はぜひ買っていただきたいものです。
    松井さん、
    吉村さん、
    あんな犯罪集団の類の公明党など付き合うことなどいりません。
    現状の韓国イコール公明党だと思えばいいです。実際もそうなんですから。
    つまり敵国からの矢なんです。彼等は紛れもない卑劣で薄汚い朝鮮半島の同じ連中であり、正味日本には敵です。

    奴らはそもそも友好団体などではありません。
    日本でどれだけ掠め取れるかの競争をやってノルマがかけられている集金団体です。

    初めから敵なんです、奴らは。
    ★我々は、朝鮮半島とはお付き合いしませんと告げてやればいいぐらい。

  3. 仲井 より:

    加えてみる。
    選挙に向けてのあらゆる場での、会合や支援者らの集会や路上での外線での演説といろいろあるがそこで大事なことは最終的にはその立候補者のことを覚えてもらうことである。
    その他m梅にみな必死であの手この手と頑張るんだが、日本維新の会及び大阪維新の会には、まあ今も、以前からもこれといった大きな団体からの選挙支援は貰えていない。
    これは初めからわかっていることなのでその条件の中で闘わないといけないことになる。
    ここまではもうみんながそこを解って闘ってきた。

    問題は、ではこの一般国民がこの維新推薦の候補者のことをどうやって覚えてもらって、どうやって選挙投票日にこの人物に投票をしていただくのかということになる。

    演説という部分でいえば、やっぱり喋る言葉を、目の前の有権者の口の中に”置いてくる”ことだ。

    角栄の当時の演説を思い出すと、

    【みなさん!この日本を一体どうするのか!】
    【あんな社会党や共産党なんかにこの日本の国を任せることなど、できません!】
    【そうでしょう、みなさん!】
    【あんな連中らにこの日本を任せられますか!】
    自分で問いかけて自分でその答えを、そこの中に究極の自分ら以外はだめだという”とどめの文言”を入れて語っている。
    そんな目立つ名台詞を角栄は喋ってるわけではない、
    だがこの手法は実は適格である。

    ★あの2015年5月の、都構想住民投票日前夜の、高島屋前での橋下さんの演説。
    彼は演説の冒頭でここから始めた。

    【、、、、、、そして大阪府知事になりました、大阪府庁に入ってみて初めて知ったんですが、皆さん!大阪府にはそのとき5500億円という莫大な借金があったんです。ま~驚きました。大阪府は5500億円もの隠れた借金があったんです、こんな莫大な借金があれば、まあ普通は、一般企業であれば、倒産ですよね。従業員などには給料はおろか、もうボーナスなど貰えるわけがありません。
    でも不思議ですねえ~大阪府庁の職員は。
    みな普通に給料をもらっている、もちろんボーナスも。
    こんな莫大な借金がありながら、府の職員は、びた一文削られることもなく減らされることもなく、ボーナスも、普通にもらっている。
    不思議ですねえ、この役所というところは。
    一体どうなってるんですかねえ。
    そして色々見てみました。
    そしたらもう出てくる出てくるわで、

    一体何なんだこの天下りの数は!と。

    そしてこの物凄い額のあらゆる団体への訳の分からん補助金。

    もう言いますけどね、

    いろいろな多くの団体や組織へ渡されるこの補助金は、これはいったい何なんだ!と。
    日本医師会?、日本歯科医師会?、タクシー協会?トラック協会?弁護士協会?
    もうこの連中らの懐に毎年のように、数億、数十億単位の金が、奴ら連中の懐に入ってるんです。
    それも何に使ってもいい、使い道は自由。

    これ知らなかったら皆さん馬鹿みたいですよ!
    このお金って、税金はいったい誰のお金なんですか?
    皆さんのお金じゃないですか!
    みなさん納税者のお金じゃないですか。

    税金は納税者のものなんです。
    だから、税金は納税者のために使われないといけないんです。
    あったり前じゃあないですか。
    納税者が支払った税金は納税者が使うもんなんです。
    一部の既得権をもった連中が懐に入れて受け取るもんではありません。

    こんなこと当たり前の事なんです。
    まあひどいもんでしたねえ。

    橋下さんは演説の部分で、まずここを出してから、ここから大阪都構想のその内容に入っていく。
    あの高島屋前で、路上で観ている有権者、集まった納税者らは、ここまでの橋下さんが語った内容で、もう完全に橋下さんの懐の中にまで、体ごと橋下さんと一体で同化させられている状態。
    その状態から大阪都構想の本題へと演説は入っていく。

    二人の、ここらの前段の部分(←演説の)、
    当時スマフォも携帯もパソコンもネットもそういう機器がない時代、それまでの日本の総理大臣には全くなかったといっていいほどに、記者会見場での折に角栄は記者からの突然の質問に対しても、具体的数字のデーターを、何のメモ書きなしで彼は頭の中だけでの説明解説をやり、その記者の前でとうとうと現場の説明ができた総理大臣であった。だからそのことを知っている国民は、街頭演説の場で田中角栄という人物が現場での演説の場でそこでもう細かいことを言わずとも、当時テレビしかなくて視聴率も高かったそういう時代であったために、お茶の間で皆国民はニュースを結構見ていて、国民はある程度の角栄がやろうとしていることは日ごろテレビで見て結構説明されているのでそういう場所で迄は、別に聞かずともこれでいけた。
    せいぜい新潟の現場でだけは、橋だ、国道だとかで話を現場で聞いていたかもだが、大体は現場の細かいことまで
    選挙の時には彼はほとんど言っていない。
    自民党でないと日本はやっていけない。
    共産党、社会党などに日本を任せることなどできるわけがない、出来ません!そうでしょう?みなさん!】これだけで通していた。

