6/27 橋下氏ツイッター「僕も弁護士時代に総会対策をやっていたので、機械的な議事進行にさせないやり方は知っていますが、それは本当の総会屋になってしまうので・・・」

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関電の株主総会を控えた早朝から、精力的な情報発信、脱帽です。

引用

6月25日読売新聞社説(該当記事リンク)、(地方公務員の)政治活動への規制強化が要るは大変心強い。単純思考の弁護士を中心に、労働法制上許されない!憲法違反!と叫ぶ声もあるが、こういう人達は、なぜそこまでやらなければならないのかの背景についての検証が全くない。民間企業ならここまでやる必要はない。

公務員の政治活動がいかに選挙に影響を及ぼすか、それがいかに有権者に弊害をもたらすか、その実態について単純思考弁護士は何も知りやしない。公務員が政治活動を本気にやれば、役所を簡単に私物化できる。有権者一般のためではなく、公務員の処遇のためだけに役所のトップが選ばれることになる。

国家公務員の方が意思決定の力が強いから地方公務員にそこまでの規制をする必要はないという単純思考法学者はもっと現場の実態を調査しろ。地方公務員の方が選挙に及ぼす影響は大きい。そして現業職が一番その影響力が大きい。大阪市役所のこれまでの選挙実態をもっとリサーチしなさい。

民間企業は市場によってチェックを受ける。ダメな企業は退場させられる。ところが行政組織は市場チェックがない。だから政治家によるチェック、法による規制が特に必要だ。ところが、公務員現業職は、民間企業の従業員に近いという理由で政治活動がほぼフリーに認められる。とんでもない!

市場によるチェックがない、市場からの退場を命ぜられない、絶対的な身分保障があるということは、何をやっても自由となる。だから公務員の現業職が選挙の実働部隊の中心になり自分たちの処遇改善のために自分たちの社長を選ぶことに必死になる。

それによって当選した首長は、市民を見ることなく組合員や職員を見る。こんなことが許されて地域が、日本が良くなるわけがない。というわけけで、市場によるチェックを受けない行政組織は法によって政治活動が規制されて当然なのです。読売社説に感謝。

産経新聞(大阪)も大々的に 文化行政について特集を組んでくれている。これまでは文化行政と言えば、とにかく今まで出していた予算を出すことと考えられていた。産経新聞は文楽の重要性を特集する一方、僕が言い続けてきた文化行政の問題点、文楽の構造的問題点などに本格的に切り込んでくれ始めた。(続く)

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25日の産経では、アンコールについて、超過勤務になるからと断った大フィルの様子が報じられた。文楽は、師匠が弟子に芸を教えるのにお金が出る。そして弟子も稽古のために時間的に拘束されると言う理由で金が出る。こんな状況は、補助金行政の悪弊以外の何物でもない。

文楽も大フィルも、本質は観客を集めてなんぼの仕事だと言うことを完全に忘れ去っている。自分たちの高尚な芸術のためなら、観客が集まろうと集まらなくても、観客収入がどれだけであろうと、自分たちの収入は一定額保障されるものと言うことに何のためらいもない。

これが公演の原理原則から如何に離れていようとも。公演は観客から頂くお金で成り立つ。それ以上のお金はない。大フィルも、それが原則になっていたら、観客が喜ぶためなら何でもするであろう。一公演を成立させることに必死になるわけで、アンコールに超過勤務をくれなんて言えるわけがない。

公演が成立したらそれだけで感謝。公演が成立するために、練習を繰り返す。練習した分だけ金をくれなんて言えるわけがない。次に観客がまたリピートしてもらうためにアンコールがかかれば超過勤務をくれじゃなくて、皆喜んでアンコールに応えるだろう。これが公演だ。

文楽については、近々大阪市のHPに何が問題なのかをアップします。僕の考えや特別参与とのやり取り、文楽協会や、特に国の振興会の無責任な態度が表れている回答書など。文楽の人や、エセ文化人は、文楽の予算を切るな!の連呼だが、文楽について誰も真剣に考えていない。

僕が市長と言う立場で、一団体への補助金についてここまで直接に関与して議論しているのは文楽と大フィル、そして子どもの家事業だろう。何も考えていないように取られているので、メールの類も含めて全てオープンにします。そこにも書いているが、なぜ僕が文楽は2度と観に行かないと言ったのか。

