7/1 橋下氏ツイッター part.2「公の団体の天下りやその職員を養うために莫大な税金が投入されているのが日本の腐った仕組み」

記事をシェアして頂けると嬉しいです

(引用)

文楽の人間国宝の住大夫さんは、僕と直接意見交換をしたいと仰って下さっている。こういう問題は直接話すのが一番だと思う。間に入った文楽協会はマネジメント会社としては最悪だ。どうやって金を引っ張るかがマネジメント会社の最大の使命。それが全てだ。

ところが僕と文楽側の意見交換を、文楽協会が遮ったようだ。そして僕は補助金執行停止を決定。すべては文楽協会の責任。文楽協会は自分で金を稼いだ経験がない。すべて補助金で穴埋めされる形でやってきた。だから金を引っ張る苦労をまったく知らない。そんな会社に公演プロデュースなどできるわけない

大阪府市から一億円程度の補助金が文楽に出ている。世の中一億の金を引っ張ろうとしたらどれだけのことをしなければならないか。文楽協会の経費は、無条件で赤字が填補される。そんな会社は世の中に存在しない。皆売り上げを上げるために必死になっている。

文楽協会は、市長の補助者である担当部局と話をしたからそれで補助金をもらうのは十分と言い放った。民間スポンサーを見つけてくるときにそんなことを言えるわけがない。一億のスポンサーを見つけるのはどれだけ大変で、どれだけ話をしなければならないか、文楽協会は何も分かっていない。

一億のお金があれば、小劇団などどれだけ助かるか。これまで一億のお金が無条件で文楽協会に流れていた。文楽協会としてはそれは当然のお金、自分たちのお金と錯覚したのだろう。それが市民から市長が預かっている税金だという認識が全くない。こんな文楽協会で文楽が振興するわけがない。

文楽協会は、一億の金を集めるのにどれだけの苦労が必要か、それを経験させるか、そのようなことを知っている者で構成せざるを得ないだろう。民間人なら誰でも知っている。一億のスポンサー料、寄付を集めることがどれだけ大変か。金を集める苦労を知らないのは外郭団体の特質だ。

こんな団体が、金を集めるノウハウが一番必要な公演マネジメントを仕切れるわけがない。公演は世の中で一番シビアだ。面白くなければ観客は集まらず金は集まらない。自分たちの責任がはっきりと出る。文楽が衰退したのは、このような収入保障に甘えた構造だ。

補助金漬けになっている団体や事業は衰退する。金を集めるにはすさまじい努力、創意工夫がいる。補助金が当たり前の政治行政の世界はその努力をしない。文楽協会は人を集めるイケアの努力を学ぶべき。http://t.co/hlnzHwAQ

ただ国策はやはり国民意識で動きます。国策変更リスクも経営陣が対応しなければならないリスク。 RT @ikedanob: 文楽協会への1億円の補助金をきびしく査定する橋下さんは立派だが、関電が原発停止で出す赤字は4000億円。こっちもきびしく考えてほしい。

僕は関電の株主総会では、原発の安全性云々という話ではなく、株主の立場で、関電の経営方針を質した。柱は二つ。使用済み核燃料問題と国策変更のリスク。使用済み核燃料問題について関電はまったく見通しを持っておらず完全に国頼み。そして国策変更リスクについても全く認識なし。

関電は、原発を動かし続けなければ経営できないと言い切った。しかし原発政策は国策であり、これは時の政治状況、国民意識に左右される。だからこそどのような国策の流れになっても継続的に経営できるような体制を敷いておかなければならない。まさに経営のリスクヘッジだ。

企業がある国策一つを前提とするのは極めて危険。そうなると当該企業と政治は完全に癒着する。国策は一企業が決めるのではない。国民が決めるのだ。関電は、原発推進の国策のみに依拠している。極めて危険な経営方針、経営状態だ。関電は国策が変われば全く対応できない企業であることが露呈した。

厳しい市場に晒されている企業は、日本だけではなく世界各国の国策がどう変わろうとも、それに対応する方策を考えている。万全の体制を整える前であっても、経営陣は、ありとあらゆる経営リスクについて、その場合にはこうする、ああすると湯水の如く方針を語る。ところが電力会社はダメだ。

