橋下さんが「敗北宣言」した今・・・もう、どうでもいいや・・・と思う方もいるでしょうが、
「原子力ムラ」という、巨大な既得権者との戦いは、まだ始まったばかりです。
しつこいかもしれませんが、改めて霞ヶ関・業界の問題点を認識し、マスコミ等批判側は何が足りなかったのか・・・
確認しておく必要があると思い、以下の記事を掲載しました。
もういい加減にしろっ、て方は飛ばして下さい
(引用ここから)
まんまと大飯原発再稼動にこぎつけた「原子力ムラ」。原子力行政健全化のため批判派は霞ヶ関、業界との「戦い方」を覚えろ!
長谷川幸洋「ニュースの深層」 (現代ビジネスより 6/1)
野田佳彦政権が関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させる方針を決めた。正式決定は来週に持ち越されたが、事実上の決定とみていい。
それにしても、政府の姿勢はデタラメである。「安全を確認しなければ再稼働しない」と言っていたかと思えば「電力需給が逼迫する」と稼働の理由を変え、最後は「経済産業省の副大臣や政務官を現地に常駐させる」などと言い出した。
原発に素人の政治家が現地に常駐したところで、安全確保にはなんの関係もないのは明白だ。「万が一、事故が起きた時に万全の対応をする」などと言うなら、本末転倒もいいところではないか。二度と事故が起きてはならないのだ。
議論のプロセスの法的根拠に疑問
ふりかえれば、議論の出発点は「安全性の確認」だった。
菅直人前政権は福島事故の後、2011年7月6日に突如、原発についてストレステスト(耐性試験)の実施を発表した。そもそも電力会社が実施するコンピュータ上のテストにどれほどの信頼性があるか疑問だが、それでも本格的なテストをしたら時間がかかるとみたのか、途中からテストの中身を簡易版の1次評価と本格的な2次評価に分けてしまった。
1次評価は地震と津波に対する耐性をチェックするだけで、それ以外の事故シナリオは想定していない。たとえば、福島で実際に起きた水素爆発プロセスや電源喪失時のベント操作、火災の同時発生、テロへの対処などは考えていないのだ。
福島事故への対応で無能力さをさらけ出した班目春樹原子力安全委員会委員長でさえ、大飯3、4号機が2012年3月23日に1次評価をパスした際に「1次だけでは不十分、2次までやるべき」と記者会見で釘を刺していた。(続く)
(続き)
これではとても国民の理解を得られないと考えたのか、野田政権は2012年4月3日に「新たな安全基準策」の策定を発表した。ところが、2日後に出てきた基準は電源車や電源ケーブルの配備とか消火ホースの分散配置、緊急時のマニュアル作成、ベント用の窒素ボンベ配備など、どこかの映画プロデューサーが思いつくような当たり前の話ばかりで、とても本格的な基準とは呼べないシロモノだった。
それでも形を整え、なんとか再稼働にもっていきたい野田政権は今回の決定に際して、またまた「いまの国の基準は新しい原子力規制庁ができるまでの暫定基準」(細野豪志原発事故担当相)と言い出した。
初めのストレステストから何度も安全の判断基準を変え、最後は政治家の現地常駐などという幼稚なスタンドプレーまで演出して、ようやく再稼働にこぎつけたという話である。こんなありさまで国民が信頼するわけがない。
そもそも、政権が勝手に安全基準を決めたり変えたりして再稼働を議論する、というプロセス自体の法的根拠が極めてあやしい。原子力委員会および原子力安全委員会設置法で「安全の確保のための規制に関すること」は原子力安全委が「企画、審議し決定する」と決められているからだ。安全委をすっ飛ばして議論はできず、委員長の斑目が容認していないのは指摘したとおりである。
さらに言えば、野田首相と3閣僚(+仙谷由人民主党政策調査会長代行)の会合が再稼働を議論し、野田が「私の責任で最終判断したい」と言うのも、法的根拠に疑問がある。原子炉規制法および電気事業法によれば、定期検査や原子炉の運転を認める権限は内閣総理大臣ではなく経済産業相にある。民主党政権は、この問題に限らず、政治判断と法的権限についての意識が低い。
反省のかけらもない「原子力ムラ」