    共通部分はもうお分かりですよね。
    演説の部分で。

    どちらも、一言目を喋って、その直後に、その一言目の後に同じ意味の同じことを、言葉は少し文字は変えているが意味は同じことで、再度繰り返して縁ゼうをやってしゃべっているのです。
    一言をインパクトを持つ内容を喋り、そのことの同じ意味につながる内容のことをもう一度再度繰り返してしゃべっている。これです。
    同じ一言の流れで、最低でも二度は前後に同じことを繰り返して、同じことを復唱しながら国民に訴えているのです。

    だから国民は、街頭での演説の現場でそれを聞いている大衆は、有権者は、一度目はさらっと聞き逃しがあったとしても繰り返すその時に再度そこを通ることで耳に聞こえることで間違いなく覚えてくれる。頭に残される。
    つまり昨日書いた、
    ”文字を一字一字置いてくる”ということが可能になる。

    これをもしも一言一言をすべてが内容の違う状態で演説の言葉進行をやってしまうと、説明のようにやって行くと、その中身でかなりの部分で聞き逃して覚えられずに、覚えてもらえていない間に次ぎの内容に入って行き、まだ記憶の覚えていないうちに次の内容に入って行ってしまい、せっかくいい中身の演説をやっていても、覚えてもらえずに聞き逃しをされてしまい、結果その候補者のしゃべっていたその声とか音とか、顔だけが残るだけで、「この候補者はこんなことを言って訴えていた」という部分が、ここが記憶にとどまらずに町を通る風のように演説の説明内容がただすーと行き過ぎていくだけになり、是非この人をという部分の、候補者として応援したいところまでその人たちを引き付けられない。
    演説の中身が覚えてもらえなければ、候補者の名前さえ覚えてもらえないかも。
    覚えてもらうには演説のその時々の内容の肝の部分を、そこの部分を、言葉を少しだけ色付けで変えてでも、でも意味は同じにして、そういう状況に表現して、とにかく、一言一言を二度繰り返すこと。

    まだ演説の成れていない候補者は、いつもやるんだがとにかく多くのことを兎に角有権者にすべてを全部を伝えたいという思いが強くて知っている限りの情報をすべて山盛りで伝えようとして話題の項目をものすごく多くしてしまい結果時間があるので説明の項目がそれぞれ一回づつの説明で一言一言を済ませてしまう。

    本人にすればすべてを伝えたからこれで十分だと思うだろうが演説をして投票をしてもらうにはこれは、それは最悪である。多くの説明項目、大罪など必要ない。
    一つのことでその大事なぶっぶんを自分はこうやってこれをやるというその説明尾だけで充分である。
    いろいろと知ってもらいたいので全部の項目を喋りたいだろうが演説というものはピンポイントで有権者に重複重複でいいからとにかく一つの内容に絞ってでもいい、深くそこに徹底して縁ゼ腕街頭で伝えれば、有権者は、維新の候補者のことを覚えてくれる。

    一言でしゃべったことを、もう一度念を入れて同じことを最低でも二度同じタイミングの時に連続で繰り返す。
    一度目とはちょっとだけ文字の言葉に変化をつけて。でも意味は同じことを。

    ★美空ひばりが、何故凄かったのか、なんであれだけ凄いと誰もが認めていたのか、国民から別格で評価されていたのか。
    ほかにも多くの歌手が居ててでも彼女は別格であった。

    ただ歌がうまいという部分だけで行けば、彼女よりもうまい歌手っていくらでもいてたはず、この日本には、世の演歌歌手や歌謡曲の歌手などうまい人などそこらじゅうに居てる。
    でもなぜ彼女が特別でそういう評価になったのか。

    或る人が言っていたが、
    【ひばりさんは、新しいまだ彼女にも見せていない新曲ができてきて、彼女に初めて見せて、そこで曲の”音符”を見せて、曲に合わせて、初めて彼女に歌を歌って合わせてもらったら、その時点で、そこでもうほかの歌手が到底かなわない、届かない才能を発揮していた】と言っていた。

    何処が違っていたのかというと、
    【彼女は新曲の楽譜の”音符”を見て、そこで歌詞の一字一字を丁寧に”音符”の一つ一つと重ねてきて載せて、そこに一字一字の歌詞を置いてくる。
    そこに載せて重ねる。
    音符に歌詞を載せてくるんだよ!。
    セリフを音符に置いてくるんだねえ、これは誰にもできない彼女の才能だった、凄かった。
    或る意味天才だよ、だから彼女のことは誰も口出しできず、彼女のステージは彼女が好きなように音声から音響に至るまですべてすべて仕切っていたんだよ、誰もそれに文句など言えないんだよ」って言っていた。

    ここでもやっぱり、
    この歌詞の一字一字を、音符の一つ一つに載せて”置いてくる”ということが語られている。
    この日張りの場合にもこの”お居て載せてくるというこの技術才能が結局は大衆から凄いと絶対的印象としてヒバリのことを国民は絶賛し彼女の特殊な才能を評価していつまでも彼女の歌は生き続け残って記憶の歴史を刻んでいくのだ。

    田中角栄、橋下徹、
    くしくも美空ひばりにも、この共通点があった。
    記憶に残る人というのは、やはり【その場所に声を載せてそこに”置いてくる”】、
    このことで記憶に残る人物になるということだろう。これに尽きる。

    皆さん選挙演説お願いします。
    自分自身のことを、有権者、大衆の頭の記憶に、口の中にまでも、記憶に残すことを最大目標に。

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