原発を推進するという国策以外はまったく考えていない。完全な思考停止だ。もし国策が変わったらどうするのか。今の段階でも民主党は2030年に原発依存度を15%にするエネルギー戦略にする蓋然性が高い。関電の原発依存度は50%。原発依存度が0に近くなる国策変更も念頭に置かなければならない

僕は株主総会では、経営陣の認識を問うた。原発依存度が限りなく0に近づく国策に変わった時に、対応できるのかと。残念ながら関電経営陣はそのような変更は考えたくもないという姿勢。こりゃ危ない。一つがダメになればすべてダメになるという体制は最悪。関電の経営は、原発に依存し過ぎる。

東北において火力発電所はもう復旧してフル稼働となっている。被災後、原発は動かすまでに膨大な政治行政の手続きが必要になる。これは避けられない現実だ。関西において自然災害が発生した場合、原発事故がなくても、緊急停止した原発を動かすには政治的な膨大なエネルギーが必要となる。

関西は原発依存度が50%。原発事故がなくても、停止した原発を動かすまでの間、大変な電力危機に陥る。火力だとすぐに復旧する。何事も一つのものに依存するのは危険。100%依存は妻だけで十分だ。そこを分散、リスクヘッジしようものなら、命を落とす。(続く)

(引用)

すべての問題点は池田氏の指摘に凝縮されている。日本の公の団体は補助金漬け。金を集める努力をしなくても金がくる。一億の金も当たり前。そしてしっかり天下り。 RT @ikedanob: 池田信夫 blog : 日本ではなぜNPOが育たないのか http://t.co/mMfr8neN

公の団体の天下りやその職員を養うために莫大な税金が投入されているのが日本の腐った仕組み。税が有効活用されていない。クラシックは4億円の補助金が当たり前。4億も金をもらえるなんて世間じゃあり得ない。もしもらえるにしても物凄い厳
しい評価が待ち受ける。大フィルも1億円、無条件にもらえる

来年からは、それ相応の義務を課そうとしたら、クラシックの演奏会を大阪市内でやること自体が大阪のメリットだと来た。それは団体が存続する、自分たちが飯を食うことにつながっているのが一番だろうと言いたい。とにかく文化の領域こそ、既得権まみれになっている世界はない。

そして文化の領域は、自称文化人や行政マンは、そこに金を出すことが全てだと思っている。文化を批判すると自分が文化知らずと批判を受けるのではと恐れて誰も問題点を指摘しない。文化行政は闇の世界だ。そして補助金漬け、行政が介入した文化は衰退する。日本にNPOを根付かさなければならない。

供給者側に公が金を入れて、既得権化し、天下りポストを拡大させるのではなく、消費者側の選択に晒さなければならない。消費者側の選択に晒されて、供給者側は切磋琢磨をする。クラシックの一億円、文楽の一億円補助が当たり甘えになっている文化行政は正さなければならない。

利用者側に芸術バウチャーを配るという池田氏の主張は、僕が理想と掲げてきたところ。僕の行政哲学はバウチャーだ。供給サイドがある程度熟した、成熟国家においてはバウチャーが効いてくる。供給サイドが熟していない段階では公が供給を育てる必要があるが。

今の日本は、あらゆる分野でバウチャーが効いてくる国だし、バウチャーにしないと既得権供給団体が腐ったままで日本はの成長は停滞する。保育も、公営住宅も、教育も、芸術文化も、バウチャー化を目指すべきだ。ただ大阪市の自治体で芸術バウチャーに踏み切る財源がない。

今の文化予算を全部まとめても、一人500円程度のバウチャーも配れないだろう。そこで、府市の文化予算をまとめて一本化し、アーツカウンシルを設けることで疑似バウチャーに踏み出す。ある程度分野の審査をし、フルコスト計算を基に、利用者の負担軽減の観点から助成を打つ。

今までの文化行政予算は、観客の入りに関係なく、供給側に莫大な助成を打った。文化助成は、その文化に触れる側への助成であるべきだ。客が入るか入らないかに関係なく助成を打つのではなく、フルコストだと高額なチケット代になるところを消費者サイドへの助成でチケット代を下げる。