原発再稼働問題だけでなく、政府の原子力委員会のデタラメぶりもあきらかになった。
核燃料サイクルのあり方を審議している原子力委員会が本来の小委員会とは別に、電力会社や原子炉メーカー、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設を運営する日本原燃など原発推進派だけを集めて、秘密の「裏会合」を開いていた。毎日新聞のスクープだ。
裏会合には近藤駿介原子力委員長や鈴木達治郎委員長代理のほか経済産業省・資源エネルギー庁や文部科学省、内閣府の官僚も出席し、小委員会がまとめる報告書の未公表原案まで関係者に配られていた。特定の原子力委員に開催通知を出す一方、肝心の小委員会メンバーには会合の存在自体を秘匿するという徹底ぶりだ。
福島事故で徹底的に批判されたはずの「原子力ムラ」には、反省のかけらもない証拠である。それというのも肝心の野田政権が先にみたような調子で、原子力ムラの言いなりになって「再稼働ありき」で突っ込んでいるからだ。
ストレステストの実施を決めた菅前首相は国会の事故調査委員会で証言した後、発言を締めくくって次のように述べた。
戦前、「軍部」が政治の実権を掌握した過程と類似(している)。
東電と電事連を中心に原子力行政の実権を次第に掌握(し、)批判的な専門家や政治家、官僚は「ムラ」の掟によって村八分にされ、主流から外されてきた。それを見ていた多くの関係者は「自己保身」と「事なかれ主義」に陥っていた。私自身の反省を込めて言う。
現在、原子力ムラは今回の事故に対する深刻な反省もないまま、原子力行政の実権を握り続けようとしている。こうした戦前の軍部にも似た「原子力ムラ」の組織的構造、社会心理的構造を徹底的に解明し、解体することが原子力行政の抜本改革の第一歩(である)。
(菅直人オフィシャルブログから)
これを読むと、首相当時はバッシングされたが、菅の認識のほうがはるかにマシ、とさえ思えてくる。それくらい野田がひどい。
批判派は「戦い方を知らない」
原子力ムラで最後に残った聖域である原子力委員会は、裏会合が暴露された事態に慌てて「第三者委員会」を設けて、真相をあきらかにする方針を決めた。これは原発に批判的な有識者委員の提案を受けた形だが、はっきり言って、批判する側の詰め方がまったく甘い。
そもそも「第三者委」などというのは、不祥事が表面化した当事者が時間稼ぎに持ち出す常套手段である。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、事態を調査するふりをしながら、世間の注目が薄くなるのを待っているのだ。そもそも第三者委のメンバー選定を政府に委ねてしまう段階で、結論が目に見えている。
批判派のほうから「第三者委を設けて調査を」などと言い出したら、相手は「待ってました」とばかり、自分たちに都合よく人選して、お茶を濁した結論を出すに決まっているのだ。
本来なら「一部推進派だけで裏会合を開き、そこに近藤委員長自ら出席し、外に漏れてはならないはずの報告原案を配っていた」という事実だけで、委員長辞任とゼロから議論のやり直しを求めるのに十分だった。
それ以外の「報告原案が修正されたかどうか」とか「会合はデータ収集のためだった」とか、新聞が大好きな細部はどうでもいい話なのだ。そんな細部に立ち入ってしまったら、相手の言い訳を延々と聞かされるはめになるだけだ。
おそらく第三者委はそういう細かい報告を出す。そうなったら最後、泥沼に足をとられてしまうだろう。批判派は、まったく「戦い方を知らない」としか言いようがない。
いまや原発の安全性も原子力政策のあり方も、再び官僚と原子力ムラが牛耳っている。批判派はここが正念場である。
(文中敬称略)(引用ここまで)
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まとめtyaiました【「原子力ムラ」批判派は霞ヶ関、業界との「戦い方」を覚えろ! 長谷川幸洋「ニュースの深層」】
橋下さんが「敗北宣言」した今・・・もう、どうでもいいや・・・と思う方もいるでしょうが、「原子力ムラ」という、巨大な既得権者との戦いは、まだ始まったばかりです。しつこいか…