僕は、「今のままでは」2度と観に行かないと言ったのです。文楽については、行政マンやエセ文化人は誰も本音を言わない。文楽が大切だ言う人に、では昨年何回行きました?と問えば、一度も行っていない。最近、新聞等で文楽特集が多いから市政記者クラブの記者に文楽に行ったか尋ねた。

そしたら記者クラブの記者で最近文楽を観に行ったと言う人は皆無。じゃあ、会社から文楽を観に行けという指示が出たかと尋ねたら、それも全くなし。メディアは文楽が伝統文化で大切だと言うなら、自分のところの社員を月に一度は文楽に行かせたらいい。それが一番の支えだ。しかし、それはしない。

皆文楽に行きたい!、行っています!という状態ではないのに、文楽は大切だとしか言わない。なぜ皆が文楽に行かないのか、行く気にならないのか、そこを率直に言うのが、文楽にとって本当にためになる。それが本当の支えだ。だから僕は、「今のままなら」2度と来ないと言った。

まず文楽を見たこともない、初めて文楽を見る人を、新しいファン、顧客として獲得しようと言う気概がない。文楽の良さは、知る人だけが分かる、それで良いという意識だろう。もっと言えば、文楽の良さを知らない人は低俗だと言わんばかりの意識だろう。

初めて文楽を観た若い世代が、すぐに文楽に魅了されると言うのは少ないだろう。だから新しいファンを獲得するためにはどうすればいいのか、ここに命をかけなければ観客は集まらない。大阪での文楽劇場の平均の入りは、3割しかない。普通の公演ならすぐさま廃業だ。

伝統を守る、変えないことが文楽だと、文楽界の人たちは自分勝手に言うが、それで観客が集まらなくても気にしない。税金で収入が保障されるから。守るものは守れば良い。しかし新しいファンを獲得するためには、時代に合わせた観せ方も必要ではないか?

歌舞伎もスーパー歌舞伎などで話題性をふりまき新しいファンを獲得しながら、古典はしっかりと守り続ける。また露出についても大フィルの超過勤務や稽古の日当のような考えではなく、それこそ無給で必死になるべきだ。今の大フィルや文楽界は、何かすればカネをくれという体質なのであろう。

普通は露出できるなら、もちろん無給で、いやこちらからお金を払いますという姿勢だ。ところが税金で保障される世界は、真逆の考えになってしまう。僕は文楽の芸術性は素晴らしいと思う。30代後半になって歌舞伎も観に行くようになったので日本の伝統文化は素晴らしいと思う。

しかし観客が集まるかどうかは全ては演者側の責任だろう。観に行きたくないと言った観客を叱れるのは、連日満員御礼の公演の演者。3割しか入っていない文楽公演の演者が観客を叱ってどうする。何故観客が集まらないのか真摯に反省し、努力し、創意工夫を重ねるべきだ。

文楽界の特権意識の表れの事例のもう一つ紹介する。僕は市長として予算編成の責任を負う。予算編成にあたっては連日様々な部局と協議するが、僕が難色を示した事業については、部局は必至になって説明に来る。ここで徹底討論する。これが予算ヒアリングだ。

市政改革で予算を削る話も多い。そうなると削られる団体は、僕に対して直接話しがしたいとの要望が来る。本当は全てに応じなければならないのだろうが、今の市長業務や大阪市役所の巨大性からして、僕が応じることができない。しかし団体側は少しでも時間をくれと言ってくる。

僕は文楽については大きな問題なので、部局や特別参与と直接の討論をかなりの時間をかけてやってきた。そして文楽の構造上の問題点が分かってきたので、僕が直接文楽界からヒアリングをするし、意見交換をしたいと申し出た。そしたら文楽界は拒否。予算ヒアリングを拒否されたのは初めてだ。

要するに文楽界は、文楽に税金を入れるのは当然。市長からの予算ヒアリング、意見交換なんて必要ない。そんなことをやらずとも税金を入れるのが当然。完全に感覚が狂っていると思う。文楽であろうとなんであろうと、税を入れると言うのは大変な話しだ。普通の公演には税は入らない。

しかもその額は大阪府、大阪市合わせて1億近く。これだけの税金が入るのに、予算ヒアリングも、意見交換もやりたくないって。一体どれだけの特権階級なのか。他の団体は、数百万円の予算獲得のために、とことん議論する。しかし文楽界は、一億円近くの税金の投入は、当たり前の感覚なのだ。