だから観客が集まることが前提だ。小劇団への助成も組み直す。アーツカウンシルで文楽もクラシックも小劇団も横一線。なぜクラシックが一億円、文楽が一億円で生活が保障され小劇団が苦労しなければならないのか同じ土俵に立つと理屈は成り立たない。クラシックや文楽は偉いからくらいしか言えなくなる

大阪市の音楽団は年4億円ほどの人件費がかかっている。なぜ大阪市の音楽団が4億円なのか。アーツカウンシルの土俵に上げればまったく理屈は成り立たない。音楽団の必要性を関係者は言うが、じゃあ小劇団はどうなのか?すべて同じ土俵に上げる。文化の既得権を崩すことが、真の文化振興だ。

RT @ikedanob: 供給側に補助金を出すのではなく消費者にバウチャーを出すことは、選択を組織ではなく個人にゆだねる革命的な変化で、抵抗が大きいのは当然。橋下改革は日本人が「独立自尊」できるかどうかの試金石。 RT 大阪市の小さな大ニュース http://t.co/GBXlMhgs

これは大戦争ですが、これが日本を成長させる源泉。 RT @ikedanob: 供給側に補助金を出すのではなく消費者にバウチャーを出すことは、選択を組織ではなく個人にゆだねる革命的な変化で、抵抗が大きいのは当然。橋下改革は日本人が「独立自尊」できるかどうかの試金石。 

くだらない産業政策をやるのではなく、税金を、金をいかに活きた使い方にするか。切磋琢磨せず既得権化したところの雇用を守るだけに漫然と税金を使っても成長しない。供給サイドを切磋琢磨させることで付加価値が増える。切磋琢磨は利用者サイドの選択に依拠する。

供給サイドから利用サイドへの助成は、知事時代からの僕の行政哲学です。知事時代の小規模事業支援事業(商工会議所への助成)、高校私学助成について特に転換を試みました。市政運営でも同じです。府庁の事業スキームの検証方針、市政改革基本方針にも明示しています。供給サイドから利用サイドへ。

そして利用者の選択を通じて付加価値の増加を図ることが最もできていない分野は、電力、教育、文化でしょう。教育は選択を軸とする改革を進めてきました。高校は道筋ができたので、今度は義務教育。電力はこれから。文化はアーツカウンシルで進めていきます。

なんと言っても、行政そのものが住民の選択に晒されていません。道州制によって地域が切磋琢磨するようにさせる。公の外郭団体などはNPOに切り替えて、寄付税制の拡充を図る。今の日本、行政の切磋琢磨が一番必要です。そのためには地方交付税は廃止しなければならない。

地方交付税こそ供給サイドへの助成の最たるもの。地方交付税を廃止するなら、消費税は地方税化するしかない。地方間格差は地方の責任の下での財政調整制度で是正。公立のサービスはコストが高くてサービスが民間以下。最低だ。すべて公務員の人件費でコスト高。税金が使われている。

ある働く女性の話を聞いたら、宅急便とコンビニのかけもちをしているとのこと。給食調理員の勤務形態でも公務員の世界ではフルタイム扱いになっている。公立幼稚園のサービス内容は、民間に比べて低い。その代りコストは高い。いったいどうなっている?すべては経営になっていない。

公立保育所や公立幼稚園に、コストは民間に並みに、サービスも民間並みにと言ったら、部局はみんな下を向いてしまう。こんなの経営者だったら当たり前の指示なのに。そして部局が言うのは、公立は人件費が高くて・・・・・これが変えられない前提事実になっている。おかしい。

公務員しかできな仕事がある。また高い能力を求められる仕事もある。そういうところはしっかりと給料を出せばいい。ところが民間がやっている民間と単純に比較できる公務員の仕事も、公務員一般として賃金が著しく高い構造になっている。ここを変えなきゃならない。公務員労働組合はここを守るのに必死

だから選挙では死にもの狂いになって自分たちの既得権、特権を守るために自分たちの言うことを聞いてくれるトップを誕生させようとする。そこには市政全般を良くしようなんて言う考えはない。自らの特権を守ることが至上価値。だからこそ公務員の政治活動を制限しなければならない。

posted at 15:37:38(橋下氏 twilogより)

トップへ戻る