このような文楽界の特権意識が、新規ファンの開拓、観客重視の精神の欠如に繋がり、観客は集まらないと言う悪循環を生んでいるのであろう。文楽が大切だとエセ文化人が声を上げても、大衆は文楽に足を運ばない。なぜ僕が「今のままでは」2度と行かないと言ったのか。

それを批判する前に、僕のように芸術素人をどう文楽ファンに巻き込むのかを考えるべきだ。文楽と言えば誰もが無条件に讃辞を送り、誰もが文楽ファンにならなければならないという甘えを捨てるべきだ。興味のなかった人をどうファンにさせるか。それが公演の原理原則である。

26日の産経では、小劇団のへの助成を僕が全て切ったとの報道があった。これまで助成金を受けていた団体の皆さんへはご迷惑をおかけしますが、この助成金についても文化行政トータルでのしっかりとした評価システムがありませんでした。もちろん審査会はありましたが。

これからはアーツカウンシルに一本化します。伝統芸能も、クラシックも、劇団も皆芸術です。伝統芸能だから一億円近くの助成。劇団だから数十万円の助成と言うのはおかしい。小劇団の状況を文楽にも知ってもらいたいですね。これからはアーツカウンシルで文化トータルで助成して行きます。

アーツカウンシルで大阪の文化行政の考え方をしっかりとまとめてもらい、これまでの補助金が既得権化しないよう、しっかりとした評価システムを構築して、助成して行きます。小劇団の皆さんも、25年度の向けて宜しくお願いします。

6月26日の朝日新聞の社説(関連記事リンク)。電力株主総会「自治体の提案を生かせ」はありがたいが、実は関電株主総会で僕がしゃべれる時間は3分1回のみ。朝日社説は、「機械的な議事進行ではなく、主張をぶつけ合う緊張感のあるやり取りを期待する」とまで言ってくれたのに、完全な機械的な議事進行。

個別議案の趣旨説明は、代理人がやりますが、冒頭の総括質疑は僕がやります。そこである程度のやり取りをと思って関電に申し入れをしましたが、結局3分1回のみ。僕も弁護士時代に総会対策をやっていたので、機械的な議事進行にさせないやり方は知っていますが、それは本当の総会屋になってしまうので

週刊ポストも総会での追及!とか記事にしてくれていましたが、何のことはない3分1回の質問のみです。それ以上だとマイクを切られるそうです。まあ筆頭株主と言えども一株主ですから他との公平性を図る関電側の事情も分からんでもないのですが。

今回は議案についての賛否の数が重要で、株主意識がどうなっているのかを確かめる第一歩です。他の電力会社でも自治体が意思を示し始めましたし。でも関電も大フィルも文楽界も共通するのは、肝心なところを外すということ。大フィルならアンコール。文楽なら初めて文楽を観に来た者をファンにすること

関電ならこの株主総会でのアピール。僕だったらオールナイトで質疑に応じるけどね。早速大飯での情報開示の在り方について関電は批判を受けた。こういうのは態度、姿勢なんだよね。ピンチのときにはこれでもかっ!というくらい必死の姿勢を示す。それしかない。

今回の関電の株主総会。これほどピンチをチャンスに変える機会はなかったし、逆にここでの態度いかんでピンチが致命傷になる。ここでの株主総会について質疑がなくなるまで全て応答くらいやれば雰囲気は変わっただろうに。

僕はピンチのときにこそ、全ての質疑に完全に応じるようにしている。まあオールナイトになったことはなくせいぜい一日のトータルで3時間くらいの質疑かな。関電もここで僕からの質問に完全に応答し、必死さをアピールすれば、多少でも流れが変わったかもしれないのにね。

ということで、朝日新聞さん、僕の質疑は機械的ですが、代理人の河合弁護士が、個別議案についての提案説明、質疑をしっかりとやってくれます。政府が相手なら総会屋になっても良いのですが、やはり関電も民間会社ですから、そこまではね。

posted at 06:57:56

(橋下氏  twilogより)

コメント

  1. まとめwoネタ速neo より:

    まとめtyaiました【6/27 橋下氏ツイッター「僕も弁護士時代に総会対策をやっていたので、機械的な議事進行にさせないやり方は知っていますが、それは本当の総会屋になってしまうので・・・」】

    関電の株主総会を控えた早朝から、精力的な情報発信、脱帽です。引用6月25日読売新聞社説(該当記事リンク)、(地方公務員の)政治活動への規制強化が要るは大変心強い。単純思…

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